スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
相沢 晋(あいざわ すすむ、1987年6月3日 - )は、新… 相沢 晋(あいざわ すすむ、1987年6月3日 - )は、新潟県西蒲原郡岩室村 (現在の新潟市西蒲区)出身の元プロ野球選手(投手)。 小学校4年の時に野球を始め、岩室中学校から新潟県立巻高等学校に進学。2年の秋から投手となり、先輩からはスライダーを教わった。3年時にはチームのエースとなり、同年の新潟県大会では、新潟明訓高等学校戦で12回2/3を投げたが、最後はサヨナラ負けを喫した。甲子園出場経験は無し。 その後、石巻専修大学に進学し宮城県石巻市に移住。2年の秋には、JR東日本東北時代の攝津正よりカーブとシンカーを教わった。4年春の南東北大学リーグでは、全11試合に先発し8勝の成績でMVPを獲得、最多勝、ベストナインも受賞。
小林 訓也(こばやし のりや、1984年7月14日 - )は… 小林 訓也(こばやし のりや、1984年7月14日 - )は、日本の元ラグビー選手。 16歳からラグビーを始めた。 2003年、巻高校卒業後、日本体育大学に入る。 2007年、日本体育大学卒業後、ヤマハ発動機ジュビロ(現・静岡ブルーレヴズ)に加入。同年10月27日に行われたジャパンラグビートップリーグ第1節のトヨタ自動車ヴェルブリッツ戦に途中出場で公式戦初出場を果たす。 2009年、ワールドゲームズの7人制日本代表に選ばれた。 2010年、NTTコミュニケーションズシャイニングアークス(現・NTTコミュニケーションズ シャイニングアークス東京ベイ浦安)に加入。 2017年、三菱重工相模原ダイナボアーズに加入。
長島 健祐(ながしま けんすけ、1980年10月8日 - )… 長島 健祐(ながしま けんすけ、1980年10月8日 - )は、日本の実業家。株式会社バーグハンバーグバーグ代表取締役社長。通称「イケてるしヤバい男 長島」。 1980年10月8日、新潟県新潟市に産まれる。新潟県立巻高等学校、大阪芸術大学の芸術学部音楽学科音楽工学コースを卒業後、レコード販売店に就職。しかし市場の縮小を感じたため、当時携帯電話の「着うた」を運営していた株式会社ドワンゴに転職。同社が開始した「ニコニコ動画」の広告営業に携わる。 「ニコニコ動画」時代は、営業のみならず動画投稿コンテストやニコニコ生放送にも携わった。長島はこの時代の一番の思い出として、ロッテと共同でニコニコ動画のウエハース菓子「ニコニコ動菓」を開発したことを挙げている。
おしみんまる(1977年5月5日 - )は、日本のお笑い芸人… おしみんまる(1977年5月5日 - )は、日本のお笑い芸人。吉本興業所属。 本名、押見 泰憲(おしみ やすのり)。 新潟県燕市出身。新潟県立巻高等学校卒業、日本体育大学中退。 1998年1月、日本体育大学在学中に知り合ったいけや賢二と「犬の心」を結成。 2020年6月22日、犬の心を解散。 2020年8月に芸名を本名から「押見トランス」に改名。その後、10月に「おしみんまる」に改名した。改名は元ハローバイバイの金成公信(現:千葉公平)による命名。 2026年3月現在、神保町よしもと漫才劇場、渋谷よしもと漫才劇場の極メンバーであり、所属芸人一覧のトップに表示されている。 どぅいっちメンとゴスケとのユニット・「どぅいっちゴスケんまる」で出場。
葉葺 正幸(はぶき まさゆき、1973年5月2日 - )は、… 葉葺 正幸(はぶき まさゆき、1973年5月2日 - )は、日本の実業家・篤農家。株式会社お米デザイン代表取締役。 1973年5月、新潟県十日町市に生まれる。1992年、新潟県立巻高等学校を卒業。1996年、法政大学経済学部を卒業。愛宕商事株式会社(NSGグループ)に入社。2001年3月16日、ワキョウインターナショナル(現和僑商店)を起業。おむすび銀座十石を展開。2009年7月、古町糀製造所を設立。2011年、今代司酒造株式会社代表取締役社長に就任。2012年9月、ロート製薬とスキンケア商品の共同開発「糀肌くりーむ」を発売。2013年12月、株式会社峰村商店代表取締役社長に就任。2014年、今代司酒造株式会社代表取締役会長に就任。
清水 伸(しみず しん、1972年5月20日 - )は、新潟… 清水 伸(しみず しん、1972年5月20日 - )は、新潟県新潟市西区出身の俳優である。JFCT所属。劇団ふくふくや副座長。 身長172 cm。血液型はB型。 新潟県立巻高等学校卒業後、上京し立正大学経済学部二部に入学。2年生の時、大学を辞めた際、偶然雑誌で見かけた「欽ちゃん劇団」劇団員オーディションに応募して合格。結局入団しなかったが、それを機に俳優を目指すことを決意。1997年NHK大河ドラマ「毛利元就」に元就の孫・吉川元資役として抜擢される。その後、脇役として多数のテレビドラマや映画に出演するようになる。代表作にニトリ「Nクール/Nウォーム」のCMがある。 特技はボクシング、アクション、剣殺陣、サッカー、ギター。
石井 英明(いしい ひであき、1968年2月9日 - )は、… 石井 英明(いしい ひであき、1968年2月9日 - )は、日本の俳優、声優。演劇集団 円所属。新潟県西蒲原郡吉田町(現:新潟県燕市)出身。 中学生の頃、相米慎二監督の映画『ションベン・ライダー』の最終選考まで残ったことを機に俳優を志す。 新潟県立巻高等学校卒業後上京。大学中退の後、円・演劇研究所に入所。以降、所属する演劇集団 円の公演をはじめとして外部の舞台やテレビドラマに多数出演している。2009年にはウィリアム・シェイクスピアの戯曲『ペリクリーズ』でタイトルロールを務め、オーストリア、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリーでの海外公演を成功させた。 声種はハイバリトン。趣味・特技はテニス、バイク、新潟弁。
安田 弘之(やすだ ひろゆき、1967年3月2日- )は、日… 安田 弘之(やすだ ひろゆき、1967年3月2日- )は、日本の男性漫画家。血液型はB型。
原田 亮介(はらだ りょうすけ、1958年 - )は、日本の… 原田 亮介(はらだ りょうすけ、1958年 - )は、日本のジャーナリスト。日本経済新聞社論説主幹。日本記者クラブ理事長。 新潟県西蒲原郡分水町(現:燕市)出身。新潟県立巻高等学校を経て、1981年に筑波大学第二学群比較文化学類を卒業。同年日本経済新聞社入社。テレビ東京系「ワールドビジネスサテライト」で、担当曜日違いの解説キャスターを務めている滝田洋一とは、日経新聞の入社同期である。 社会部、経済部記者、ニューヨーク駐在(金融・マクロ担当)、ワシントン駐在(財政金融政策担当)を経て、日経ビジネス編集長、編集局次長兼政治部長、編集局総務、執行役員グローバル事業局長、常務執行役員グローバル事業担当、専務執行役員グローバル事業担当・NAR事業担当、同論説委員長などを経て同論説主幹。
中野幸夫(なかの ゆきお、1955年 -)は、日本の実業家。… 中野幸夫(なかの ゆきお、1955年 -)は、日本の実業家。Jリーグ専務理事。日本サッカー協会常務理事。元アルビレックス新潟社長。
内藤 邦男(ないとう くにお、1953年(昭和28年)7月2… 内藤 邦男(ないとう くにお、1953年(昭和28年)7月28日-)日本の農林官僚。農林水産省生産局長、林野庁長官などを経て、一般社団法人JA共済総合研究所理事長。新潟県新潟市西蒲区(旧西川町)出身。2024年、瑞宝中綬章受章。
大澤 孝司(おおさわ たかし、1946年〈昭和21年〉6月2… 大澤 孝司(おおさわ たかし、1946年〈昭和21年〉6月21日 - )は、北朝鮮による拉致被害者と考えられる日本男性。特定失踪者問題調査会でも「拉致濃厚」(1000番台リスト)としている。1974年(昭和49年)2月24日、失踪した。彼については、北朝鮮での情報がある。 1946年(昭和21年)6月21日、新潟県西蒲原郡巻町(現、新潟市西蒲区)に材木商を営む家の三男として生まれた。1965年(昭和40年)3月、新潟県立巻高等学校を卒業、4月に東京農業大学に進学した。横浜市に住む次兄の茂樹夫妻の家に下宿し、大学では農業水利を学んだ。1969年(昭和44年)、同大学を卒業し、帰郷して新潟県職員となった。
小林 豊彦(こばやし とよひこ、1945年7月3日 - )は… 小林 豊彦(こばやし とよひこ、1945年7月3日 - )は、日本の政治家。前新潟県西蒲原郡弥彦村長。 新潟県西蒲原郡弥彦村出身。 小林靜夫(元新潟県議会議員、元新潟県議会議長、元弥彦村村長(第16代・17代)とミヱの長男として生まれる。 日本経済新聞社の新聞記者として化学・石油化学産業・農林水産省・三井物産など総合商社を担当。農林水産省担当時代は鈴木善幸農林大臣に随行し、モスクワで行われた日ソ漁業交渉を取材。浦和支局長・東京本社編集局部長を歴任、出版局長・営業推進本部長、日経リサーチ社長を経て退社。 60歳で帰郷して、母を介護しながら田圃(30a)と畑(24a)を耕作。田圃は5年前から無農薬栽培に挑戦、彌彦神社の初穂講献納米審査で5年間連続して入賞(1等賞を受賞1回)。
茂木 弘行(もぎ ひろゆき、1945年 - )は、日本の彫刻… 茂木 弘行(もぎ ひろゆき、1945年 - )は、日本の彫刻家である。東京藝術大学大学院修了。新樹会展招待出品。無所属。 新潟県出身。新潟県立巻高等学校卒業。東京藝術大学美術学部彫刻科(山本豊市教授に師事)を経て、東京藝術大学大学院美術研究科彫刻専攻を修了。舟越保武教室。1966年より新樹会展に出品(日本橋三越本店。以降毎回)。1969年にサロン・ド・プランタン賞受賞。1971年より同大学助手。1973年に同大学を退官し、彫刻制作専業の道へと進む。1977年にヨーロッパを巡遊し、イタリア・ローマに滞在する。制作に専念できる環境を求めて、1983年にアトリエを東京・世田谷から郷里の新潟に移す。 いずれの公募展にも出品せず、一貫して個展・グループ展のみを発表の場とするとともに、国内外からモニュメントなどの制作依頼を数多く受けるなど、昭和~平成~令和にわたり、具象彫刻界の第一線で活動している。
宇佐美 彰朗(うさみ あきお、1943年5月31日 - )は… 宇佐美 彰朗(うさみ あきお、1943年5月31日 - )は、日本のマラソン選手、指導者である。東海大学名誉教授。 新潟県西蒲原郡吉田町(現・燕市)出身。新潟県立巻高等学校から日本大学経済学部経済学科に進学して卒業。その後日本大学文理学部体育学科(学士入学)卒業。日本大学大学院文学研究科教育学専攻体育学コース修士課程修了、教育学修士。日本大学大学院文学研究科教育学専攻体育学コース博士課程単位取得満期退学。 1960年代後半 - 1970年代中盤にかけて活躍した、日本の男子マラソンの名選手のひとり。 実家は鮮魚店で、9人兄弟の6番目(三男)に生まれる。中学時代はバスケットボール、高校時代はテニスをしており、大学に入ってから本格的に陸上競技を始めたという異色の経歴の持ち主。
小林 清(こばやし きよし、1936年(昭和11年)10月1… 小林 清(こばやし きよし、1936年(昭和11年)10月10日 - )は、日本の政治家。元新潟県燕市長(1期)。
池田 孝一郎(いけだ こういちろう、1935年6月8日 - … 池田 孝一郎(いけだ こういちろう、1935年6月8日 - )は、日本のアナウンサー。TBSアナウンサー第6期生。バーラム(オフィス「K・I」)、ワーサルに所属していた。 山口県生まれ、新潟県西蒲原郡巻町(現:新潟市西蒲区)出身。血液型A型。新潟県立巻高等学校を経て早稲田大学第一文学部社会学専修卒業。 1959年、ラジオ東京(1960年11月29日よりTBS)に第6期生アナウンサーとして入社(同期には石井智・川野昌宏・里見恭夫・新堀俊明・土屋統督・藤田和弘・料治直矢・相場君子・今井登茂子・加藤かな子・加藤珪子・土井誉子・蛭田玲子)、主にスポーツ番組の司会や実況中継(野球、競馬、バレーボール)を担当し、1978年から8年間『JNNスポーツデスク』の司会を務めた。
高桑 栄松(高桑 榮松、たかくわ えいまつ、旧姓:桜井、19… 高桑 栄松(高桑 榮松、たかくわ えいまつ、旧姓:桜井、1919年2月8日 - 2016年5月4日)は、日本の政治家、医学者。北海道大学名誉教授、参議院議員(2期)。医学博士。位階は従三位、勲等は勲一等。 長兄は熊本県知事、参議院議員の桜井三郎。 新潟県西蒲原郡地蔵堂町(現燕市)に10人兄弟の8番目として生まれる。新潟県立巻中学校を経て北海道帝国大学医学部卒業。同大学院博士課程修了。1945年札幌在住の親戚である高桑家の養子となる。1956年より北海道大学へ赴任。医学部長・大学院環境科学研究科長を経て、1980年より公害研究所(現国立環境研究所)所長として筑波研究学園都市で過ごす。同年、紺綬褒章受章。
桜井 三郎(さくらい さぶろう、1899年1月26日 - 1… 桜井 三郎(さくらい さぶろう、1899年1月26日 - 1960年4月8日)は日本の政治家、内務官僚。熊本県知事(官選第34代、公選初代-第3代)、参議院議員(1期)。位階は正三位。医学者、参議院議員の高桑栄松は弟。 新潟県西蒲原郡地蔵堂町(現燕市)に10人兄弟の長兄として生まれる。旧制新潟県立巻中学校、旧制第四高等学校を経て、1926年に京都帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し、島根県書記官・警察部長、警視庁部長・消防部長、徳島、福岡両県の内政部長などを歴任。戦中は熊本県で官選知事を務め、1947年の熊本県知事選挙に出馬。細川隆元らを退けて当選した。この際、GHQの幹部が桜の枝を持って投票所を回り、桜井を暗に支持する選挙干渉があったという。
室谷 邦夷(むろや くにい、1897年 <明治30年> 12… 室谷 邦夷(むろや くにい、1897年 <明治30年> 12月15日 - 1972年 <昭和47年> 4月30日)は、日本の経営者。北海道放送社長を務めた。位階は正五位。 北海道江差町出身、1905年より新潟県巻町(現・新潟市西蒲区)に住む伯母に養育された。このため新潟県出身と表記する資料も存在する。新潟県立巻中学校(現・新潟県立巻高等学校)を経て、1917年に東京薬学校を中退。 1917年3月に網走の回漕店に入社するも、同年9月に親戚が務める樺太の新聞社・樺太日日新聞社に転職し編集局社会部に配属される。 1918年に札幌で泊まっていた宿で記者募集の広告を見たことをきっかけに、北海タイムス社(現・北海道新聞社)に入社。