瀧井 道治(たきい みちはる、1950年2月10日 - )は… 瀧井 道治(たきい みちはる、1950年2月10日 - )は、日本の実業家。SUMCO代表取締役社長を経て、同社代表取締役副会長。 和歌山県出身。1974年東京大学法学部卒業、住友金属工業入社。財務や経営企画を担当し、2005年常務執行役員和歌山製鉄所副所長に就任。2006年SUMCO取締役。2009年住友金属工業取締役専務執行役員。2012年からSUMCO代表取締役副社長を務め、人員削減などのリストラを進めた。2016年からSUMCO代表取締役社長を務め、2018年には同社代表取締役副会長に就任した。
山田 晴信(やまだ はるのぶ、1950年 - )は、通商産業… 山田 晴信(やまだ はるのぶ、1950年 - )は、通商産業省出身の日本の元官僚で、外資系企業の役員等を経て、日本CFO協会理事、東京女子大学理事、宇宙航空研究開発機構(JAXA)上席参与、Oakキャピタル顧問などを務めた経営者。 1972年、東京大学工学部航空学科宇宙コース卒業。 1973年、通商産業省入省。 1979年、ハーバード大学経営大学院を修了し、MBAを取得した。 1981年、モルガン・スタンレーに入社し、ニューヨークや東京で勤務し、業務執行役員も務めた。 1996年、水野清内閣総理大臣補佐官付調査員に政治任用。 1998年にHSBC証券株式会社常務取締役となり、2000年にチーフエグゼクティブ(投資銀行部門担当)、さらに2005年に代表取締役社長、2007年より香港上海銀行在日副代表兼副CEO、2010年よりHSBC顧問となった。
山口 千秋(やまぐち ちあき、1949年12月25日 - )… 山口 千秋(やまぐち ちあき、1949年12月25日 - )は、日本の実業家。豊田自動織機代表取締役副社長や、東和不動産代表取締役社長を経て、名古屋フィルハーモニー交響楽団理事長。 東京大学文学部卒業、トヨタ自動車販売(現トヨタ自動車)入社。2003年トヨタ自動車常勤監査役。2011年豊田自動織機専務取締役。2012年豊田自動織機代表取締役副社長。2014年イビデン取締役。2015年から東和不動産代表取締役社長及び中日本興業取締役、名古屋フィルハーモニー交響楽団理事長を務め、2016年にはシンフォニー豊田ビルの竣工式を行った。また、2018年には東和不動産内に事業開発部を開設するなどトヨタグループの不動産の有効活動の支援にあたった。
水田 廣行(みずた ひろゆき、1949年〈昭和24年〉11月… 水田 廣行(みずた ひろゆき、1949年〈昭和24年〉11月30日 - )は、大阪府出身の実業家。近畿大阪銀行(現在の関西みらい銀行)社長、りそなホールディングス社長、りそな銀行社長を務めた。現在、TOKYO TOWER代表取締役会長、あおぞら銀行取締役。 灘高等学校を経て、1974年東京大学文学部を卒業、協和銀行に入行した。その後、2002年3月よりあさひ銀行執行役員営業推進本部担当(地域担当)兼大阪営業部長、2003年3月よりりそな銀行執行役員大阪中央営業部長、同年5月りそな銀行副頭取、同年10月近畿大阪銀行代表取締役副社長、翌11月より同代表取締役社長を務めた。 2006年6月よりりそなホールディングス取締役兼代表執行役社長、2007年6月より、りそな銀行代表取締役社長、りそなホールディングス執行役グループ戦略部(りそな銀行経営管理)担当を務めた。
秋草 史幸(あきくさ ふみゆき、1949年〈昭和24年〉10… 秋草 史幸(あきくさ ふみゆき、1949年〈昭和24年〉10月9日 - 2026年〈令和8年〉3月2日)は、日本の経営者。三菱UFJモルガン・スタンレー証券社長を務めた。 山口県山口市出身。1972年に東京大学法学部を卒業し、同年4月に三菱銀行に入行した。2000年6月月に東京三菱銀行取締役に就任し、2001年6月に執行役員、2003年5月に常務、2005年6月に三菱証券専務、同年10月に三菱UFJ証券(のちの三菱UFJモルガン・スタンレー証券)専務を経て、2006年6月に副社長に就任し、2008年6月には社長に昇格。2011年4月には顧問に退いた。 2026年3月2日、直腸がんのため死去。76歳没。
石塚 邦雄(いしづか くにお、1949年9月11日 - )は… 石塚 邦雄(いしづか くにお、1949年9月11日 - )は、日本の実業家。三越伊勢丹ホールディングス代表取締役会長。東京都出身。
小澤 哲(おざわ さとし、1949年8月5日 - )は、日本… 小澤 哲(おざわ さとし、1949年8月5日 - )は、日本の経営者。トヨタ自動車副社長、豊田通商会長を務めた。石川県出身。 1974年に東京大学法学部を卒業し、同年にトヨタ自動車販売に入社した。2003年7月に常務に就任し、2007年6月に専務に就任した。2010年5月から2015年6月までにトヨタ自動車副社長を務め、それ以降は相談役を務めた。2015年6月から2018年6月までに豊田通商会長も務めた。 2019年11月に藍綬褒章を受章。
新名 順一(しんみょう じゅんいち、1949年8月4日 - … 新名 順一(しんみょう じゅんいち、1949年8月4日 - 2013年12月27日)は、日本の経営者。間組社長を務めた。 香川県出身。1976年に東京大学法学部を卒業し、同年に間組に入社。2000年6月に取締役に就任。2002年土木学会認定特別上級土木技術者(施工・マネジメント)取得、同年6月に副社長に就任。2003年6月には社長に昇格。2007年12月に取締役相談役に就任し、2007年6月には特別顧問に就任。 2013年12月27日に脳腫瘍のために死去。64歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
石塚 由成(いしづか よしなり、1949年6月30日- )… 石塚 由成(いしづか よしなり、1949年6月30日- )は、日本の経営者。新潟県出身。 1972年に東京大学経済学部を卒業し、同年に住友金属工業に入社した。2002年6月に住友特殊金属監査役に就任し、2003年4月に住友金属工業常務に就任し、2006年4月には専務に昇格した。2010年4月にSUMCO副社長に就任した。 2012年から2018年までに西日本高速道路社長に就任した。 2024年11月に旭日中綬章を受章した。
田島 伸一(たじま しんいち、1949年6月16日 - )は… 田島 伸一(たじま しんいち、1949年6月16日 - )は、日本の実業家。株式会社JALUX代表取締役社長を務めた。 東京大学経済学部卒業後、日本航空に入社した。同社上海支店長、株式会社JALナビア福岡 代表取締役社長などを経て、2009年6月より株式会社JALUX代表取締役社長 社長執行役員。社長退任後は信友インターナショナル株式会社特別顧問、朝日工業株式会社取締役を務める。
関口 憲一(せきぐち けんいち、1949年3月14日 - )… 関口 憲一(せきぐち けんいち、1949年3月14日 - )は、日本の経営者。明治安田生命保険会長を務めた。 群馬県出身。1972年に東京大学文学部を卒業し、同年に安田生命保険に入社した。1994年7月に取締役に就任し、2001年4月に常務を経て、2002年4月に安田ライフダイレクト損保社長に就任し、2004年1月に明治安田生命保険常務を経て、2005年12月に会長に就任。2013年7月に特別顧問に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
後藤 高志(ごとう たかし、1949年〈昭和24年〉2月15… 後藤 高志(ごとう たかし、1949年〈昭和24年〉2月15日 - )は、日本の実業家。西武ホールディングス代表取締役会長 会長執行役員兼CEO、西武鉄道取締役会長、埼玉西武ライオンズ取締役オーナー、プリンスホテルズワールドワイド取締役、西武リアルティソリューションズ取締役、ところざわサクラタウンアドバイザーリーボード。 東京都出身。成蹊中学校・高等学校、東京大学経済学部を卒業後、第一勧業銀行(現:みずほ銀行)入行。大学時代はラグビー部に所属した。企画部副部長時代、総会屋利益供与事件に揺れる社内で「4人組」として改革の先頭に立つ。 2005年5月、メインバンクであるみずほコーポレート銀行(現:みずほ銀行)副頭取から、有価証券報告書への虚偽記載で揺らいだ西武鉄道社長に就任し、会社の体質の改革を掲げ、株主に「早期にいい形で」上場すると宣言。
小林 健(こばやし けん、1949年〈昭和24年〉2月14日… 小林 健(こばやし けん、1949年〈昭和24年〉2月14日 - )は、日本の実業家。三菱商事16代目社長、日本商工会議所会頭、東京商工会議所会頭。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
鵜浦 博夫(うのうら ひろお、1949年(昭和24年)1月1… 鵜浦 博夫(うのうら ひろお、1949年(昭和24年)1月13日 - )は、日本の実業家。日本電信電話株式会社(NTT)代表取締役社長を経て、同社相談役。石川県七尾市出身。 2018年(平成30年)に行なった総務省幹部への接待が後に問題となり、次期総務事務次官候補とされた谷脇康彦らが失脚する引き金となった(#違法接待問題)。 石川県立七尾高等学校、東京大学法学部卒業。1973年(昭和48年)4月、日本電信電話公社に入社。 2012年(平成24年)6月から2018年6月まで日本電信電話株式会社(NTT)代表取締役社長。 2018年6月、同社相談役へ退く。携帯電話料金値下げを目指していた政府から取締役再任を拒否されたためとされる。
山田 佳臣(やまだ よしおみ、1949年1月7日 - )は、… 山田 佳臣(やまだ よしおみ、1949年1月7日 - )は、日本の経営者。東海旅客鉄道(JR東海)社長・会長を歴任。 東京都出身。東京都立西高等学校を経て、東京大学法学部卒業。 2010年7月26日、名古屋市で開催されたリニア中央新幹線の建設促進を求める集会において、中国・上海市のリニアモーターカー「上海トランスラピッド」を指し「あちらが小学生のおもちゃなら、わたくしどものリニアはiPadみたいなものだ」と揶揄する発言を行った。
日覺 昭廣(にっかく あきひろ、1949年1月6日 - )は… 日覺 昭廣(にっかく あきひろ、1949年1月6日 - )は、日本の経営者で、東レ代表取締役会長。 兵庫県三木市生まれ。兵庫県立三木高等学校卒業後、東京大学理科一類に入学。自動車が好きで、3年次からの進学課程では船用機械学科でエンジンの設計を専攻する。大学院では産業機械工学を学び、大きな工場やプラントを建設できる会社への就職を目指す。1973年4月 東レに入社。人事担当に研究所へ配属と言われたが、「生産現場へいきたい」と申し出て、大津市にある滋賀事業場の施設部工務課に配属された。
釜 和明(かま かずあき、1948年12月26日 - )は、… 釜 和明(かま かずあき、1948年12月26日 - )は、日本の経営者。IHI社長を務めた。長崎県北高来郡森山村(現在の諫早市)出身。 長崎西高校を経て、1971年に東京大学経済学部を卒業し、同年に石川島播磨重工業に入社。2005年6月に取締役常務執行役員、2007年4月に代表取締役社長兼最高経営執行責任者に就任。2012年4月から2016年4月までに会長を務めた。
稲村 公望(いなむら こうぼう、1948年〈昭和23年〉12… 稲村 公望(いなむら こうぼう、1948年〈昭和23年〉12月10日 - )は、日本の郵政・総務官僚、外交官、経営者。月刊日本客員編集委員。反郵政民営化の論客として知られる。 琉球列島米国民政府占領下の奄美地方徳之島出身。総務省政策統括官、郵政事業庁次長、日本郵政公社常務理事、日本郵便副会長を歴任。 琉球列島米国民政府占領下の徳之島、現在の鹿児島県大島郡天城町で生まれる。 1967年、ラ・サール高等学校15期卒業。1972年、東京大学法学部政治学科卒業。東大での同級生に鳩山邦夫、舛添要一が居る。 同年、郵政省(現総務省)入省。 1976年、フレッチャー法律外交大学院留学(アメリカ研修)。1978年、フレッチャー法律外交大学院修了、国際関係論修士。
森部 好樹(もりべ よしき、1948年12月5日 - )は、… 森部 好樹(もりべ よしき、1948年12月5日 - )は、日本の実業家。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
清水 愼一(しみず しんいち、1948年12月1日 - )は… 清水 愼一(しみず しんいち、1948年12月1日 - )は日本の観光学者、実業家。JR東日本で取締役や仙台支社長などを務めた。 長野県小諸市出身。東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1972年 国鉄(1987年4月からJR東日本)に入社。2000年6月 同社取締役兼鉄道事業本部営業部長委嘱。2002年6月 仙台支社長。2004年6月 退社。 同年6月 JTB常務取締役。2008年4月 立教大学観光学部観光学科特任教授。
北村 俊昭(きたむら としあき、1948年(昭和23年)11… 北村 俊昭(きたむら としあき、1948年(昭和23年)11月15日 - )は、日本の官僚、経営者。元経済産業審議官。株式会社INPEX相談役。元石油鉱業連盟会長。北海道小樽市出身。 北海道小樽潮陵高等学校を経て、1972年(昭和47年)東京大学法学部第1類(私法コース)を卒業し、通商産業省入省(鉱山石炭局石炭部炭政課)。貿易経済協力局、製造産業局、通商政策局各局長を歴任し、2006年(平成18年)に経済産業審議官となり、2007年(平成19年)に退官する。 退官後は東京海上日動火災保険顧問、早稲田大学大学院客員教授をへて、2009年(平成21年)に国際石油開発帝石副社長に就任。2010年(平成22年)から同社社長を務める。
井上 登(いのうえ のぼる、1948年11月6日 - )は、… 井上 登(いのうえ のぼる、1948年11月6日 - )は、日本の経営者。ドコモ・ビジネスネット社長。 兵庫県出身。灘高等学校を経て、東京大学経済学部卒業。1971年、日本電信電話公社入社、2000年、NTTドコモ営業本部担当部長、同年取締役広報部長。2001年、同営業企画部長、2002年、常務取締役神奈川支店長、2001年、NTTドコモ九州社長。現在は、ドコモ・ビジネスネット社長を務める。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
一丸 陽一郎 (いちまる よういちろう、1948年〈昭和23… 一丸 陽一郎 (いちまる よういちろう、1948年〈昭和23年〉10月10日 - )は、日本の実業家。トヨタ自動車株式会社代表取締役副社長、あいおいニッセイ同和損害保険株式会社代表取締役会長を歴任。
馬田 一(ばだ はじめ、1948年(昭和23年)10月7日 … 馬田 一(ばだ はじめ、1948年(昭和23年)10月7日 - )は、日本の実業家。JFEホールディングス元社長。日本鉄鋼連盟第12代会長。
永瀬 昭幸(ながせ あきゆき、1948年9月18日 - )は… 永瀬 昭幸(ながせ あきゆき、1948年9月18日 - )は、日本の実業家。鹿児島県垂水市出身。東京大学経済学部卒業。東進ハイスクール創設者。株式会社ナガセ代表取締役社長。 1948年(昭和23年)、鹿児島県肝属郡垂水町(現在の垂水市)生まれ。ラ・サール高校、東京大学経済学部卒業。東大在学中に自宅で学習塾を立ち上げた。東京大学卒業後は野村證券を経て、1976年(昭和51年)に株式会社ナガセを設立。 1985年(昭和60年)には高校生向けの大学受験予備校である東進ハイスクールを設立。1988年、ナガセはジャスダックに上場。 その他に「四谷大塚」「早稲田塾」「イトマンスイミングスクール」などの塾・予備校を展開するほか社会人教育にも進出している。
末澤 和政(すえざわ かずまさ、1948年(昭和23年)9月… 末澤 和政(すえざわ かずまさ、1948年(昭和23年)9月3日 - )は日本の実業家。藤田観光会長(前代表取締役社長兼執行役員社長)。 1966年、東京大学経済学部卒業、日本興業銀行に入行。営業第六部長、広報部長を経て、2001年、同和鉱業(現DOWAホールディングス)に移籍、2006年、代表取締役副社長に就任。2008年藤田観光代表取締役社長。2013年代表権のない会長に。旧三和銀行系みどり会企業でもある同社のトップから、生え抜きや他行出身者を抑え次期社長を自らと同じ興銀出身の瀬川章に託した。銀行員時代の経験を、会長島耕作連載開始記念対談の第1号として作者弘兼憲史と語っている。対談内でも話題になる整った風貌は温厚な紳士だが、サービス業トップに見られる隠密裏に店舗を訪れサービスレベル確認を行い、自身へのサービス不備には顧客面前を厭わずその場で一喝・訓戒を行う姿を見ることが出来る熱血漢である。
小川 賢太郎(おがわ けんたろう、1948年7月29日 - … 小川 賢太郎(おがわ けんたろう、1948年7月29日 - 2026年4月6日)は、日本の実業家、起業家、経営者。すき家などを展開しているゼンショーの創業者で、同社代表取締役会長。 2017年より、国民生活産業・消費者団体連合会(生団連)第2代会長。 石川県出身。東京都立新宿高等学校を経て、東京大学に進学するが、全共闘運動に関わり中退。 港湾労働を経て、ベトナム戦争から「資本主義のもとで貧困をなくす」ことに目覚め、通信教育で中小企業診断士の資格を取得。 1978年、吉野家に入社。同社の倒産などをきっかけに独立し、1982年にゼンショーを創業。社名は創業時に「全勝」「善意の商売」「禅の心で商売を行う」の3つの意味を込めて命名した。
松田 譲(まつだ ゆずる、1948年6月25日 - )は、日… 松田 譲(まつだ ゆずる、1948年6月25日 - )は、日本の薬学研究者、実業家、農学博士。協和発酵キリン代表取締役社長や、日本製薬団体連合会副会長、日本農芸化学会副会長を務めた。 新潟県出身。1971年新潟大学農学部卒業。1977年東京大学大学院農学系研究科博士課程修了、農学博士、協和発酵工業(現協和発酵キリン)入社。東京研究所研究員を務め、新薬開発にあたった。主任研究員を経て、2000年執行役員医薬総合研究所長。2002年常務取締役総合企画室長に昇格。 2003年から協和発酵工業代表取締役社長を務め、キリンファーマとの経営統合を行い、2008年に合併後の協和発酵キリン代表取締役社長に就任。
庄田 隆(しょうだ たかし、1948年6月21日- )は、… 庄田 隆(しょうだ たかし、1948年6月21日- )は、日本の経営者。石川県出身。 1972年に東京大学薬学部製薬化学科を卒業し、同年に三共に入社した。2001年に取締役に就任し、翌年には常務に就任し、2003年には社長に昇格した。2005年9月に第一三共社長に就任し、2010年から2014年までに会長を務め、2014年6月から2019年6月までに相談役を務めた。 2019年11月に旭日重光章を受章した。
石村 僐悟(いしむら ぜんご、1948年6月14日 - 20… 石村 僐悟(いしむら ぜんご、1948年6月14日 - 2020年4月8日)は、日本の実業家。 和菓子の老舗「石村萬盛堂」の2代目社長石村善右の長男として、福岡市に生まれる。1967年福岡県立修猷館高等学校を経て、1971年東京大学経済学部を卒業。 1971年11月石村萬盛堂に入社。東京営業所長、1974年3月取締役、1776年4月専務取締役を経て、1979年12月、父・善右の死去に伴い、3代目代表取締役社長に就任。 専務取締役であった1977年、少女雑誌に、バレンタインデーのお返しがなぜ無いのかという記事が掲載されているのが目に留まり、そのお返しの日として「マシュマロデー」を創案し、翌1978年からキャンペーンを開始した。
宮永 俊一(みやなが しゅんいち、1948年4月27日 - … 宮永 俊一(みやなが しゅんいち、1948年4月27日 - )は、日本の経営者。三菱重工業社長を務めた。福岡県北九州市出身。 福岡県八幡市(現:北九州市)出身。福岡県立小倉高等学校を経て、1972年に東京大学法学部を卒業し、同年に三菱重工業に入社した。常務執行役員などを経て、2011年に副社長に就任。2013年4月には社長に昇格。2019年4月に会長に就任。 2015年から日本経済団体連合会副会長を務めた。 2023年6月14日、公益社団法人2027年国際園芸博覧会協会の理事に新任。
木下 小次郎(きのした こじろう、1948年4月19日 - … 木下 小次郎(きのした こじろう、1948年4月19日 - )は、日本の経営者。日産化学社長、会長を務めた。長崎県出身。 1977年に東京大学農学部を卒業し、同年4月に日産化学工業に入社した。2002年6月に取締役に就任し、2006年6月に常務を経て、2008年6月には社長に就任した。2021年4月には会長に就任。
井澤 吉幸(いざわ よしゆき、1948年2月10日 - )は… 井澤 吉幸(いざわ よしゆき、1948年2月10日 - )は、日本の経営者。ゆうちょ銀行社長を務めた。東京都出身。 1970年に東京大学工学部を卒業し、同年に三井物産に入社した。2000年に取締役に就任し、2008年に副社長を経て、2009年12月にゆうちょ銀行社長に就任し、2015年3月までに務めた。2015年5月にはブラックロック・ジャパン会長に就任。
加藤 哲夫(かとう てつお、1948年2月1日 - )は、日… 加藤 哲夫(かとう てつお、1948年2月1日 - )は、日本の経営者。岡三証券社長、会長を務めた。東京都出身。 1970年に東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年5月に三菱銀行に入行した。1986年5月に岡三証券に転じ、同年12月に取締役に就任し、1989年6月に常務、1991年6月に専務を経て、1995年6月に副社長に就任し、1997年6月には社長に昇格した。2006年6月から2011年6月までに会長を務めた。2003年10月に岡三ホールディングス社長にも就任し、2014年4月に副会長を経て、2020年4月には会長に就任した。 2018年4月に旭日中綬章を受章した。
荒木 高伸(あらき たかのぶ、1948年1月30日 - )は… 荒木 高伸(あらき たかのぶ、1948年1月30日 - )は、日本の経営者。名古屋テレビ放送社長を務めた。 東京都出身。1972年に東京大学文学部を卒業し、朝日新聞社に入社。西部本社編集局長、取締役などを歴任した。2008年に名古屋テレビ放送の監査役に就任し、副社長を経て、2010年1月から2014年6月までに社長を務めた。テレビ朝日の取締役も務めた。 2012年から2014年までに日本民間放送連盟副会長を務めた。
西松 遙(にしまつ はるか、1948年1月5日 - )は日本… 西松 遙(にしまつ はるか、1948年1月5日 - )は日本航空の元代表取締役社長。 静岡県浜松市出身。静岡県立浜松北高等学校、東京大学経済学部卒業後、1972年日本航空株式会社入社。資金部長、執行役員、取締役などを歴任し、2006年に株式会社日本航空(事業持株会社)と日本航空インターナショナルの社長兼CEOに就任した。 2005年から、運航・整備面に関わるヒューマンエラーが続発する不祥事により引責辞任となった新町敏行の後任として、社長に就任。2009年に発足した鳩山内閣の意向により、債務超過状態にある日本航空と日本航空インターナショナル、ジャルキャピタルは2010年1月19日に会社更生法を申請。
西松 遙(にしまつ はるか、1948年1月5日 - )は日本… 西松 遙(にしまつ はるか、1948年1月5日 - )は日本航空の元代表取締役社長。
岩下 正(いわした ただし、1948年1月1日 - )は、日… 岩下 正(いわした ただし、1948年1月1日 - )は、日本の財務官僚、企業経営者。ローソン銀行代表取締役会長。 宮城県仙台市出身。血液型はB型。宮城県仙台第一高等学校、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。1970年に大蔵省入省(大臣官房秘書課)。1971年に大臣官房秘書課調査係長心得。1974年にイェール大学で経営学修士号を修得。同年7月 銀行局総務課企画係長。1975年7月 福知山税務署長。1993年6月 大臣官房調査企画課長兼財政金融研究所次長。1994年4月から1995年5月まで羽田孜、村山富市の下で内閣総理大臣秘書官(事務担当)。1999年7月8日に国際局次長、2002年7月9日に財務総合政策研究所長となる。
野木森 雅郁(のぎもり まさふみ、1947年12月21日 -… 野木森 雅郁(のぎもり まさふみ、1947年12月21日 - )は、日本の実業家。アステラス製薬代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本製薬団体連合会会長を務めた。 愛知県生まれ。東海中学校・高等学校を経て、1970年東京大学薬学部卒業、藤沢薬品工業(現アステラス製薬)入社。1997年取締役に昇格。2001年常務執行役員経営戦略本部長。2004年専務執行役員。2005年アステラス製薬代表取締役副社長。2006年からアステラス製薬代表取締役社長を務め、グローバル化などを進めた。2011年アステラス製薬代表取締役会長。2014年日本製薬団体連合会会長。2017年リニカル取締役。2018年旭日重光章受章。
多賀谷 秀保(たがや ひでやす、1947年11月7日 - )… 多賀谷 秀保(たがや ひでやす、1947年11月7日 - )は、日本の経営者。三菱自動車工業社長を務めた。 静岡県静岡市出身。1966年、静岡県立静岡高等学校卒業。1972年に東京大学経済学部を卒業し、同年に三菱自動車工業に入社。2004年6月に社長兼CEOに就任し、2005年1月に辞任。その後、ミツビシ・モーターズ・ノース・アメリカ取締役会長を務めた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
朝比奈 豊(あさひな ゆたか、1947年(昭和22年)9月1… 朝比奈 豊(あさひな ゆたか、1947年(昭和22年)9月14日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家。毎日新聞グループホールディングス社長、毎日新聞社社長を務めた。 静岡県御前崎市出身。 静岡県立掛川西高等学校を経て、1966年(昭和41年)に東京大学理科2類に進学。同大学農学部農業経済学科を卒業後、71年7月に毎日新聞社に入社。社会部畑を歩む。浦和支局長、東京本社社会部長、編集局次長を経て、02年に東京本社編集局長、04年に取締役に選任、06年6月には常務・主筆に就任した。 2008年(平成20年)6月25日、社長に昇格するが、毎日デイリーニューズWaiWai問題を受け、毎日新聞社は監督責任を問い、27日、当時担当役員だった朝比奈の役員報酬返上10%1ヶ月の懲戒処分を発表した。
伊藤 文大(いとう ふみお、1947年8月2日 - 2017… 伊藤 文大(いとう ふみお、1947年8月2日 - 2017年3月1日 )は、日本の経営者。クラレ社長、会長を務めた。福島県出身。 1971年に東京大学経済学部を卒業し、同年にクラレに入社した。2003年に執行役員に就任し、2006年6に常務を経て、2008年4月には社長に就任した。2013年6月から2016年3月までに会長を務めた。 2017年3月1日に心不全のために死去。69歳没。
玉越 良介(たまこし りょうすけ、1947年7月10日- … 玉越 良介(たまこし りょうすけ、1947年7月10日- )は、日本の経営者。三菱UFJフィナンシャル・グループ会長を務めた。 神奈川県出身。1970年に東京大学経済学部経営学科を卒業し、同年に三和銀行に入社した。1997年6月に取締役に就任し、1999年6月に常務、2002年1月にUFJ銀行専務を経て、同年5月に副頭取に就任し、2004年6月にはUFJフィナンシャルグループ社長に就任した。2005年10月から2010年6月までに三菱UFJフィナンシャル・グループ会長を務め、2006年1月に三菱東京UFJ銀行副会長に就任。 2011年にはアメリカのモルガン・スタンレー取締役に就任した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
白石 達(しらいし とおる、1947年6月29日 - )は、… 白石 達(しらいし とおる、1947年6月29日 - )は、日本の経営者。大林組第7代社長を務めた。 大阪府出身。1971年に東京大学工学部建築学科を卒業し、同年に大林組に入社した。2001年6月に取締役に就任し、2003年6月に常務を経て、2007年6月に社長に就任。2018年3月に社長を退任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
石田 浩二(いしだ こうじ、1947年6月22日 - )は、… 石田 浩二(いしだ こうじ、1947年6月22日 - )は、日本の実業家・中央銀行家。元日本銀行政策委員会審議委員。神奈川県出身。 2011年6月30日、日本銀行政策委員会審議委員に就任。 2013年4月4日、金融政策決定会合で「量的・質的金融緩和」の導入に賛成した。 2014年10月31日、金融政策決定会合で「量的・質的金融緩和」の拡大に、「これまでの金融市場調節方針を維持することが適当である」として反対した。 2016年1月29日の金融政策決定会合では、マイナス金利の導入に、「これ以上の国債イールドカーブ低下が、実体経済に大きな効果をもたらすとは判断されない」として反対した。 2016年6月29日、日本銀行政策委員会審議委員を任期満了により退任。
北村 雅良(きたむら まさよし、1947年5月11日 - )… 北村 雅良(きたむら まさよし、1947年5月11日 - )は、日本の経営者。電源開発社長、会長を務めた。 長野県出身。1972年に東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年に電源開発に入社した。2001年6月に取締役に就任し、2004年6月に常務、2007年6月に副社長を経て、2009年6月に社長に就任。2016年6月から2020年6月までに会長を務めた。 2025年4月に旭日重光章を受章した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
荒川 堯(あらかわ たかし、1947年5月3日 - )は、長… 荒川 堯(あらかわ たかし、1947年5月3日 - )は、長野県北佐久郡(現・佐久市)出身の元プロ野球選手(内野手)・実業家。右投右打。 プロ野球ドラフト会議での入団拒否をきっかけに、後年のルール改正にもつながる荒川事件の当事者となった。 1947年に長野県北佐久郡岩村田町(のちに近村との合併で浅間町、現:佐久市)の映画館経営者の家に生まれる。幼い頃から母親の実家で田植えの手伝いをしていた。 4歳のころから野球を始め、浅間中学校時代には「長野に出澤あり」と内外で知られるほどの存在となっていた。また通知表はオール5で、両親が常々「東京大学に行かせたい」と言うほど勉学面でも優秀だった。中学3年の時、岩村田町の近くに来ていた読売ジャイアンツコーチの荒川博が実の両親を介して堯を呼び、自らの前で素振り等をさせた。
岩田 喜美枝(いわた きみえ、1947年4月6日 - )は、… 岩田 喜美枝(いわた きみえ、1947年4月6日 - )は、日本の実業家、元官僚。厚生労働省雇用均等・児童家庭局長を経て、資生堂代表取締役副社長、公益財団法人21世紀職業財団会長を歴任。 香川県生まれ。香川県立高松高等学校を経て、東京大学教養学部を卒業後、1971年、労働省に入省。大阪婦人少年室長を経て、1991年労政局勤労者福祉部福祉課長、1992年婦人局婦人政策課長、1994年労働大臣官房国際労働課長、1995年労働大臣官房秘書課長、1998年労働大臣官房総務審議官、2001年厚生労働省雇用均等・児童家庭局長。 2003年、厚生労働省を退官し、2003年株式会社資生堂に入社。同年常勤顧問、2004年同社取締役執行役員CSR部長、2007年取締役執行役員常務を経て、2008年に代表取締役執行役員副社長に就任。
持田 農夫男(もちだ のぶお、1947年4月1日- )は、… 持田 農夫男(もちだ のぶお、1947年4月1日- )は、日本の経営者。日立金属社長、会長を務めた。埼玉県出身。 1970年に東京大学工学部工業化学科を卒業し、同年に日立金属に入社した。2002年10月に執行役員に就任し、2005年6月に常務に就任し、2006年6月には社長に昇格した。2010年4月から2014年4月までに会長を務めた。
大森 千明(おおもり ちあき、1947年2月25日 - 20… 大森 千明(おおもり ちあき、1947年2月25日 - 2017年7月22日)は、日本のジャーナリスト、元ジェイ・キャスト取締役社長・執行役員。東京大学卒業。 『週刊朝日』が、2000年6月から2001年春にかけて誌面に掲載したグラビア記事の取材費を、消費者金融大手の武富士に負担させていたもの。企業や団体のタイアップ広告型記事の場合、「企画広告」「協力○○社」などと明示するのが普通だが、この記事には一切の記述が無かった。これについて武富士側が抗議したところ、『週刊朝日』側は「写真展の開催」「書籍の出版」の際に武富士の社名を明記すると約束したが、最終的にこの約束も反故にされた。2005年3月、『週刊文春』の報道で事実関係が明らかになったが、朝日新聞社は、自社の紙面の「週刊文春」の広告の一部を「裏金という記述は誤り」として、黒塗りにした。