甲斐 文融(かい ぶんゆう、号 : 古璋、大正9年(1920… 甲斐 文融(かい ぶんゆう、号 : 古璋、大正9年(1920年)3月15日 - 1997年12月26日)は、日本の画家、曹洞宗の僧侶(大分県中津市崇禅寺の13世住職)。白日会会員で油彩、日本画、彫刻をよくした。 大正9年、大分県宇佐市清水の清水寺に生まれる。地方画家であった祖父、叔父の絵画を見、また兄の作画する姿に接し、幼少時より絵画に憧憬を抱く。その後、兄から自分の果たせなかった夢を託され、東京美術学校(現東京芸術大学)図画師範科に進学し、小林萬吾、南薫造、伊原宇三郎、石橋犀水、川﨑小虎、矢澤弦月、関野聖雲に学び、1941年に卒業した。 1948年の創元展に「渓流」が初入選。1951年には「石彿」により受賞。
荒金 天倫(あらかね てんりん、大正9年(1920年)3月4… 荒金 天倫(あらかね てんりん、大正9年(1920年)3月4日 - 平成2年(1990年)1月7日)は、日本臨済宗の禅僧。 臨済宗方広寺派第九代管長。道号は天倫、諱は義堂、室号は碧雲室(へきうんしつ)。俗姓荒金。禅僧からジャーナリスト、そして再び禅僧になるという、ユニークな経歴を持つ。
竹田 益州(たけだ えきじゅう、1896年(明治29年)- … 竹田 益州(たけだ えきじゅう、1896年(明治29年)- 1989年(平成元年)6月20日)は、昭和を代表する臨済宗の禅僧。俗姓は最初は土田で、のち竹田と改姓。法諱は宗進、道号は益川。室号は金剛窟。大分県西国東郡上真玉村(現・豊後高田市)出身。1954年から1989年まで臨済宗建仁寺派管長を務めた。 1896年(明治29年)7月10日、大分県西国東郡上真玉村(現・豊後高田市)で、土田忠米と妻ウメの三男として出生。進と名付けられる。父は漢籍を好み、村の寺小屋で教えていた。1902年(明治35年)、矢野要平家の養子となる。翌年、上伊美尋常小学校に入学したが、1904年(明治37年)には養子先の主人が日露戦争出征のため、矢野家を出た。
曜日 蒼龍(かがひ/かがい そうりゅう、安政2年(1855年… 曜日 蒼龍(かがひ/かがい そうりゅう、安政2年(1855年) - 1917年(大正6年)1月29日)は、明治時代に活動した浄土真宗本願寺派の僧侶。1889年(明治22年)にハワイに渡航し、在留日本人への開教(布教)活動を行った最初の僧侶として知られている。この活動は、本願寺派のハワイ開教の初期の例であり、また日本仏教の英語圏での開教の先駆でもあった。別号に点紅。 江戸時代幕末期の安政2年(1855年)、豊後国国東郡にある光徳寺(現在の大分県豊後高田市臼野)の長男として生まれ、西光寺(豊後高田市水崎)の住職東陽円月が開いていた「東陽学寮」に学ぶ。蒼龍と円月は縁戚関係にあり、円月は蒼龍の伯父(円月の弟の子が蒼龍)であり、さらに蒼龍は円月の娘「すず」を妻に迎えた。