鳴川 肇(なるかわ はじめ、1971年 - )は、日本の建築… 鳴川 肇(なるかわ はじめ、1971年 - )は、日本の建築家・構造家。神奈川県川崎市生まれ、東京都在中。 鳴川は1994年に 芝浦工業大学を卒業し、1996年に東京芸術大学大学院修士課程を修了。1999年にロッテルダムのベルラーヘ・インスティチュートで大学院修士課程を修了し修士号を得る。1994年に "Golden Gai Theatre" が日本建築家協会主催新卒建築家の金賞を獲得。同年に幾何学理論に関する研究を開始。1996年に "Tensegrity Modeling Manual" がSalon de Printemps賞を受賞した。 鳴川はアーネム建築アカデミーと佐々木睦朗構造コンサルタントに勤務後[要出典]、2009年にAuthaGraph Co.,Ltdを設立した。
山田 純(やまだ じゅん、1959年6月14日 - )は、日… 山田 純(やまだ じゅん、1959年6月14日 - )は、日本の機械工学者。熱工学、光工学専攻。2021年から芝浦工業大学学長。元日本熱物性学会会長。 奈良出身。1978年大阪星光学院高等学校卒業。1982年東京工業大学工学部生産機械工学科卒業、ヤマハ発動機研究部研究員。1986年東京工業大学大学院生産機械工学専攻修士課程修了。1988年東京工業大学大学院生産機械工学専攻博士後期課程中退、東京工業大学工学部生産機械工学科助手。1994年東京工業大学より博士(工学)の学位を取得。1995年山梨大学工学部機械工学科助教授。2001年ケンタッキー大学客員准教授。2005年芝浦工業大学工学部機械工学科教授。
北川 良和(きたがわ よしかず、1941年 - )は、日本の… 北川 良和(きたがわ よしかず、1941年 - )は、日本の建設技官・地震工学者。学位は、工学博士。建設省建築研究所部長、広島大学教授、慶應義塾大学理工学部教授、日本地震工学会会長を歴任。 1965年芝浦工業大学建築学科卒業。1971年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了、工学博士。同年建設省建築研究所研究員。1979年建設省建築研究所第3研究部構造研究室室長。1980年建設省建築研究所第3研究部振動研究室室長。1987年建設省建築研究所国際地震工学部第二耐震工学室室長。1989年建設省建築研究所建築試験室室長。1990年建設省建築研究所第4研究部部長。1991年建設省建築研究所国際地震工学部部長。
小口 泰平(おぐち やすへい、1937年3月5日 - )は、… 小口 泰平(おぐち やすへい、1937年3月5日 - )は、日本の自動車工学者、芝浦工業大学名誉学長。専門は自動車工学、マンマシンシステム。日本自動車ジャーナリスト協会 (AJAJ) 顧問、日本自動車研究者ジャーナリスト会議 (RJC) 前会長。NPO法人「日本自動車殿堂」会長。工学博士。 長野県下諏訪町生まれ。1959年芝浦工業大学工学部機械工学科卒業。東京大学生産技術研究所を経て、1968年芝浦工業大学工学部助教授、1982年同教授。1991年システム工学部長を経て、1997年から2000年まで学長を務めた。名誉学長。2005年退官。中国の武漢工学院の客員教授も務めた。 マン・マシンシステムの立場から、自動車の運転性能の試験研究、4WSの基礎理論と開発、安全運転に関する研究に従事し、AJAJ議長を務め、日本の自動車殿堂の創設にも尽力した。
高山 信雄(たかやま のぶお、1932年 - 2025年 )… 高山 信雄(たかやま のぶお、1932年 - 2025年 )は、英文学者、電気技術者、童話作家、大正大学名誉教授。 埼玉県川口市生まれ。旧制川口中学校(現・埼玉県立川口高等学校)に入学後、15歳で就職し、31歳まで民間の工場や会社に電気技術者として勤務。その間、夜間課程の川口市立県陽高等学校卒、芝浦工業大学2部電気工学科卒業。1964-82年東京都立港工業高等学校定時制に電子科教諭として勤務。本務の傍ら、法政大学で英文学、中央大学でドイツ文学と法律学の学科を卒業し、東京大学医学部の研究生として6年間医用工学の研究に従事。法政大学大学院人文科学研究科博士課程単位修得退学。1982年大正大学に勤務。
大本 修(おおもと・おさむ、 1925年4月1日 - 200… 大本 修(おおもと・おさむ、 1925年4月1日 - 2008年10月15日)は、日本の電気工学者。工学博士。 1925年4月1日、岡山県上房郡有漢町(現在の高梁市)出身。1944年に関西中学校を卒業後、旧制第六高等学校を経て芝浦工業専門学校に入学。主に電気工学を専攻とする。 戦後の学制改革により芝浦工業大学となった後に卒業。その後はアメリカ合衆国へ渡り、マサチューセッツ工科大学客員研究員、アメリカ航空宇宙局(NASA)客員研究員などを務める。NASA時代にはアポロ計画に参画、人工衛星取付用太陽電池の開発に携わっている。 1973年に芝浦工業大学工学部教授に就任。1991年から1997年までの6年間、芝浦工業大学学長を務めた。