伊原 直子(いはら なおこ、1945年(昭和20年)2月14… 伊原 直子(いはら なおこ、1945年(昭和20年)2月14日 - )は、日本の声楽家(メゾソプラノまたはアルト)、オペラ歌手、音楽教育者。東京藝術大学名誉教授。 東京都出身。1967年(昭和42年)東京藝術大学音楽学部卒業。1969年(昭和44年)同大学院修了。戸田敏子、中山悌一に師事。大学院在学中の1969年(昭和44年)1月二期会ワーグナー『ラインの黄金』エルダでオペラデビュー。 1971年(昭和46年) - 1945年(昭和50年)西ドイツ政府給費留学生(DAAD)としてミュンヘン国立音楽大学に留学し、エルンスト・ヘフリガーに師事。傍らベルリン歌劇場他、ドイツやスイス各地でオラトリオを歌う。
花田 和治(はなだ かずはる、1945年1月16日 - 20… 花田 和治(はなだ かずはる、1945年1月16日 - 2017年4月26日)は、日本の抽象画家。北海道生まれ。北海道札幌東高等学校、東京芸術大学油画科卒業、同大学院修了。明快な色彩とシンプルな構図を特徴とした作品で知られる。 北海道留萌郡小平町の鰯番屋、花田家の出身。娘婿にノルディックスキー選手の荻原健司。 東京芸術大学では小磯良平に師事。大学院修了後の26歳から抽象画を手がけて東京で活動。1977年以降は郷里の北海道を拠点に作品を制作・発表。数多くの個展を開催しているほか、北海道の美術・イメージ『北方』(1983年)、『道』(1984年)、『動』(1988年)への選抜出品をはじめ、『美術北海道100年展』『10人空間展』など、多くの企画展に出品。
佐藤 泰生(さとう たいせい、1945年 - )は、日本の洋… 佐藤 泰生(さとう たいせい、1945年 - )は、日本の洋画家、新制作協会会員。和光大学芸術科名誉教授。神奈川県逗子市在住。 1945年に日本統治時代の大連で生まれる。1967年東京藝術大学油絵科(小磯教室)卒業。大橋賞を受賞する。1969年大学院修了。大学では猪熊弦一郎・脇田和らとともに新制作協会(発足時:新制作派協会)を結成した小磯良平教授に師事する。1973 - 1978年の間、フランス政府給費留学生として渡仏滞在する。1980年新制作協会会員となる。2001 - 2002年渡仏パリ滞在。1992年和光大学芸術科教授に就任(2015年3月退職)。 2012年 『共鳴/主張する個性~現代洋画家10人~』展参加。
杉木峯夫(すぎき みねお、1945年 - )は、富山県富山市… 杉木峯夫(すぎき みねお、1945年 - )は、富山県富山市出身の日本のトランペット奏者である。 東京芸術大学音楽学部卒業後、ニース国際音楽アカデミーでピエール・ティボーに師事。フランス政府給費生としてパリ国立高等音楽院でモーリス・アンドレに師事した。。バリ国立高等音楽院で一等賞を得て卒業した1972年にリヨン国立管弦楽団へ入団した。日本に帰国後は札幌交響楽団を経て東京芸術大学の教員となった。札幌ブラス・アンサンブル、北海道教育大学札幌非常勤講師、ベルナール・トマ管弦楽団、パリ・コンセール・コロンヌ管弦楽団、「モーリス・アンドレと弟子達」レコーディング(エラート社)に参加した。水戸室内管弦楽団、サイトウ・キネン・オーケストラ、紀尾井シンフォニエッタ東京他で演奏した。
春山 文典(はるやま ふみのり、1945年 - )は、日本の… 春山 文典(はるやま ふみのり、1945年 - )は、日本の芸術家、彫刻家。横浜美術大学元学長。日本芸術院会員。長野県小布施町出身。蓮田修吾郎に師事。
茂木 弘行(もぎ ひろゆき、1945年 - )は、日本の彫刻… 茂木 弘行(もぎ ひろゆき、1945年 - )は、日本の彫刻家である。東京藝術大学大学院修了。新樹会展招待出品。無所属。 新潟県出身。新潟県立巻高等学校卒業。東京藝術大学美術学部彫刻科(山本豊市教授に師事)を経て、東京藝術大学大学院美術研究科彫刻専攻を修了。舟越保武教室。1966年より新樹会展に出品(日本橋三越本店。以降毎回)。1969年にサロン・ド・プランタン賞受賞。1971年より同大学助手。1973年に同大学を退官し、彫刻制作専業の道へと進む。1977年にヨーロッパを巡遊し、イタリア・ローマに滞在する。制作に専念できる環境を求めて、1983年にアトリエを東京・世田谷から郷里の新潟に移す。 いずれの公募展にも出品せず、一貫して個展・グループ展のみを発表の場とするとともに、国内外からモニュメントなどの制作依頼を数多く受けるなど、昭和~平成~令和にわたり、具象彫刻界の第一線で活動している。
島村 武男(しまむら たけお、1945年 - 2024年6月… 島村 武男(しまむら たけお、1945年 - 2024年6月6日)は日本の音楽家。声楽家(バリトン歌手)、オペラ歌手。 大阪府出身。東京藝術大学音楽学部を経て、同大学院修了。イタリアに留学しベルカント唱法とイタリアオペラを学ぶ。ミュンヘン音楽大学に特別推薦で入学し、専攻科のオペラ科とリート科で歌唱法を学ぶ。 国立ブラウンシュバイク歌劇場(西ドイツ)と専属契約を結び、年間100回を超える公演に出演。帰国後はNHK-FMリサイタル、二期会公演、新国立劇場公演、オーケストラの演奏会など、数多くの公演に出演。 東京藝術大学音楽学部在学時に「アンサンブル・ボッカ」として、アニメ「巨人の星」の主題歌「ゆけゆけ飛雄馬」のレコーディングに参加。
川井 学(川井 學、かわい まなぶ、1944年12月4日 -… 川井 学(川井 學、かわい まなぶ、1944年12月4日 - )は、日本の作曲家、音楽教育者。 1967年、東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。1972年、東京芸術大学大学院修士課程修了。1984年 - 1987年 桐朋学園大学助教授。 1988年 - 1992年 同大学教授。 1993年 - 1999年 東京芸術大学音楽学部作曲科助教授。 2000年 - 2012年 同大学教授(2003年-音楽学部長)。 作曲家としての他、音楽理論家としても活動。また武満徹のアシスタントも務めた。
鈴木良昭(すずき よしあき、1944年10月9日 - )は、… 鈴木良昭(すずき よしあき、1944年10月9日 - )は、東京都生まれのクラリネット奏者である。 東京都立駒場高等学校を経て、東京芸術大学卒業、及び同大大学院修了。クラリネットを三島勝輔、千葉国夫、北爪利世に師事した。 1968年、第37回日本音楽コンクール・管楽器部門第1位を受賞した。旧日本フィルハーモニー交響楽団を経て、1972年、新日本フィルハーモニー交響楽団創設に参加した。新日本フィル在団中に渡米し、1981年から1982年の1年間、元クリーヴランド管弦楽団首席奏者R.マルセラスに師事する。帰国後、再び新日本フィルで首席奏者を務め、2004年に定年退職した。 活動は、オーケストラにとどまらず、現代音楽の室内楽グループ『サウンド・スペース・アーク』のメンバーとして内外で活躍。
渡部 光正(わたなべ みつまさ、英: Mitsumasa W… 渡部 光正(わたなべ みつまさ、英: Mitsumasa Watanabe、1944年9月24日 - )は、愛媛県温泉郡北吉井村(現・東温市)生まれのサックス奏者、指揮者、幹部自衛官、教育者。航空中央音楽隊副隊長、西部航空音楽隊長、東温市青少年補導センター所長などを歴任。最終階級は2等空佐。 1944年、愛媛県温泉郡北吉井村(現・東温市)に生まれる。重信中学校、県立松山東高校を卒業後、東京藝術大学音楽学部別科を修了し、国立音楽大学器楽科を卒業。サックス奏者として航空中央音楽隊へ入隊。東京藝術大学研修後、立川、春日、三沢、浜松の指揮者を経て2002年、西部航空音楽隊長に。サックスを坂口新、石渡悠史、指揮法を紙谷一衛、音楽理論を石原忠興に師事。
高橋 アキ(たかはし アキ、1944年9月6日 - )は、日… 高橋 アキ(たかはし アキ、1944年9月6日 - )は、日本のピアニスト。作曲家高橋悠治は実兄。 神奈川県鎌倉市生まれ。父は季刊誌『音楽研究』の編集長を務めた音楽評論家高橋均、母はピアニスト蔭山英子。5歳より母にピアノを習う。東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校から東京芸術大学卒業および同大学院修了。大学院ではゲオルク・ヴァシャヘーリに師事。大学院在学中の1968年に、日独現代音楽祭でデビュー。武満徹の《ピアニストのためのコロナ》と篠原真《タンダンス》を演奏する。1970年に初リサイタルを開く。1972年に渡欧し、ベルリン芸術週間、パリ秋の芸術祭などでリサイタルを開き、現代音楽の演奏グループ「サウンド・スペース=アーク」を結成する。
高山 登(たかやま のぼる、1944年6月29日 - 202… 高山 登(たかやま のぼる、1944年6月29日 - 2023年1月8日)は、日本の前衛美術、現代美術家。 1944年6月29日、東京都豊島区長崎に生まれた。 1960年4月、都立北園高校入学。美術部に入る。 1963年3月、都立北園高校卒業。 1963年4月、東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻入学。 1968年3月、東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業(山口薫教室)。 1970年3月、東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了(野見山暁治研究室)。 1972年、日本国へ帰化。 1973年‐1980年、創形美術専門学校講師。 1975年‐1980年、東海大学教養部非常勤講師。 1978年‐1979年、東京藝術大学美術学部非常勤講師。
宇田川 宣人(うだがわ のりと、1944年5月8日 - )日… 宇田川 宣人(うだがわ のりと、1944年5月8日 - )日本の洋画家。元九州産業大学芸術学部美術学科教授・学長。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術)。
河村 要助(かわむら ようすけ、1944年4月28日 - 2… 河村 要助(かわむら ようすけ、1944年4月28日 - 2019年6月4日)は、日本のグラフィックデザイナー、イラストレーター、音楽評論家。 東京芸術大学美術学部ビジュアルデザイン専攻卒業。グラフィックデザイナーとして西武百貨店やパルコなどの広告を制作。1970年には、矢吹申彦、湯村輝彦と「100%スタジオ」を結成(1974年まで)。1974年、湯村輝彦、原田治、佐藤憲吉、大西重成と「ホームラン」というイラストレーター・チームを結成。ニュース・ペーパー『ホームラン』を創刊する。しかし数か月でこのチームは分解する。 1971年よりフリーランスのイラストレーターとなり、『話の特集』『MUSIC MAGAZINE』(旧『NEW MUSIC MAGAZINE』)などの表紙や挿絵を担当。
佐々木 達夫(ささき たつお 1944年3月30日 - )は… 佐々木 達夫(ささき たつお 1944年3月30日 - )は、日本のティンパニ、マリンバ、打楽器奏者。岡山県岡山市生まれ。現在はアメリカ在住。 東京芸術大学在学中に日米教育委員会フルブライト奨学生としてジュリアード音楽院に留学し、ティンパニをニューヨーク・フィルハーモニック首席ティンパニ奏者ソール・グッドマン(英語版)に師事、平岡養一に木琴の指導を受けた。ニューヨーク市でリサイタルを開催した。 1966年から1967年にかけてレオポルド・ストコフスキー指揮のアメリカ交響楽団に打楽器奏者として所属、1967年にズービン・メータ指揮のイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団に打楽器奏者として入団、1969年まで所属した。
パンチョ加賀美(パンチョ かがみ 1944年2月21日 - … パンチョ加賀美(パンチョ かがみ 1944年2月21日 - 2018年5月29日)は、日本のドラマーで、声優、俳優としても活動した。 なお、パンチョ・加賀美と表記されている場合もある。アルバトロス音楽事務所に所属していた。東京都台東区出身。血液型はA型。3人兄弟の次男(兄1人、弟1人)。 血液型はA型。本名は加賀美邦明。東京都台東区出身。3人兄弟の次男。東京芸術大学卒業。 ジョージ浜野・エンディ山口・ルイス高野・今陽子とともにピンキーとキラーズを結成。グループではドラムを担当。解散後、ニューキラーズ結成と同時に、ジョージ浜野に代わりリーダーとなる。 歌手の西城はるかと組んではるか&パンチョというデュオで活動していた。
塚田 佳男(つかだ よしお、1944年2月 - )は、声楽作… 塚田 佳男(つかだ よしお、1944年2月 - )は、声楽作品を中心とする伴奏ピアニスト。 群馬県高崎市出身。群馬県立高崎高等学校在学中の1961年に実施された「高崎市歌」の作曲部門で入選する。東京藝術大学音楽学部声楽科を卒業後、伴奏ピアニストに転身して小林道夫に師事。 1968年、東京藝術大学大学院オペラ科の伴奏助手として奉職する傍ら二期会の研究生となる。1969年に発足した東京室内歌劇場のオペラ公演に出演。荒削りだが雄大な演奏を披露し注目を浴びる。1970年、日本大学芸術学部音楽科伴奏法講師に就任。1975年にはドイツ・デトモルトに留学、1977年帰国。1979年に再び東京藝術大学大学院の畑中良輔教授講座、現代ドイツ・リート、日本歌曲講座の伴奏助手となるも、1989年に辞職し、フリーになる。
吉田 日出子(よしだ ひでこ、本名:平松日出子、1944年1… 吉田 日出子(よしだ ひでこ、本名:平松日出子、1944年1月7日 - )は、石川県出身の女優。 石川県金沢市生まれ。 日出子の祖父である平松福三郎(弁護士)には11人の子がいて、娘の1人は芥川龍之介の秘書だった平松麻素子。麻素子の弟にあたる日出子の父・豊彦は1928年に東京美術学校(現・東京芸術大学)彫刻科を卒業しフランス留学、彫刻家を目指すが徴兵を受け、石川県金沢に駐屯、身重の母親が臨月近くに金沢に来て次女・日出子が生まれる。生後1ヶ月で父は出征、母子は新潟県に疎開した。豊彦は1944年にフィリピン・レイテ島で戦死。1947年、医師だった母は娘二人を連れて東京に戻り、赤羽で医院を開業した。母はその後再婚。
中垣 克久(なかがき かつひさ、1944年 - )は、日本の… 中垣 克久(なかがき かつひさ、1944年 - )は、日本の彫刻家・美術家。飛騨市立中垣克久彫刻庭園美術館名誉館長。 1944年飛騨に生まれ飛騨で育つ。1968年東京藝術大学大学院彫刻家修了。1978年第1回ロダン大賞展を皮切りに、長野野外彫刻特別賞など受賞。1987年芸術と文化に貢献したとして中曽根内閣総理大臣より表彰。イタリア・ミラノ国立ブレラ美術学校で学び、全国各地にモニュメントを制作建立。
池辺 晋一郎(いけべ しんいちろう、1943年9月15日 -… 池辺 晋一郎(いけべ しんいちろう、1943年9月15日 - )は、日本の作曲家。学位は芸術学修士(東京芸術大学・1971年)。一般社団法人全日本合唱連盟顧問、東京音楽大学名誉教授、文化功労者。本名:池邉 晋一郎(読み同じ)。 東京音楽大学音楽学部教授、東京音楽大学付属民族音楽研究所所長、横浜みなとみらいホール館長などを歴任した。 茨城県水戸市出身。幼少期は体が弱く、小学校就学が一年遅れるほどであったが読書にいそしみ、そして体調によってはピアノを弾き、家にあったピアノを使って独学していた。近所にあった立花隆の家と家族ぐるみで付き合いがあり、立花も池辺も互いの家の蔵書まで読んでいた。1963年、東京都立新宿高等学校卒業。
佐々木 健(ささき けん、1943年9月14日 - 1991… 佐々木 健(ささき けん、1943年9月14日 - 1991年8月10日)は、日本のピアニスト。パリを拠点に、ヨーロッパで活躍した。 宮城県仙台市出身。1966年に東京芸術大学を卒業し、ポーランド文化省の奨学金を得てショパン音楽アカデミーに2年間留学。ズビグニェフ・ジェヴィエツキおよびDanuta Lewandowska(ポーランド語版)に師事。その後フランスに移り、ヴラド・ペルルミュテールに師事。 パリ4区に居を構え、フランス、ポーランド、オランダ、スイス、オーストリア、ドイツ、アメリカなどで演奏活動を行なった。1972年には、ロンドンのウィグモア・ホールで公演。1984年には、優れたショパンの演奏家に送られるStefania Niekrasz Prizeを受賞している。
朝香 誠彦(あさか ともひこ、1943年〈昭和18年〉8月1… 朝香 誠彦(あさか ともひこ、1943年〈昭和18年〉8月18日 - )は、日本の旧皇族。孚彦王第1王子。朝香宮第3代当主。皇籍離脱前の身位は王で、皇室典範における敬称は殿下。皇族時代の名は、誠彦王(ともひこおう)であった。上皇明仁は又従兄弟にあたる。 1943年(昭和18年)8月18日午前5時50分、高輪南町御用邸において誕生。御七夜の8月24日に誠彦と命名される。1947年(昭和22年)10月14日、祖父・朝香宮鳩彦王が皇族の身分を離脱したため、誠彦王も皇室典範(昭和22年法律第3号)第13条により皇籍離脱した(昭和22年宮内府告示第16号)。 東京芸術大学音楽学部器楽科(チェロ専攻)を卒業し、イタリアのサンタ・チェチーリア音楽院に留学。
堀尾 真紀子(ほりお まきこ、1943年〈昭和18年〉7月2… 堀尾 真紀子(ほりお まきこ、1943年〈昭和18年〉7月28日 - )は、日本の美術史学者。文化学園大学名誉教授。女性画家を論じる。 東京都出身。東京都立富士高等学校を経て、1968年東京藝術大学美術学部卒業、1972年同大学院修士課程修了。1969年から1970年までパリのフランス国立美術工芸大学に留学。1987年『画家たちの原風景』で日本エッセイストクラブ賞を受賞。東京クラフトデザイン研究所講師、文化女子大学助教授、教授、2011年校名変更で文化学園大学教授・造形学部長。2019年退任。 万葉文化館建設委員、運営委員などを経て万葉古代学客員研究員、万葉文化館評議員、調布市政策策定委員、調布市文化コミュニティセンター理事など。
林 康子(はやし やすこ、1943年7月19日 - )は、ソ… 林 康子(はやし やすこ、1943年7月19日 - )は、ソプラノ歌手。香川県東かがわ市出身。夫はバス歌手のジャンニコラ・ピリウッチ。藤原歌劇団団員。 香川県立高松高等学校から東京芸術大学を経て同大学院修了後、ミラノ・ヴェルディ音楽院、スカラ座のオペラ研修所に留学。柴田睦陸、ニコラ・ルッチ、リア・グァリーニに師事。 1968年日伊声楽コンコルソ第一位、1970年モンティキァーリ国際コンクールおよびパルマ国際オペラ歌手コンクール第一位、1971年ロニーゴ国際コンクール第一位、1972年イタリア国営放送ロッシーニ生誕180周年記念コンクール第一位。1982年イタリア金の射手座賞、1983年毎日芸術賞、1988年サントリー音楽賞を受賞。
片桐 和子(かたぎり かずこ、1943年6月22日 - )は… 片桐 和子(かたぎり かずこ、1943年6月22日 - )は、日本の童謡歌手。東京都千代田区出身。血液型はB型。6人姉弟の四女(姉3人、弟2人)。東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。 東京芸術大学音楽学部声楽科卒業後、NHKの幼児向け教育番組、おかあさんといっしょ(当時はうたのえほん)6代目うたのおねえさんを1967年4月 - 1970年3月までの3年間務めた。 東京芸術大学音楽学部声楽科では岡部多喜子、ロドルフォ・リッチに師事。イタリアオペラ、イタリア歌曲を学ぶ。 1967年、瀬端優美子とともにオーディションに合格。しかし、その当時、5代中川順子が番組に出演中であったため、片桐が先にうたのおねえさんを務めることになった。
黒川哲郎(くろかわ てつろう、1943年6月5日 - 201… 黒川哲郎(くろかわ てつろう、1943年6月5日 - 2013年5月29日)は、日本の建築家。東京藝術大学美術学部名誉教授。 1943年北京生まれ。1966年東京藝術大学美術学部建築科卒業。1968年東京藝術大学大学院修士課程修了。1979年~ デザインリーグと協働。1989年東京藝術大学助教授、2001年教授。2004年『地域材と地域技術による公共建築の木造化構法の開発と実践』に対して日本建築学会業績賞(構造設計家・濱宇津正と協働)。2011年東京藝術大学名誉教授。2013年死去。
たかしま あきひこ(1943年5月24日 - 2016年10… たかしま あきひこ(1943年5月24日 - 2016年10月16日)は、日本の作曲家、編曲家。東京府(現:東京都)出身。 本名は高島 明彦(読み同じ)で、本名名義での作品も存在する。 1968年に東京藝術大学作曲科を卒業。山本直純門下生であり、山本が音楽を担当していたTBSのバラエティ番組『8時だョ!全員集合』では山本のアシスタントを務める。 1970年代からは、山本から役目を引き継いで『全員集合』の音楽を担当したほか、『ドリフ大爆笑』(フジテレビ)のテーマ曲やBGM、ザ・ドリフターズのオリジナル曲、および志村けんのバラエティ番組挿入曲などの作曲・編曲を手がける。またドリフターズ関連以外にも、テレビドラマ・テレビアニメや映画等の劇伴音楽、バラエティ番組のBGM、報道番組のテーマ曲、CMソング等の作曲・編曲を数多く手がけた。
松谷 翠(まつや みどり、1943年3月18日 - 1994… 松谷 翠(まつや みどり、1943年3月18日 - 1994年1月9日)は、日本のピアニスト。男性。 父親はジャズピアニストの松谷穣。 幼少の頃からピアノを父に習い、クラシックとジャズの両分野に親しむ環境に育つ。 東京藝術大学音楽学部器楽学科卒業。ピアノを福井直哉、レイ・レブに師事。和声法、作曲法を小倉朗に師事する。1973年に渡欧しベルリン芸術大学で、ピアノをH.E.リーベンザームに師事する。1975年にベルリン芸術大学を卒業後帰国し、コンサート、放送、レコーディングなど活発な演奏活動を展開する。日本大学芸術学部教授。座光寺公明(1958-87) のピアノの師。作曲家ボーカリスト松谷冬太とボーカリスト松谷麗王の父。
荒川 恒子(あらかわ つねこ、1943年3月15日 - )は… 荒川 恒子(あらかわ つねこ、1943年3月15日 - )は、日本のリコーダー奏者、音楽学者。西洋音楽史、とりわけバロック音楽を専門とし、自ら古楽コンクールを運営する。
高橋 義治(たかはし よしはる、主にドイツ語圏で活動したので… 高橋 義治(たかはし よしはる、主にドイツ語圏で活動したので、ヨシ・タカハシ(Yoshi Takahashi)として知られる、1943年3月15日 - 1998年4月17日)は日本生まれの画家、版画家である。1966年から主にドイツで活動し、1974年からオーストリアで活動した。 東京で生まれた。1960年に東京芸術大学油画科に入学し、1965年に卒業した。1966年にドイツに留学し、ミュンヘン美術院で学んだ。1969年に美術院を卒業した後、オーストリアの高等美術研究員(Graphische Lehr- und Versuchsanstalt)のスーチェク(Slavi Soucek)に版画を学んだ。
玉木 宏樹(たまき ひろき、1943年〈昭和18年〉3月13… 玉木 宏樹(たまき ひろき、1943年〈昭和18年〉3月13日 - 2012年〈平成24年〉1月8日)は、兵庫県神戸市出身の作曲家、指揮者、ヴァイオリン演奏家。別名、多摩 零。 兵庫県神戸市に生まれ、6歳まで山の上の禅寺、その後は兵庫県武庫郡鳴尾村(現・西宮市)、小3から高校までは神戸市兵庫区石井町三丁目に住んだ。神戸市立平野小学校、神戸市立湊中学校(現・神戸市立湊翔楠中学校)卒業。中学時代は阪急今津線で甲東園のバイオリンの古武滋野のもとへ通っていた。 1965年、東京芸術大学音楽学部器楽科卒業。在学中から東京交響楽団に所属して演奏家としての活動を開始。また、大学の先輩である山本直純に作曲と指揮を学んだ。
杉谷 昭子(すぎたに しょうこ、1943年2月25日 - 2… 杉谷 昭子(すぎたに しょうこ、1943年2月25日 - 2019年5月8日)は、日本のピアノ奏者。本姓・岡田。 和歌山県和歌山市出身。東京芸術大学卒業後、1976年ケルン音楽大学大学院修了。矢田暎子、井口秋子、デートレフ・クラウス、エリーザ・ハンゼン、ブルーノ・レオナルド・ゲルバー、アレクシス・ワイセンベルク、クラウディオ・アラウ等に師事。旧西独演奏家国家試験で1等賞を獲得することになるブラームスのピアノ協奏曲第1番の演奏が、大手マネージャーに認められ、デュッセルドルフでデビューする。 1971年エッセンフォルクヴァングコンクール優勝。72年マリア・カナルス国際コンクール2位。ミラノ音楽祭出演。
池口 史子(いけぐち ちかこ、1943年2月24日 - )は… 池口 史子(いけぐち ちかこ、1943年2月24日 - )は、日本の洋画家。立軌会同人、日本芸術院会員。 南満洲鉄道に勤める堤禎章の娘として、大日本帝国の租借地であった関東州の大連市にて生まれ、東京都で育った。東京芸術大学に進学し、美術学部の油画科にて学び、山口薫の指導を受けた。1966年、東京芸術大学を卒業する。そのまま東京芸術大学の大学院に進学し、美術研究科にて学んだ。1968年、東京芸術大学の大学院を修了した。 東京芸術大学を卒業してから、個展やグループ展で作品を発表する。1975年、通産官僚であり小説家でもある堺屋太一と結婚した。1992年より立軌会に同人として加わる。2004年、『ワイン色のセーター』にて損保ジャパン東郷青児美術館大賞を受賞した。
絹谷 幸二(きぬたに こうじ、1943年〈昭和18年〉1月2… 絹谷 幸二(きぬたに こうじ、1943年〈昭和18年〉1月24日 - 2025年〈令和7年〉8月1日)は、日本の洋画家。位階は従三位、勲等は文化勲章。独立美術協会会員、大阪芸術大学教授、東京芸術大学名誉教授、日本芸術院会員、文化功労者。 東京芸術大学美術学部教授、一般社団法人日本美術家連盟理事などを歴任した。 長男は彫刻家の絹谷幸太、次女は画家の絹谷香菜子。 奈良県奈良市元林院町に生まれる。奈良県立奈良高等学校、東京芸術大学美術学部油絵専攻卒(1966年小磯良平教室)。卒業制作で大橋賞受賞。 小学校一年生の頃から油絵を習い始めた。芸大卒業後の1971年にイタリアへ留学、目から鱗が落ちるほどの感銘を受け、ヴェネツィアでアフレスコ古典画の技法を研究した(「アフレスコ」(affresco) はイタリア語で「フレスコ」のこと)。
竹澤 嘉明(たけざわ よしあき、1943年 - )は、日本の… 竹澤 嘉明(たけざわ よしあき、1943年 - )は、日本の声楽家(バリトン)、オペラ歌手、音楽教育者、オペラ演出家。新字体の竹沢嘉明という表記が多く見られる。 東京芸術大学卒業、同大学院修了。伊藤亘行、柴田睦陸に師事。 オペラデビューは1969年(昭和44年)藝大オペラ ロッシーニ『セヴィリアの理髪師』バジリオ。初出の記録は同年12月15日、16日、17日の東京室内歌劇場 中世典礼劇『ダニエル物語』ハバクックである。1975年(昭和50年)東京室内歌劇場 プーランク『ティレジアスの乳房』亭主でウィンナーワルド・オペラ賞を受賞。1976年 - 1977年(昭和51年 - 52年)ウイーン留学。1979年(昭和54年)には劇団四季のミュージカル『リトルナイト=ミュージック』にも出演。
真壁 智治(まかべ ともはる、1943年)- は、都市・建築… 真壁 智治(まかべ ともはる、1943年)- は、都市・建築プロジェクトプランナー。プランニングオフィスM.T.VISIONS代表。静岡市清水区出身。 1969年 武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。1972年 東京藝術大学院美術研究科建築専攻修了。東京藝術大学大学美術学部建築学科助手。1983年、プランニングオフィスM.T.VISIONS設立
丸山 忠璋(まるやま ただあき、1943年(昭和18年) -… 丸山 忠璋(まるやま ただあき、1943年(昭和18年) - )は、日本の音楽教育学者、武蔵野音楽大学教授。 長野県松本市生まれ。1969年東京藝術大学音楽学部声楽科卒、1970年新潟大学教育専攻科音楽教育専攻修了、長野県高等学校教諭、1973年東京都高等学校教諭、1984年東京都教育委員会指導主事、1989 - 96年文部省初等中等教育局教科書調査官、1996年横浜国立大学教育学部助教授、教育人間科学部助教授、99年教授、2005年定年退官、武蔵野音楽大学教授。日本音楽療法学会常任理事、NPO音楽療法かながわ理事長、日本音楽教育学会常任理事、全日本音楽教育研究会大学部会理事。
吉野 毅(よしの たけし、1943年 - )は、日本の彫刻家… 吉野 毅(よしの たけし、1943年 - )は、日本の彫刻家。日本藝術院会員。日本藝術院賞受賞者。 1943年、千葉県に生まれる。1967年に東京藝術大学美術学部彫刻科を卒業した。1968年、第53回二科展彫刻部に初出品し、特選を受賞した。1974年、二科会彫刻部会員に推挙された。 1982年、第67回二科展彫刻部でローマ賞を受賞し、2003年、第88回二科展彫刻部で文部科学大臣賞を受賞した。その後も二科会を中心に活動し、多摩美術大学客員教授も務めた。 精神性の高い品位ある女性像を中心に創作したと評される。また、《夏の終り》は長年にわたって繰り返し制作した主題の一つであり、1995年設置の《夏の終り》や1991年制作の《夏の終り’91》など、同系列の作品が各地に確認できる。
大津 英敏(おおつ えいびん、1943年 - )は、日本の洋… 大津 英敏(おおつ えいびん、1943年 - )は、日本の洋画家。日本芸術院会員、多摩美術大学名誉教授、独立美術協会会員。 学生時代は山口薫に師事。1970年代には『毬シリーズ』と呼ばれる幻想的な作品を制作していた。1979年の渡仏後、2人の娘を彼女をモデルにした『少女シリーズ』を描きはじめる。現在も家族を題材にした淡い色調の作品が多いが、風景画にも取り組んでいる。作風にはバルテュスの影響があるといわれている。また渋谷駅構内にはステンドグラスを使った壁画作品が設置されている。
石川 暢子(いしかわ のぶこ、1943年 - 2012年1月… 石川 暢子(いしかわ のぶこ、1943年 - 2012年1月21日)は、日本を代表するジュエリーデザイナーの一人。独自の感性で、日本の美意識と西欧の様式美の世界をジュエリーに追い求めた。NOBUKO ISHIKAWA 創業者。 1943年、静岡県富士宮市に生まれる。1962年、静岡県立静岡高等学校卒業。1966年、東京藝術大学工芸科卒業。市川市に居を構える。1968年、東京藝術大学大学院彫金科修了。1960年代よりジュエリーのデザイン、及び制作を始める。日展入選3回(~'70)。1970年、創作グループ 閑ジュウリー(現 NOBUKO ISHIKAWA)設立。1980年、西ドイツ、オーストリア、イギリス、オーストラリア、スイス等、国際展多数招待出品。
安達 史人(あだち ふみと、1943年 - 2024年9月3… 安達 史人(あだち ふみと、1943年 - 2024年9月30日)は福井県出身のブックデザイナー、編集者、著述家。 「木の聲舎」代表。武蔵野美術大学機関誌「武蔵野美術」の元編集主幹兼アートディレクター。元武蔵野美術大学講師。 「あらちふみと」「森 魚名」名義での著書・寄稿も存在する。 東京芸術大学美術学部芸術学科卒業。
岸本 宏子(きしもと ひろこ、1943年 - 2020年10… 岸本 宏子(きしもと ひろこ、1943年 - 2020年10月9日)は、日本の西洋音楽史学者、昭和音楽大学名誉教授。特に、イタリア・ルネサンスのマドリガーレ、音楽図書館学を専門とし、歌声に関する科学的研究にも取り組んだ。 東京藝術大学音楽学部楽理科を卒業して、同大学院修士課程を修了した後、フルブライト奨学金を得て1969年にアメリカ合衆国のブリンマー・カレッジ(後のブリンマー大学)大学院博士課程に進んだ。1972年から1974年にかけては帰国していたが、1975年にPh.D.(音楽学)を取得した。再度の帰国後、1978年から1981年にかけて再び渡米してシモンズ・カレッジ(後のシモンズ大学(英語版))大学院修士課程でM.Sc.(図書館情報学)を取得して帰国した。
榎倉康二(えのくら こうじ、1942年11月28日 - 19… 榎倉康二(えのくら こうじ、1942年11月28日 - 1995年10月20日)は東京都生まれの日本人画家でインスタレーション・アーティストである。 彼は1960年代から1970年代にかけて台頭した「もの派」の一員であった。もの派の作家たちは、石、鉄板、ガラス、電球、綿、スポンジ、紙、木、鉄線、ワイヤー、ロープ、革、油、水といった、「もの」自身を主題にするとともに、諸要素と空間の相互依存に焦点をあてた作品を制作した。また、自然的な物質と工業的な物質の出会いを探求し、それらを一過性の静止状態に配置することによって作品とした。 父は洋画家の榎倉省吾。東京で生まれ、1966年に東京藝術大学美術学部油画科を卒業、1968年に同大学美術研究科で修士号を取得し、1975年から1995年に死去するまで同大学で教員を務めた。
甲斐 道雄(かい みちお、1942年11月23日 - 201… 甲斐 道雄(かい みちお、1942年11月23日 - 2013年9月25日)は、日本のフルート奏者。 1942年11月23日兵庫県生まれ。川口勝次郎と山腰直弘に師事してフルートを始める。東京芸術大学を目指し兵庫県立有馬高等学校の2年生から毎週1回、当時の国鉄急行「なにわ」で上京し、レッスンを受けていた。東京芸術大学教授でフルート奏者の巨匠でもある吉田雅夫に師事し、猛特訓で音楽学部楽器科に合格。第一段階の目標を達成した。大学時代は吉田のほか川崎優にも師事した。1968年に同大学院音楽研究科を修了した。1969年ドイツ政府給費留学生としてハンブルグ音楽大学に留学しカールハインツ・ツェラーに師事。1971年に卒業し翌年の1972年までバンベルク交響楽団に所属するとともにバンベルク・バロック・アンサンブルのメンバー。
岡山 潔(おかやま きよし, Kiyoshi Okayama… 岡山 潔(おかやま きよし, Kiyoshi Okayama, 1942年11月9日 - 2018年10月1日)は、日本のヴァイオリン奏者。 東京都中野区生まれ。5歳の頃より音楽教師の父直躬にヴァイオリンの手ほどきを受けた。1961年に東京藝術大学に入学し、兎束龍夫、ヘンリー・ホルスト、ヴィルフリート・ハンケ(Wilfried Hanke)の各氏にヴァイオリンの指導を受けた。 1968年には、ドイツ学術交流会の奨学生としてハンブルク国立音楽大学に留学し、引き続きハンケにヴァイオリンを学び、エヴァ・ハウプトマンに室内楽を師事。1970年にはベルリンで開催されたメンデルスゾーン・コンクールの弦楽四重奏部門で優勝し、ブリュッセルで妻の岡山芳子(旧姓:服部;後に愛知県立芸術大学教授)とウジェーヌ・イザイ『二つのヴァイオリンのためのソナタ』を演奏してイザイ・メダルを授与された。
島田 祐子(しまだ ゆうこ、1942年10月12日 - )は… 島田 祐子(しまだ ゆうこ、1942年10月12日 - )は、日本のソプラノ歌手。旧姓は遠藤祐子(えんどう ゆうこ)。 満洲国出身。戦後新潟県に引き揚げ、小学1年生から神奈川県小田原市に転居、高校まで住んでいた。東京芸術大学大学院修了。東京藝術大学大学院修了までの間は、ウィーンのウィーン音楽大学に留学そしてアントン・デルモーターに師事する。 二期会オペラ「こうもり」アデレード役でデビューする。クラシックだけでなくポップスに新境地を開いた。2008年にテレビ朝日「徹子の部屋」に出演した際に2007年に行われた「徹子の部屋コンサート」をもって現役歌手生活から引退したことを告白した。 現在は児童合唱団『東京ネバーランド』を設立。
馬杉 宗夫(うますぎ むねお、1942年9月15日 - 20… 馬杉 宗夫(うますぎ むねお、1942年9月15日 - 2018年10月12日)は、日本の西洋中世美術史学者。武蔵野美術大学名誉教授。 広島県生まれ。1967年東京芸術大学芸術学科修士課程修了。1974年パリ大学付属考古学研究所博士課程修了。清泉女子大学助教授、武蔵野美術大学助教授を経て教授。2013年定年、名誉教授となる。 2018年10月12日、肺炎のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
湯浅 富士郎(ゆあさ ふじろう、1942年8月5日 - )は… 湯浅 富士郎(ゆあさ ふじろう、1942年8月5日 - )は日本の声楽家、バス、オペラ歌手。都山流尺八竹琳軒大師範、浄土宗僧侶、関西芸術振興会評議員、奈良メサイアの会会長、あすか邦楽アンサンブル代表、株式会社TAKUTO代表取締役。本名は湯浅順信(-よりのぶ)、僧侶になった際にこちらを本名に改名した。尺八を演奏する際の芸名は湯浅富士山(-ふじざん)。妻はソプラノ歌手の湯浅契。大阪府立清水谷高等学校、東京芸術大学。西ドイツ・ケルン音楽大学卒業。
越宏一(こし こういち、1942年4月8日- )は、日本の美… 越宏一(こし こういち、1942年4月8日- )は、日本の美術史学者、東京芸術大学名誉教授。 長野県生まれ。曽祖父は信越化学工業初代社長の越寿三郎。1965年東京藝術大学美術学部卒、65−72年ウィーン大学に留学、オットー・ペヒトに師事し博士号取得。東京芸大教授。91年フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト賞受賞。2008年定年退官し名誉教授。ヨーロッパ中世美術が専門。2020年瑞宝中綬章受章。
ひの まどか(1942年2月10日 - )は、日本の音楽家、… ひの まどか(1942年2月10日 - )は、日本の音楽家、文筆家。 東京府生まれ。本名は桜井(稲留)尚子。日本女子大学附属高等学校、東京藝術大学器楽科卒、東京ゾリステンに入団、ヴァイオリンを弾く一方で作曲家の伝記などの執筆活動を行う。執筆にあたっては現地調査を行っていた。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。