芝原 拓自(しばはら たくじ、1935年1月10日 - 20… 芝原 拓自(しばはら たくじ、1935年1月10日 - 2024年1月11日)は、日本の歴史学者、大阪大学名誉教授。 大分県宇佐市出身。1958年京都大学文学部国史学科卒。1963年同大学院博士課程満期退学、1968年「明治維新の権力基盤」で京大文学博士。日本福祉大学講師、1969年名古屋市立大学助教授、1973年教授、1989年大阪大学文学部教授。1999年定年退官、名誉教授、岐阜聖徳学園大学教授。 1982年「日本近代化の世界史的位置」で日経・経済図書文化賞受賞。世界史の視点で明治維新、日本の近代化を研究した。 2024年1月11日、老衰のため死去。89歳没。
後藤 重巳(ごとう しげみ、1934年(昭和9年)9月7日 … 後藤 重巳(ごとう しげみ、1934年(昭和9年)9月7日 - 2014年(平成26年)4月23日)は、大分県直入郡入田村(現・竹田市)出身の歴史学者(日本近世史)。別府大学名誉教授。位階は正五位。大分県の近世史研究における第一人者とされる。 1934年(昭和9年)9月7日、大分県直入郡入田村(現・竹田市)に生まれた。父は入田村長を務めた後藤千代巳、母はハツ子。 1953年(昭和28年)3月に大分県立竹田高等学校を卒業し、1957年(昭和32年)3月に國學院大學史学科を卒業した。1961年(昭和36年)には別府大学助手と別府大学附属高等学校(現・明豊中学校・高等学校)教諭に就任した。その後別府大学文学部教授に就任し、史学科と文化財学科で教鞭を取った。
小野 信爾(おの しんじ、1930年10月23日 - )は、… 小野 信爾(おの しんじ、1930年10月23日 - )は、日本の歴史学者。花園大学名誉教授。専攻は中国近代史。 1930年、大分県竹田市で生まれた。生家は豊後岡藩主中川家の菩提寺として知られる寺院・碧雲寺。山門には豊臣秀吉の朝鮮出兵に際して略奪してきたという「碧雲寺」の扁額が掲げられていた。父親は旧制中学の国語教師であった。 大分県立竹田高等学校を経て、1949年に京都大学文学部入学。1951年2月22日、下鴨警察署近くで「アメリカの朝鮮戦争に協力するな」という趣旨のビラを撒いたことで、GHQの占領政策違反に問われて軍事裁判を受け、重労働3年・罰金1000ドルの判決を受けた。文学部の同級生、教授らの減刑嘆願署名などによって刑期は2年に減刑された。
栗木 安延(くりき やすのぶ、1930年5月8日 - 200… 栗木 安延(くりき やすのぶ、1930年5月8日 - 2002年3月1日)は、日本のマルクス経済学者・歴史学者。専修大学名誉教授。博士(経済学)。 大分県中津市出身。雑貨商の家に生まれる。1944年、旧制大分県立中津中学校(現在の大分県立中津南高等学校・大分県立中津北高等学校の前身)在学中に、熊本陸軍幼年学校に入学した。しかし、敗戦に伴い、陸軍幼年学校は解散し、中津中学校に復学した。中学校卒業後、旧制第五高等学校(現在の熊本大学)への入学を希望したが、GHQが軍関係の学校に在籍していた者の旧制高等学校入学者に占める割合を制限したため、やむなく1948年、官立明治工業専門学校(現在の九州工業大学)に進学した。
大江 志乃夫(おおえ しのぶ、1928年2月8日 - 200… 大江 志乃夫(おおえ しのぶ、1928年2月8日 - 2009年9月20日)は、日本の歴史学者、作家。茨城大学名誉教授。専門は日本近現代史。文学博士(東京教育大学)。 大分県大分市生まれ。父は陸軍軍人の大江一二三(敗戦時に大佐。陸士32期)。大分県師範学校附属小学校(現大分大学教育福祉科学部附属小学校)、東京市立富久小学校、東京府立第四中学校(現東京都立戸山高等学校)を経て、1944年、熊本陸軍幼年学校を卒業し陸軍予科士官学校へ進学。1945年陸軍航空士官学校に入学し、在学中に敗戦。敗戦による士官学校の解散に伴い復員。1950年旧制第五高等学校卒業、1953年旧制名古屋大学経済学部卒業、1954年名古屋大学大学院経済学研究科中退。
廣池 千九郎(広池 千九郎、ひろいけ ちくろう、1866年5… 廣池 千九郎(広池 千九郎、ひろいけ ちくろう、1866年5月13日〈慶応2年3月29日〉 - 1938年〈昭和13年〉6月4日)は、日本の法学者、歴史学者、教育者、宗教家。法学博士。モラロジーの提唱者。道徳科学研究所、学校法人廣池学園の創立者。早稲田大学講師、神宮皇學館教授、天理教教育顧問を歴任。号は鵬南、扇城、西海、蘇哲、幹堂など。 慶應義塾の関連校である中津藩の洋学校の中津市学校に学ぶ。歴史家として論文と書物を著したのちに法学を学び、早稲田大学講師を経て、神宮皇學館教授となる。当時の国家的事業である『古事類苑』(日本の古事に関する大百科事典)の編纂に携わるとともに、「東洋法制史序論」について研究し、独学で、1912年(大正元年)12月10日に東京帝国大学から法学博士号を取得する。