スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
森本 麻里子(もりもと まりこ、英: Mariko Mori… 森本 麻里子(もりもと まりこ、英: Mariko Morimoto、1995年3月17日 - )は、日本の陸上競技選手及び元ボブスレー選手。陸上競技での専門は三段跳。 大阪府枚方市出身。枚方市立枚方中学校→太成学院大学高等学校→日本女子体育大学。 ジュニア時代に地元の「ひらかたキングフィッシャーズスポーツクラブ」に入会し、陸上競技に取り組む。ジュニア年代から跳躍種目を選択して各種大会に出場。太成学院大学高等学校3年の時には「平成24年度全国高等学校総合体育大会 / 第65回全国高等学校総合体育大会陸上競技大会」(新潟県・新潟スタジアム)に出場、走幅跳で6mを跳び2位入賞を果たしている。 日本女子体育大学進学後に三段跳のみに専心するようになり、大学3年次の2015年「第84回日本学生陸上競技対校選手権大会」(大阪市・長居陸上競技場)で12m58を跳んで2位入賞を果たしている。
今村 信貴(いまむら のぶたか、1994年3月15日 - )… 今村 信貴(いまむら のぶたか、1994年3月15日 - )は、大阪府四條畷市出身の元プロ野球選手(投手)。 小学1年から投手として野球を始める。四條畷南中時代は、生駒シニアに所属。 太成学院大学高等学校では、1年時の秋からエースとなる。2年時の秋に大阪大会ベスト8に進出し注目され、「近畿No.1左腕」の異名を取るようになる。3年時の夏は、初戦の守口東高戦で5回参考ながらノーヒットノーランを達成。しかし、4回戦の金光大阪高戦で8回14安打7失点と打ち込まれ敗退した。夏の大会後も練習を続け、入学時に120km/h台だったストレートが最速149km/hまで伸びた。 2011年10月27日、プロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから2位指名を受け、契約金6000万円、年俸600万円で入団に合意した(金額は推定)。
桂 依央利(かつら いおり、1991年7月9日 - )は、大… 桂 依央利(かつら いおり、1991年7月9日 - )は、大阪府大阪市東住吉区出身の社会人野球選手、コーチ、元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 小学校2年から、南百済ファイターズでソフトボールを始め、中野中学校時代は東住吉ボーイズに所属。太成学院大学高等学校では1年秋から背番号5でベンチ入り。高校の2年後輩に今村信貴がいる。 大阪商業大学では2年春に正捕手となる。4年春秋と首位打者、ベストナイン。第44回明治神宮野球大会では準決勝で敗退。関西六大学リーグでは72試合出場で通算65安打、打率.290、1本塁打、20打点。 2013年度プロ野球ドラフトで中日ドラゴンズから3位指名を受け入団。背番号は40。
田中 裕人(たなか ひろと、1990年4月26日 - )は、… 田中 裕人(たなか ひろと、1990年4月26日 - )は、大阪府出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 ハードワークを欠かさず、タイトなマークで相手の攻撃の芽を摘み取るボランチ。 2013年にジュビロ磐田に入団。同年3月20日に行われたナビスコカップ・大宮アルディージャ戦でプロデビュー。 2015年12月19日に、V・ファーレン長崎へ期限付き移籍することが発表された。 2017年、間瀬愛媛FCへ期限付き移籍。同年12月14日、ジュビロ磐田より完全移籍で加入することが発表された。2019年に新潟戦で逆転のJ初ゴールをヘディングで決める。また、栃木戦でもボレーで合わせて得点した。
山本 慎吾(やまもと しんご、1985年12月28日 - )… 山本 慎吾(やまもと しんご、1985年12月28日 - )は、大阪府三島郡島本町出身の日本の陸上競技選手、陸上競技コーチ。専門は短距離走。NOBY T&F CLUB所属、マネジメントは吉本興業。 島本町立第四小学校に入学した小学1年生から陸上をはじめ、1997年に100mで11秒73と当時の日本小学生新記録をマーク。 中学校は島本町立第一中学校へ入学し、1年生の時に11秒16の中1歴代最高記録をマークし、2年生の時には10秒95(中2歴代8位)を記録、全日本中学校陸上競技選手権大会(以下「全中」)200mでは2位に輝く。3年生の時には10秒77(中学歴代10位)をマークした。当時の山本は、初動負荷理論に基づいたトレーニングを中学生ながら早くに取り入れていた。
河嶋 康太(かわしま こうた、1985年10月26日 - )… 河嶋 康太(かわしま こうた、1985年10月26日 - )は、日本のラグビーユニオン選手。 2004年、太成学院大高校卒業後、京都産業大学に入る。 2008年、京都産業大学卒業後、セコムラガッツに加入。 2009年、近鉄ライナーズに加入。同年9月26日に行われたジャパンラグビートップリーグ第4節のサントリーサンゴリアス戦に途中出場で公式戦初出場を果たした。 2017年、近鉄ライナーズを退団した。
藤井 拓郎(ふじい たくろう、1985年4月21日 - )は… 藤井 拓郎(ふじい たくろう、1985年4月21日 - )は、日本の元競泳選手、競泳指導者。大阪府河内長野市出身。2008年北京オリンピック400mメドレーリレー銅メダリスト、2012年ロンドンオリンピック400mメドレーリレー銀メダリスト。
桝田 雄太郎(ますだ ゆうたろう、1985年3月27日 - … 桝田 雄太郎(ますだ ゆうたろう、1985年3月27日 - )は、大阪府吹田市出身の元サッカー選手。ポジションはDF。
足立 真梨子(あだち まりこ、1983年7月21日 - )は… 足立 真梨子(あだち まりこ、1983年7月21日 - )は、日本のトライアスロン選手。 大阪府枚方市出身。太成高校卒、同志社大学卒。 トーシンパートナーズ・ チームケンズ所属。2010年アジア競技大会金メダリスト。 2歳のころから水泳を始め、大阪・枚方SS時代には、アテネ五輪の競泳で銅メダルを獲得した中西悠子と一緒に練習していた。 大学2年のときにトライアスロンに転向したが、翌年のレース中、自転車の下りカーブで転倒し、フェンスに激突。左手首を骨折して体にはフェンスが突き刺さる怪我を負った。一時期は競技活動を休止していたが、家族らの励ましもあり、2006年に競技に復帰した。 2012年ロンドンオリンピックに日本代表として出場、14位となった。
荒川 大輔(あらかわ だいすけ、1981年9月19日 - )… 荒川 大輔(あらかわ だいすけ、1981年9月19日 - )は、日本の陸上競技選手で走幅跳を専門としている。 2002年5月3日の静岡国際で8m06を跳び、日本人9人目の8メートルジャンパーとなり、2007年には日本選手権で初優勝し、大阪開催の世界陸上の代表に選ばれた。 中宮中→太成高→同大→ニチレク→大阪陸協→同志社陸友会→大阪陸協→NOBY T&F CLUB(大阪)
村川洋平(むらかわ ようへい、1981年5月1日 - )は、… 村川洋平(むらかわ ようへい、1981年5月1日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は砲丸投。現在の日本トッププッターの一人である。大阪府出身。 泉大津市立誠風中学校時代に、中学新記録を樹立。全日本中学校選手権で優勝を飾った。 太成学院大学高等学校でも力を発揮した。 1998年の全国高校総体(丸亀)では2年生で4位入賞。 1999年、岩手県で行われた全国高校総体では、最終6投目で大逆転劇を演じ、優勝をもぎ取った。 2000年、筑波大学体育学群に進学。大学卒業後、競技に専念できる環境を求めたがかなわず企業就職はしなかった。地元の泉大津アスリートクラブに所属し、日本選手権優勝。その後、スズキに就職し、スズキ浜松アスリートクラブに所属し、競技に打ち込んだ。
梶原 雄太(かじわら ゆうた、1980年〈昭和55年〉8月7… 梶原 雄太(かじわら ゆうた、1980年〈昭和55年〉8月7日 - )は、日本のお笑いタレント、YouTuber、声優。お笑いコンビ・キングコングのボケ担当。相方は西野亮廣。吉本興業所属。 大阪府大阪市都島区出身、太成高等学校電子機械科(現:太成学院大学高等学校)卒業。5児の父。三男の末っ子。 2018年10月から「カジサック」の芸名でYouTubeチャンネル『カジサックの部屋』を開設する。由来は自身が出演していたテレビ番組『はねるのトびら』(フジテレビ系列)の本人曰く非常にスベったコントで演じたキャラクター名から。 1980年8月7日、大阪府岸和田市で母親が31歳の時に帝王切開で誕生。梶原が産まれる前、母が妊娠したが、父は「家計的にも辛いから下そう」という考えだった。
柘植 智幸(つげ ともゆき、1977年 - )は、日本のコン… 柘植 智幸(つげ ともゆき、1977年 - )は、日本のコンサルタント。株式会社じんざい社の代表取締役。大阪府八尾市出身。 太成学院大学高等学校、大阪ビジネスカレッジ専門学校経営学科(高校2年生よりダブルスクール)を卒業後の1999年にレディーバードを創業。 自らの就職活動の失敗と経験を生かし、2002年に人材コンサルティング事業を行う株式会社じんざい社を設立し代表取締役に就任。大学生の就職支援や全国で講演活動などを行っている。企業の経営戦略、若手社員や内定者への教育・研修の一方、『「ゆとり教育世代」の恐怖』という自らの著書があるようにゆとり教育及びゆとり世代に関しては否定的である。
砂田 貴裕(すなだ たかひろ、1973年1月19日 - )は… 砂田 貴裕(すなだ たかひろ、1973年1月19日 - )は、大阪府出身の元長距離走選手。1998年6月から2018年6月まで、ウルトラマラソン(IAAF 100km)の元世界記録保持者。2023年の日本陸上競技選手権、3000メートル障害で2位に入った砂田晟弥は次男。 太成高等学校卒業後、大阪ガスに入社。1992年、防府読売マラソンで2時間15分30秒(U20 ジュニア日本最高記録、当時10代日本最高記録)を記録した。姫路市陸協(シーエス建設)に移籍後の1995年1月、東京シティハーフマラソンで1時間1分23秒(現在は非公認コースの参考記録となっている)を記録した。 1995年積水化学工業に移籍。
森長正樹(もりなが まさき、1972年3月27日 - )は、… 森長正樹(もりなが まさき、1972年3月27日 - )は、日本の陸上競技選手で、数々の世界大会に日本代表として出場した走幅跳の第一人者。走幅跳の元日本室内記録保持者。現在は日本大学スポーツ科学部の教授を務めながら、同大学の陸上競技部跳躍コーチも務めている
琵琶 博之(びわ ひろゆき、1972年(昭和47年)- )は… 琵琶 博之(びわ ひろゆき、1972年(昭和47年)- )は元蘭越町議会議員。無所属。大阪府東大阪市出身。 太成高等学校、同志社大学法学部法律学科卒業。日本電信電話株式会社を退職後、ネットビジネス会社経営を経て2010年に北海道蘭越町に移住。新婚旅行で訪れたスイスの風景に憧れ、ニセコ・ヒラフが最も近いと感じたことによる。2011年4月に蘭越町議会議員選挙に立候補。移住半年、選挙活動は主にネットで行い選挙費用は約2000円という破格のものであったが、定数10人に対し10人しか立候補者がいなかったために初当選。現職町議会議員のまま大阪維新の会の維新政治塾に通い、2013年に北海道維新の会を設立する。
金沢 成奉(かなざわ せいほう、1966年11月13日 - … 金沢 成奉(かなざわ せいほう、1966年11月13日 - )は、大阪府吹田市出身の日本の高校野球指導者。 小学校3年生から野球を始める。中学校時代から主に二塁手としてプレーし、太成高校では3年時に副キャプテンを務める。3年夏には優勝候補の一角に挙げられていたが当時の監督の不祥事により出場を辞退。この経験から「子供たちを甲子園につれて行きたい」と思うようになり、指導者を志すこととなる。 東北福祉大学に進学後は1年時に肩を脱臼し、手術した影響から3年時からは学生コーチとなる。大学の3学年後輩には金本知憲がいた。 大学卒業後は会社員としての生活を経て、東北福祉大学のコーチを2年間務める。1995年からは青森県の光星学院高校の監督に就任し、春夏通算8度の甲子園出場を果たす。
吉川 弘幸(よしかわ ひろゆき、1965年9月22日 - )… 吉川 弘幸(よしかわ ひろゆき、1965年9月22日 - )は、鹿児島県出身の元プロ野球選手(外野手)。 太成高から、1983年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから5位指名を受け入団。俊足の外野手として期待される。 1986年にウエスタン首位打者を獲得。プロ5年目の1988年に一軍初出場を果たし、1989年には初安打も記録したが、1990年限りで現役を引退。
古久保 健二(ふるくぼ けんじ、1964年6月23日 - )… 古久保 健二(ふるくぼ けんじ、1964年6月23日 - ) は、大阪府豊中市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ、プロ野球監督。 太成高校では2年秋府大会ベスト8、3年夏は府大会ベスト4へ進出したが優勝する春日丘高校に敗れた。卒業後、1982年のドラフト6位で近鉄バファローズに入団。 1985年に一軍初出場を果たし、当時の近鉄捕手陣は10年以上に渡り、主戦であった梨田昌孝・有田修三の「ありなしコンビ」に衰えが見え始めた頃で、年齢が近い山下和彦・光山英和・古久保の3人で次世代の正捕手争いを繰り広げることになる。 1988年、優勝がかかった10月19日のロッテ戦ダブルヘッダー第1試合(川崎)に途中出場するも9回表2死から代打・梨田が起死回生の勝ち越し適時打を放ち、9回裏に梨田がそのままマスクを被ったが、その前の捕手が古久保であった。
川原 新治(かわはら しんじ、1962年2月5日 - )は、… 川原 新治(かわはら しんじ、1962年2月5日 - )は、大阪府大阪市鶴見区出身の元プロ野球選手(投手)。 太成高から大阪商業大学へ進学。関西六大学野球リーグでは、同期の清川栄治との二本柱で1982年春季リーグから3連覇を果たす。同年春季から秋季リーグにかけ、現在でもリーグ記録である7試合連続完封勝利と77イニング連続無失点を記録した。同年の明治神宮大会は決勝で東海大に2-3で惜敗するが準優勝と健闘。翌1983年秋季リーグでは、リーグ再編後初のノーヒットノーランを達成した。3季連続で最優秀選手に選ばれ、4年春はベストナイン。リーグ通算48試合に登板し23勝8敗、防御率0.97。 1983年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから4位指名を受け入団。
稲生 高善(いなせ たかよし、1954年2月15日 - )は… 稲生 高善(いなせ たかよし、1954年2月15日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(捕手)。 太成高から、1971年にドラフト外で南海ホークスへ入団。 1974年に南海ホークスを自由契約となり、1年ブランクが開いたが広島のテストを受け合格し、1976年に再度プロ入り。 しかし、1978年に一軍公式戦に出場がないまま引退。