菊野 克紀(きくの かつのり、1981年10月30日 - )… 菊野 克紀(きくの かつのり、1981年10月30日 - )は、日本の男性総合格闘家、空手家。鹿児島県鹿児島市出身。株式会社KOKKI代表取締役社長。元DEEPライト級王者。初代巌流島全アジア武術選手権 優勝。 東谷山中学校・鹿児島県立鶴丸高校時代は柔道部に所属。高校3年の時にテレビで見たPRIDEに憧れ格闘家を志すことを決意。高校卒業後に竹隆光率いる極真会館(松井派)(現・ワールド極真会館)鹿児島県支部に入門、土木作業員のアルバイトで上京資金を貯めながら道場に通う。木山仁の指導を受けたことをきっかけに1年後内弟子となり空手修行を4年間行った。 2005年、23歳で上京し高阪剛主宰のALLIANCE-SQUAREに入門、本格的に総合格闘家として始動する。
木山 仁(きやま ひとし、男性、1974年(昭和49年)1月… 木山 仁(きやま ひとし、男性、1974年(昭和49年)1月9日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の空手家(伍段)で、極真会館(松井派)名古屋中央支部の支部長である。 身長176cm、体重93kgという体格ながら、極真会館主催の第8回オープントーナメント全世界空手道選手権大会で優勝した。選手時代のキャッチフレーズは「弾丸ファイター」。
大崎 啓吾(おおさき けいご、1973年5月1日 - )は、… 大崎 啓吾(おおさき けいご、1973年5月1日 - )は、鹿児島県霧島市出身の空手家。 1999年1月には、「心道會」(心道流戦術)を鹿児島県霧島市国分城山に旗揚げした。 1979年、全日本空手道連盟・鹿児島県連会長である青木寿男へ師事し、糸東流空手道を学んだ。の1994年にシステマ創設者・ミハイル・リャブコの弟子となる。 1995年にラスベガスアルティメット・オープントーナメントに参戦し、決勝戦ではマイク・ロイドマンを破り、王者となった。 1999年1月8日、実弟である大崎貴之、大崎真也と共に「心道會」を創設した。 2002年、スマックガールに協力。2004年に静岡市で行われた”WORLD REMIX 2004”ではメインスポンサーをつとめた。
松元 和昭(まつもと かずあき、1968年6月2日 - )は… 松元 和昭(まつもと かずあき、1968年6月2日 - )は、日本の元空手選手であり、空手道指導者。鹿児島県鹿屋市出身。福岡大学経済学部経済学科卒。 公益財団法人全日本空手道連盟公認六段。公益財団法人日本体育協会公認空手道コーチ4。 全日本空手道連盟ナショナルチームに11年間所属し、世界選手権銅メダル、アジア選手権2階級制覇(70kg・75kg)、国民体育大会無差別級優勝、全日本選手権3位入賞など輝かしい戦績を残す。 現在は、近畿大学工学部空手道部監督として後進の指導にあたり、西日本大学選手権優勝、全日本大学選手権準優勝などの好成績を指導者としても残す。全日本大学選手権の制覇が待ち望まれる。 その他の主な肩書きは、公益財団法人全日本空手道連盟選手強化委員(Jr.担当)、全日本学生空手道連盟選手強化委員、中四国学生空手道連盟監督部会長、広島県空手道連盟強化委員長など。
山口 剛玄(やまぐち ごうげん、1909年1月21日 - 1… 山口 剛玄(やまぐち ごうげん、1909年1月21日 - 1989年5月20日)は、日本の空手家。全日本空手道剛柔会の創始者。本名は山口 實実。 鹿児島県鹿児島市出身。幼少時より薩摩示現流や柔術等の武道を嗜む。14歳から沖縄県出身の丸田武雄より空手を習い始める。 1928年に関西大学に入学するも翌29年に退学。同年、新選組屯所跡に「剛柔流空手道拳法道場」を開設し「昭和新選組」と称す。同年、立命館大学専門部法科に入学すると、相撲部と応援団に籍を置く傍ら、唐手術研究会(空手道部)を創設した。当時、宮城長順は空手道普及のため毎年頻繁に関西地方を訪れており、長順が入洛すると剛玄は決まってお供をして武道関係者の間を回り、武徳会の福島清三郎など満州国建国に連なる武人や軍人とも知遇を得たという。