荒巻 悠(あらまき ゆう、2002年12月23日 - )は、… 荒巻 悠(あらまき ゆう、2002年12月23日 - )は、福岡県久留米市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。読売ジャイアンツ所属。 祐誠高等学校では1年夏からベンチ入りし、高校通算37本塁打を記録した。 高校卒業後は上武大学へ進学。3年秋に出場した関東地区大学野球選手権大会では、日本体育大学との決勝で2打席連続本塁打を放って優勝に貢献した。 2024年10月24日に開催されたドラフト会議にて、読売ジャイアンツから3位指名を受けた。11月19日に契約金6000万円、年俸1000万円で仮契約した。担当スカウトは大場豊千。背番号は60。 2025年、開幕は二軍で迎えたが、4月15日に初めて一軍登録され、同日の横浜DeNAベイスターズ戦(東京ドーム)で代打としてプロ初出場を果たした。
進藤 勇也(しんとう ゆうや、2002年3月10日 - )は… 進藤 勇也(しんとう ゆうや、2002年3月10日 - )は、福岡県福岡市西区出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。 福岡市立福重小学校3年生のときから福重バスターズでソフトボールを始め、当時から捕手としてプレー。 福岡市立内浜中学校進学後は少年硬式野球チームの糸島ボーイズでプレーし、全国大会出場も経験するが、控え捕手だった。 筑陽学園高等学校では1年秋から正捕手を務める。同学年の西舘昂汰とバッテリーを組み、3年春の第91回選抜高等学校野球大会、夏の第101回全国高等学校野球選手権大会に出場した。 高校卒業後は上武大学へ進学し、硬式野球部では1年秋からベンチ入りし、2年春には正捕手を務めた。
古川 裕大(ふるかわ ゆうだい、1998年6月19日 - )… 古川 裕大(ふるかわ ゆうだい、1998年6月19日 - )は、福岡県八女市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投左打。 八女市立長峰小学校で野球を始める。八女市立福島中学校時代は久留米ボーイズに所属し、U-15野球日本代表に選出された。 久留米市立久留米商業高等学校では1年秋から正捕手の座を獲得し、3年時は副主将を務めた。甲子園出場経験はなかった。1学年下に井上絢登がいる。 上武大学では1年春からベンチ入りを果たし、2年春にはDHのベストナインを獲得する。3年春には本塁打王、打点王、最高出塁率のタイトルを獲得する。3年秋には首位打者を獲得し、大学野球日本代表に選出される。大学時代の通算本塁打は12本。
三木 亮(みき りょう、1991年10月25日 - )は、千… 三木 亮(みき りょう、1991年10月25日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(内野手)。
加藤 翔平(かとう しょうへい、1991年3月28日 - )… 加藤 翔平(かとう しょうへい、1991年3月28日 - )は、埼玉県加須市出身の新聞記者、元プロ野球選手(外野手)。右投両打。 加須市立三俣小学校2年時に野球を始める。陸上競技やサッカーなども同時にやっていたが、父からの「陸上より野球の方が面白い」という言葉で野球に専念することになった。小学校時代は「三俣タイガース」に、加須市立昭和中学校時代は「加須シニア」に所属。その後、野球と勉強をしっかりとやって公立高校で私立に勝ちたいという思いから、春日部東高校へ進学した。 1年夏の県大会後、当時のコーチからの薦めで左打ちにも挑戦。コーチからの指導と人一倍の練習量と練習時間で、約1か月後の練習試合では早くも安打を打つなど、左打ちを自分のものにした。
安達 了一(あだち りょういち、1988年1月7日 - )は… 安達 了一(あだち りょういち、1988年1月7日 - )は、群馬県高崎市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、プロ野球コーチ。現在はオリックス・バファローズで内野守備走塁コーチを務める。 高崎市立北小学校在学中はソフトボールに興じていたが、高崎市立第一中学校への入学後に、校内の軟式野球部へ所属。主なポジションは捕手や外野手であったが、当時から内野を守ることもあったほか、3年時には群馬県の大会で準々決勝進出を経験した。 群馬県立榛名高等学校への進学後は、1年時から正三塁手に定着していたが、主将を任された2年時の秋から遊撃手に定着。もっとも、在学中には対外試合で盗塁を記録しておらず、春夏とも甲子園球場での全国大会と無縁であった。
松井 雅人(まつい まさと、1987年11月19日 - )は… 松井 雅人(まつい まさと、1987年11月19日 - )は、群馬県前橋市出身の元プロ野球選手(捕手)、コーチ。右投左打。 小学校2年で地元の軟式野球チーム粕川リトルタイガースで野球を始め、中学校までは投手だった。なお、小学校1年から6年までは柔道の経験もある。桐生第一高等学校で捕手に転向、第76回選抜高等学校野球大会、第86回全国高等学校野球選手権大会に出場する。同期には後にオリックスでもチームメイトになる小島脩平がいる。 上武大学へ進学し、左打ちに。同期の安達了一と共に明治神宮大会では上武大初の準優勝に貢献。最多打点2回、ベストナイン3回。 2009年のドラフト会議で中日から7位指名を受け入団。
豊田 拓矢 (とよだ たくや、1987年3月28日 - )は… 豊田 拓矢 (とよだ たくや、1987年3月28日 - )は、埼玉県八潮市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学校5年生の時に「小作田ベスターズ」で野球を始め、八潮中学校時代は「八潮シニア」でプレーした。浦和学院高等学校では1年生時の夏にベンチ入りし、チームは1年生時と3年生時に全国高等学校野球選手権大会に出場、自身は通算で2試合2/3回を投げ防御率0.00だった。 上武大学4年生の時、関甲新学生野球・春季リーグで5勝を挙げ最多勝を受賞した。この年、チームは第57回全日本大学野球選手権大会に出場。大学通算成績は12試合74回を投げ9勝2敗、防御率1.82。 TDKでは1年目から都市対抗、日本選手権に登板。
井納 翔一(いのう しょういち、1986年5月1日 - )は… 井納 翔一(いのう しょういち、1986年5月1日 - )は、東京都江東区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 ニックネームは「宇宙人」(後述)。 中学時代は軟式野球の大島クラブに所属。木更津総合高等学校時代には、2年夏にチームが第85回全国高等学校野球選手権大会に出場するも、自身は阪神甲子園球場のスタンドで応援していたという。結局、在学中には甲子園球場のマウンドを踏めなかった。 高校卒業後に上武大学へ進学。4年時に頭角を現すと、チームの関甲新学生野球リーグ春秋2季連覇に貢献し、2季連続で最優秀防御率のタイトルを獲得した。チームの春季リーグ優勝で臨んだ第57回全日本大学野球選手権大会で、全国大会へのデビューを果たした。
上野 啓輔(うえの けいすけ、1986年3月6日 - )は、… 上野 啓輔(うえの けいすけ、1986年3月6日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、野球指導者、実業家。株式会社FROM BASE.代表取締役。大正大学硬式野球部コーチ。NPBでは育成選手であった。 中学時代は船橋リトルシニアでプレイ。シニア時代の最高成績は3年春に関東大会ベスト8、当時は投手より打者での活躍が目立っていた。高校は千葉の名門で数々のプロ野球選手がいる習志野市立習志野高等学校に進学。3年になってからはエースで活躍。3回戦でその年Aシードだった我孫子を相手に2安打完封に抑え、身長が192cmだったこともあり長身ピッチャーとして注目された。しかし続く4回戦で専大松戸に1-0で敗退した。
石川 俊介(いしかわ しゅんすけ、1985年8月12日 - … 石川 俊介(いしかわ しゅんすけ、1985年8月12日 - )は、栃木県安蘇郡葛生町(現:佐野市)出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。右投右打。 葛生町立会沢小学校4年時に、会沢学童クラブで野球を始めた。男女あわせて総勢15人の弱小チームで大差がついても泣きながら投げ、当時バッテリーを組んでいた捕手は石川の速球を捕るだけで手が痛くなり大変だったと語っている。その後、葛生町立葛生中学校から葛生高校に進学して高校2年時に本格的に投手へ転向。 高校卒業後は関甲新学生野球連盟所属の上武大学ビジネス情報学部へ進学。4年時の2007年に大学選手権2回戦で6回コールド完封したものの、準々決勝では救援登板で満塁ホームランを浴びて敗れ、ベスト8に留まった。
加賀 繁(かが しげる、1985年4月13日 - )は、埼玉… 加賀 繁(かが しげる、1985年4月13日 - )は、埼玉県新座市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、プロ野球コーチ。 ゲーム「がんばれゴエモン」の主人公に風貌が似ているという理由で、チームメイトからは「ゴエモン」の愛称で呼ばれる。 川越ボーイズから埼玉平成高時代は三塁手、投手であり、甲子園出場経験はなかった。 関甲新学生野球連盟の上武大学に入学後に投手に転向、石川俊介と共に活躍。大学4年の秋季リーグではMVPを獲得した。出場した神宮大会では本塁打も放つ。 大学卒業後は住友金属鹿島に入社。1年目は春のJABA四国大会でチーム優勝に貢献しMVPを獲得した。第79回都市対抗野球大会に日立製作所の補強選手として初出場し、リリーフで登板。
越川 昌和(こしかわ まさかず、1984年11月29日 - … 越川 昌和(こしかわ まさかず、1984年11月29日 - )は、千葉県香取郡出身の元プロ野球選手(投手)。 多古高から上武大学を経て、サウザンリーフ市原に入団。 2008年にベースボール・チャレンジ・リーグの群馬ダイヤモンドペガサスに入団。同年は、主にリリーフや抑えとして活躍し、10セーブを挙げ最多セーブのタイトルを獲得した。 2009年、先発もこなすようになり6勝(リーグ10位)を挙げ、防御率は1.94(リーグ5位)と活躍。 2010年、再びリリーフとして活躍し、2008年以来の最多セーブのタイトルを獲得した。 2011年10月19日、任意引退となり退団した。 群馬退団後は軟式野球をプレー。
菊地 和正(きくち かずまさ、1982年6月27日 - )は… 菊地 和正(きくち かずまさ、1982年6月27日 - )は、群馬県高崎市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ。株式会社S.G.R企画代表取締役。 中学時代はオール前橋ボーイズで大廣翔治とチームメイト。樹徳高校時代は控え。地元の上武大学に進学し、エースとして活躍。3、4年と大学選手権、4年秋は明治神宮大会出場。 140km台後半のストレートと切れのある変化球のコンビネーションがスカウトの目に留まり、2004年のプロ野球ドラフト会議で北海道日本ハムファイターズから6巡目で指名を受け入団。上武大学出身者として初のプロ野球選手となった。 2005年9月25日のオリックス戦でプロ入り初登板。3年目の2007年シーズンまでは二軍で過ごすことが多く、一軍では登板する機会が殆どなく、2008年は11試合の登板で防御率9.90に終わった。