追風海 直飛人(はやてうみ なおひと、1975年7月5日 -… 追風海 直飛人(はやてうみ なおひと、1975年7月5日 - )は、日本の元大相撲力士、政治家。元日本オリンピック委員会委員。本名は齊藤 直飛人(さいとう なおひと)、愛称はサイトー。力士としては追手風部屋(入門時は友綱部屋)に所属し、現役時代の体格は身長184cm、体重129kg、得意手は右四つ、寄り。最高位は西関脇(2000年11月場所)。政治家としては自由民主党に所属し、青森県議会議員(3期)、青森県板柳町議会議員(1期)を務めた。血液型はO型。趣味は読書。 前廻しを取っての寄りや投げを得意とし、玄人受けする力士だった。 青森県北津軽郡板柳町出身。板柳町立板柳中学校から埼玉栄高校に進学し相撲部へ入部。
高橋 千鶴子(たかはし ちづこ、1959年9月16日 - )… 高橋 千鶴子(たかはし ちづこ、1959年9月16日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(7期)、青森県議会議員(1期)を務めた。 秋田県能代市に生まれる。父は寿司屋になるため修業中で家に不在で母は新聞配りをしながら育てた。小学校入学と同時に小坂町にうつり、寿司屋を開業。町で一軒だけのすし屋だった。高校は県立大館桂高校。弘前大学を入学・卒業後、私立東奥女子高等学校教諭となる。 1983年(昭和58年)に日本共産党に入党。1991年(平成3年)の参議院補欠選挙を皮切りに、国政選挙に6回挑戦するものの、いずれも落選。1999年(平成11年)に青森県議会議員に初当選した。 2003年(平成15年)、松本善明の後継として第43回衆議院議員総選挙に比例東北ブロックから出馬し、初当選。
櫻田 宏(さくらだ ひろし、1959年(昭和34年)6月3日… 櫻田 宏(さくらだ ひろし、1959年(昭和34年)6月3日 - )は、日本の政治家。元青森県弘前市長(2期)。 青森県弘前市生まれ。元弘前市長の櫻田清芽は祖父。弘前市立桔梗野小学校、弘前市立第四中学校、青森県立弘前高等学校卒業。1年浪人後、弘前大学人文学部経済学科に入学。1983年3月、同大学卒業。同年4月、弘前市役所に入庁、弘前市観光振興部長。 2018年4月8日に行われた弘前市長選挙に、市職員労組連合会の推薦を得て立候補。3選を目指す現職の葛西憲之は地元青森3区選出の木村次郎衆議院議員に再三にわたり応援依頼をするが、木村は「中立」を貫いた。櫻田は、葛西の進める「箱物行政」への批判票を取り込み、初当選を果たした。
熊坂 義裕(くまさか よしひろ、1952年〈昭和27年〉1月… 熊坂 義裕(くまさか よしひろ、1952年〈昭和27年〉1月10日 - )は、日本の内科医師、医学博士、元政治家。元岩手県宮古市長(旧市時代も含め、3期)。盛岡大学客員教授(元栄養科学部学部長、栄養科学科教授)、京都大学医学部非常勤講師。弘前大学医学部学部長講師。日本糖尿病学会専門医。 福島県福島市生まれ。福島市立野田小学校、福島市立野田中学校、福島県立福島高等学校を経て、東北大学工学部中退、弘前大学医学部卒業。 市長を経験した医師として、社会保障や災害復興、地方行政等について活発な提言を行っている。 1978年(昭和53年)に弘前大学医学部を卒業後、同大学医学部第三内科に入局し、同大学付属病院内科医師、同大学医学部助手となった。
志賀 直温(しが なおはる、1948年(昭和23年)10月1… 志賀 直温(しが なおはる、1948年(昭和23年)10月14日 - )は、日本の政治家。元千葉県東金市長(5期)、元東金市議会議員(3期)。 千葉県山武郡東金町(現・東金市)押堀に生まれる。東金市立東金小学校、東金市立東金第一中学校、千葉県立成東高等学校卒業。1971年(昭和46年)3月、弘前大学農学部卒業。 1989年(平成元年)、東金市議会議員選挙に初当選。以後、市議を3期務める。 1998年(平成10年)の東金市長選挙に初当選。4月25日、市長就任。2012年(平成24年)、千葉県市長会会長に就任。 2014年(平成26年)の市長選では5回目の当選を果たした。 2018年(平成30年)の市長選には立候補せず、5期20年を以て引退を表明した。
岸部 陞(きしべ すすむ、1936年(昭和11年)6月23日… 岸部 陞(きしべ すすむ、1936年(昭和11年)6月23日 - 2025年5月15日)は、日本の政治家、医師。元秋田県北秋田市長(1期)。 弘前大学大学院医学研究科博士課程修了後、北秋中央病院勤務。院長を務めた。2003年の鷹巣町長選挙に出馬、高福祉・合併反対を掲げる3期目の現職岩川徹を破り、初当選。 2005年3月22日、鷹巣町は、北秋田郡の森吉町・合川町・阿仁町の3町と合併し北秋田市となり廃止された。これに伴い行われた北秋田市長選挙で旧鷹巣町議との一騎討ちを制し、初代市長に当選した。 2012年(平成24年)11月22日、医師退職による無医村問題に揺れる上小阿仁村に赴き、上小阿仁村国保診療所所長に就任、診療を開始した。
山崎 竜男(やまざき たつお、1922年5月5日 - 200… 山崎 竜男(やまざき たつお、1922年5月5日 - 2009年8月15日)は、日本の政治家、医師。参議院議員(4期)。 父は衆議院議員や青森県知事を務めた山崎岩男、息子は参議院議員を務めた山崎力、孫は外ヶ浜町長の山崎結子。 東京都出身。青森医学専門学校(現弘前大学医学部)卒業。 産婦人科医として病院勤務後、1965年の参議院議員選挙に青森県選挙区から無所属で立候補したが落選。 3年後の1968年の参議院議員選挙に再び青森県選挙区から無所属で立候補し初当選。当選後は自由民主党に入党した。党内では船田中派→田中角栄派を経て宮澤喜一派に属し、行政管理政務次官、参議院文教委員長などを歴任後、1989年、宇野内閣の環境庁長官として初入閣。
森田 重次郎(もりた じゅうじろう、1890年5月25日 -… 森田 重次郎(もりた じゅうじろう、1890年5月25日 - 1988年5月12日)は、日本の政治家。位階は従三位。衆議院議員(7期)。 青森県上北郡上北町(現東北町)出身。幸次郎の長男。1911年、青森師範卒業。1937年、衆議院議員に当選。戦後、公職追放されたが、1952年の総選挙で当選して国政に復帰し、衆議院議員を通算7期務めた。 1973年4月の春の叙勲で勲四等から勲一等に叙され、瑞宝章を受章する。 1988年5月12日、死去。97歳没。同月17日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付で従三位に叙された。
阿部 武智雄(あべ たけちお、1863年3月17日(文久3年… 阿部 武智雄(あべ たけちお、1863年3月17日(文久3年1月28日) – 1931年(昭和6年)2月3日)は、衆議院議員(立憲政友会→政友本党)。 陸奥国北津軽郡七和村(現在の青森県五所川原市)に阿部弥吉の長男として生まれる。青森県師範学校を卒業後、小学校訓導を務めていたが、政界に進出し、七和村会議員、北津軽郡会議員、同参事会員、同議長、青森県会議員、同参事会員、同副議長、同議長を歴任した。岩木川改修期成同盟会長として岩木川の治水に尽力し、また造林事業にも力を注いだ。 1917年(大正6年)、第13回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第14回衆議院議員総選挙でも再選された。 その他に青森日報社専務取締役を務めた。
成田 徳之進(なりた とくのしん、1856年(安政3年) -… 成田 徳之進(なりた とくのしん、1856年(安政3年) - 1936年(昭和11年))は日本の政治家。青森県弘前市長。 1879年、青森県師範学校卒。北津軽郡教督となる。その後、東津軽郡書記となり、20年間務める。1933年、政友会の後押しを受け、弘前市長に就任する。当初、政友会は市長に元市長の石郷岡文吉を推したが、反政友会派は吉岡文蔵を推した。そのため、市長候補を元市会議長の三上直吉に変更、反政友会派も元市会議長の東海健蔵に変えた。投票では15対14の1票差で三上となったが、反政友会派はこれを認めず、東海を市長にした。そのため、市長が二人いるという前代未聞の事態となった。事態を重く見た青森県は選挙のやり直しを命じ、市長選はやり直しとなり、政友会に推された成田と反政友会派の東海の争いとなり、再選挙の結果、成田が勝利した。