荒木 準也(あらき じゅんや、1971年 - )は、山形県寒… 荒木 準也(あらき じゅんや、1971年 - )は、山形県寒河江市出身の元アマチュア野球選手(外野手)、野球指導者。 日大山形高校では高校2年生の時に1988年の夏の甲子園に出場した経験がある。高校卒業後に東北福祉大学に進学して硬式野球部に所属し、1993年の全日本大学野球選手権大会では同じ4年の関根裕之、三野勝大投手を擁してチームはベスト4まで進んだ。 大学卒業後は、社会人野球のプリンスホテルに入団し、東京スポニチ大会で新人賞。1995年の「'95ワールド・ベースボール・ウィーク・イン・ジャパン」の全日本メンバーにも選ばれた。1年先輩の宮本慎也や小林幹英、星野智樹らとプレー。 2000年にチームが解散したのを機に、故郷に戻り、家業の鋼材リサイクル会社で勤務していたが、2002年からは母校の日大山形高校の監督を務めており、2013年の夏の甲子園ではチームを県勢初のベスト4に導いた。
仲井 宗基(なかい むねもと、1970年5月3日 - )は、… 仲井 宗基(なかい むねもと、1970年5月3日 - )は、大阪府大阪市出身の日本の高校野球指導者及び社会科教諭。 高校時代は、大阪府の桜宮高校で主将として活躍し、3年夏の大阪府大会では準優勝の成績を修める。 高校卒業後は、東北福祉大学に進学。大学では副主将として活躍し、2年次は全日本大学野球選手権大会で優勝を経験。 高校、大学を通じての2学年先輩に同じ捕手の矢野燿大、1学年先輩に斎藤隆、金本知憲らが、1学年後輩に荒木準也(日大山形高監督)がいた。 大学卒業後は、野球部コーチを経て青森県の光星学院高校に社会科教諭として着任し、野球部のコーチや部長を経て、2010年3月30日に監督・金沢成奉が退任し4月1日付で監督に就任することが発表された。
岩井 隆(いわい たかし、1970年1月29日 - )は、日… 岩井 隆(いわい たかし、1970年1月29日 - )は、日本の高校野球指導者。花咲徳栄高等学校社会科教諭、硬式野球部監督。 川口市立幸並中学校から神奈川県の桐光学園高等学校に進学。高校時代の恩師は後に花咲徳栄高等学校の監督に就任する稲垣人司だった。 高校卒業後、東北福祉大学に進学。野球部の同級生には斎藤隆、金本知憲、2学年先輩には佐々木主浩がいた。 大学卒業後は1992年から花咲徳栄高校に社会科教諭として赴任。野球部のコーチも兼ねる。(1989年から稲垣が同校の野球部監督を務めていた)師匠の稲垣と共に野球部の指導に尽力した。しかし稲垣が2000年10月15日に同校グラウンドで横浜隼人高等学校との練習試合中にベンチで倒れ心筋梗塞のため急逝。
浜名 千広(はまな ちひろ、1969年11月11日 - )は… 浜名 千広(はまな ちひろ、1969年11月11日 - )は、大阪府豊中市出身の元プロ野球選手(内野手)。現在は野球評論家、プロ野球解説者、アマチュア野球選手。 鳥取県に生まれ、大阪府豊中市(小学校時代)及び京都府(中学校時代)で育つ。小学校3年時から野球を始める。国士舘高校では内野手として活躍。 高校卒業後は東北福祉大学に進学し、仙台六大学野球リーグでは在学中7回の優勝を経験、2年春季リーグで新人賞を獲得している。1990年の大学野球日本選手権は決勝で亜大に敗退し準優勝。同年の第19回日米大学野球選手権大会に大学1年上の小坂勝仁、矢野輝弘らとともに選出される。1991年の大学野球日本選手権は、決勝で関大を延長17回の熱戦の末に降し初優勝を飾る。
伊藤 博康(いとう ひろやす、1969年9月13日 - )は… 伊藤 博康(いとう ひろやす、1969年9月13日 - )は、福島県相馬市出身の元プロ野球選手(外野手)。 学法石川高時代は、2年夏、3年春の選抜と甲子園に出場。チームメイトに諸積兼司と作山和英がいた。 高校卒業後は、作山とともに東北福祉大学に進学。4年次は主将を務めて春に最多打点、最多本塁打、全日本大学野球選手権で初優勝する。秋はベストナイン。この年は日米大学野球でMVP。 1991年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから4位指名を受け入団。 ルーキーイヤーの1992年、緒方耕一、川相昌弘、ロイド・モスビー、原辰徳が故障によりスタメンから外れるという緊急事態に急遽一軍昇格で即1番ライトでスタメンに抜擢されると、5打席で二塁打2本2四球という鮮烈デビューを飾る。
作山 和英(さくやま かずひで、1969年6月4日 - )は… 作山 和英(さくやま かずひで、1969年6月4日 - )は、福島県相馬市出身の元プロ野球選手(投手)。 学法石川高では、2年生時の1986年に夏の甲子園に控え投手として出場。2回戦(初戦)で東洋大姫路高の長谷川滋利、島尾康史の継投に抑えられ敗退。この試合ではリリーフとして起用され甲子園初登板を果たす。翌1987年には春の選抜にも出場。1回戦で先発するが池田高に敗れる。高校同期に伊藤博康、諸積兼司がいた。 高校卒業後は、高校同期の伊藤とともに東北福祉大学に進学。仙台六大学野球リーグでは在学中7回優勝。1991年の全日本大学野球選手権大会では決勝で関大と対戦。延長17回の熱戦を制し優勝投手となる。
宮川 一彦(みやかわ かずひこ、1969年2月23日 - )… 宮川 一彦(みやかわ かずひこ、1969年2月23日 - )は、東京都葛飾区出身の元プロ野球選手(内野手)。 静清工業高時代は、3番・遊撃手として活躍。東北福祉大学では、2番を打ち俊足巧打の外野手として4年春ベストナイン(秋は二塁手)に選出された。4年次には大学選手権で準優勝、日米大学野球にも選出。大学通算打率.320 8本塁打。1学年上に佐々木主浩、大塚光二、同期に矢野燿大、1学年下に斎藤隆、金本知憲らがいた。 1990年のプロ野球ドラフト会議で横浜大洋ホエールズから2位指名を受け入団。 即戦力として期待され、プロ1年目の1991年から一軍出場を果たすが、打撃が非力で代打・守備要員止まりだった。
吉田 太(よしだ ふとし、1968年9月8日 - )は、大阪… 吉田 太(よしだ ふとし、1968年9月8日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
小坂 勝仁(おさか かつひと、1968年6月14日 - )は… 小坂 勝仁(おさか かつひと、1968年6月14日 - )は、日本の芸能マネージャーで、元プロ野球選手(投手)。大阪市出身。
川邉 忠義(かわべ ただよし、1968年4月30日 - )は… 川邉 忠義(かわべ ただよし、1968年4月30日 - )は、秋田県秋田市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 1994年までの登録名は川辺 忠義(読み同じ)。 NPBにおける、史上初の人的補償選手。 小学4年の時に野球を始める。 秋田工業高時代は、3年次の1986年に夏の選手権に出場。3回戦の佐伯鶴城高戦で完投したが0-2で敗れた。高校の同級生に元ラグビー日本代表の吉田義人がいる。 高校卒業後、東北福祉大学からの熱心な勧誘もあったが、1987年に社会人野球の川崎製鉄千葉へ入社。1989年に全日本メンバーに選出、日本対キューバ野球選手権、IBAFインターコンチネンタルカップ、アジア野球選手権大会に出場した。
大塚 光二(おおつか こうじ、本名:大塚 孝二(読み同じ)、… 大塚 光二(おおつか こうじ、本名:大塚 孝二(読み同じ)、1967年8月26日 - )は、元プロ野球選手(外野手)・コーチ。2015年7月27日からは、東北福祉大学硬式野球部の監督を務めている。
金沢 成奉(かなざわ せいほう、1966年11月13日 - … 金沢 成奉(かなざわ せいほう、1966年11月13日 - )は、大阪府吹田市出身の日本の高校野球指導者。 小学校3年生から野球を始める。中学校時代から主に二塁手としてプレーし、太成高校では3年時に副キャプテンを務める。3年夏には優勝候補の一角に挙げられていたが当時の監督の不祥事により出場を辞退。この経験から「子供たちを甲子園につれて行きたい」と思うようになり、指導者を志すこととなる。 東北福祉大学に進学後は1年時に肩を脱臼し、手術した影響から3年時からは学生コーチとなる。大学の3学年後輩には金本知憲がいた。 大学卒業後は会社員としての生活を経て、東北福祉大学のコーチを2年間務める。1995年からは青森県の光星学院高校の監督に就任し、春夏通算8度の甲子園出場を果たす。
上岡 良一(うえおか りょういち、1966年8月11日 - … 上岡 良一(うえおか りょういち、1966年8月11日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(投手)。野球解説者。 中学時代は陸上部に所属。桜宮高から野球を始め、1983年の2年夏は大阪府大会決勝で1年生の清原和博・桑田真澄のKKコンビがいたPL学園高校に敗れた。 1985年に高校卒業後、東北福祉大学に進学。桜宮高の前監督伊藤義博が監督に就いていた、仙台六大学野球連盟に加盟している当時大学球界では無名の硬式野球部に入部し、1年春から活躍。 同1985年、1年秋の明治神宮大会(第16回大会)では初戦で先発し、東海大の荻原満と投げ合うが1-2×で惜敗。翌1986年、2年時の大学選手権(第35回大会)では1回戦で3年生古田敦也らの立命館大を5-4(延長11回)で下したものの、2回戦の猪俣隆投手ら擁する法政大に1-7で敗退。
長島 哲郎(ながしま てつろう、1959年11月9日 - )… 長島 哲郎(ながしま てつろう、1959年11月9日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 仙台育英高時代は、甲子園常連校に在学しながら(在学中、1年次と3年次に硬式野球部が夏の甲子園出場)、当時は書道部であったという異例の経歴の持ち主。 高校卒業後、東北福祉大学に進学して仙台六大学野球連盟に加盟する同校の硬式野球部に入部し、本格的に野球を始める。在学中はリーグ戦で7回の優勝を果たす。3年秋の明治神宮大会では初戦で近大を相手に完投したが1失点で惜敗。4年秋の仙台大学戦では9連続を含む17三振を奪取し、シーズン5試合で63奪三振を記録して一躍「仙台の怪腕」と注目される。リーグ通算成績23勝4敗。