辻 恵子(つじ けいこ、1993年10月9日 - )は、日本… 辻 恵子(つじ けいこ、1993年10月9日 - )は、日本の空手選手。ミス・ユニバース2014に日本を代表して出場したことで知られる。 1993年10月9日、沖縄県名護市に生まれる。小学校在学中(本人によると3年生頃)に空手を始める。名護市立大宮中学校卒業の後2009年4月、沖縄県立コザ高等学校入学。 2010年5月29日、平成22年度沖縄県総合体育大会の「女子個人組手」で第1位。2011年4月30日、沖縄県高等学校空手道夏季大会の「女子個人組手」で優勝。同年5月27日、沖縄県高等学校総合体育大会の「女子個人組手」で第1位。2011年、地元誌『オキナワグラフ』の制服紹介コーナーにコザ高校代表として掲載された。
島尻 政明(しまじり まさあき、1980年3月30日 - )… 島尻 政明(しまじり まさあき、1980年3月30日 - )は、沖縄県平良市(現宮古島市)出身の空手選手。極真空手弐段。一般社団法人極真会館(全日本極真連合会)所属。NPO法人極真会館沖縄県支部指導員。 全日本ウエイト制空手道選手権大会 全日本空手道選手権大会 極真連合杯世界空手道選手権大会 極真連合杯ワールドカップ空手道選手権大会
大城 利弘(おおしろ としひろ、1949年 -)は米国占領下… 大城 利弘(おおしろ としひろ、1949年 -)は米国占領下の沖縄(沖縄民政府)羽地村出身の武道師範。 6歳で空手を学び始め、後に柔道と剣道を併せて学んだ。 10代の頃、知念正美の直接の弟子で沖縄に残っていた唯一の流派師範である喜舎場朝義に、西銘清らと共に山根流(または山根知念流)を学び始めた。島派松林流九段、山根流八段。 1978年に沖縄県警刑事を引退した後、アメリカに移住。 2019年の夏、沖縄に帰郷。 1985年、彼と喜舎場は沖縄武道の研究開発を専門とする組織RBKD(琉球武術研究道会)を設立した。彼は国内外でセミナーを開催している。
上原 清吉(うえはら せいきち、1904年3月24日 - 2… 上原 清吉(うえはら せいきち、1904年3月24日 - 2004年4月3日)は、日本の武術家。本部朝勇の高弟の一人であり、本部御殿手古武術の第12代宗家。 1904年(明治37年)、沖縄県島尻郡小禄村(現・那覇市小禄)に上原蒲戸の五男として生まれた。上原家は農業と味噌・醤油の醸造を生業とする比較的裕福な家庭であったが、清吉が小学生の頃、兄の事業の失敗で一家は一転苦しい生活に追い込まれた。これが原因で、清吉も進学を断念し家業を手伝うことになった。 1916年(大正5年)に本部朝勇の道場に入門した。本部朝勇は、旧琉球王族である本部御殿の直系当主であり、弟には当時沖縄最強の唐手(現・空手)家として知られた本部朝基をもつ著名な武術家であった。
国吉 真吉(くによし しんきち、1848年 - 1926年)… 国吉 真吉(くによし しんきち、1848年 - 1926年)は、琉球王国時代から明治期にかけて活躍した沖縄県の武術家。 国吉真吉(琉球方言で、クニシ シンキチ)は、1848年、父・国吉真善、母・マチの長男として那覇・久茂地村に生まれた。あだ名は、のちに名護間切(現・名護市)に転居した事から“久茂地の山原国吉(やんばる・くにし、やんばるは名護など国頭郡の俗称)” と呼ばれた。因みに、廃藩置県以前の沖縄本島には「山原」という名字(家名)は存在しないので、これは山原国吉(やまはら・くにきち)という姓名ではない。他に“国吉のタンメー”、“武士国吉”とも呼ばれた。国吉家は、査姓国吉親雲上真元を元祖とし、その七世国吉筑登之親雲上五男真一を系祖として分かれた琉球士族であったとされる。