藤井 建悟(ふじい けんご、2002年11月21日 - )は… 藤井 建悟(ふじい けんご、2002年11月21日 - )は、千葉県市川市出身のプロサッカー選手。JFL・アスルクラロ沼津所属。ポジションはミッドフィールダー。 千葉県市川市出身。6歳上の兄の影響でサッカーを始め、小・中学時代は松戸市のまつひだいSC、FCクラッキス松戸に所属した。高校は八千代松陰高等学校に進学した。その後東京農業大学に進学し、大学4年時には主将に就任。関東大学サッカーリーグ3部でアシスト王に輝き、ベストイレブンも受賞。関東2部昇格に貢献した。 2024年12月7日、アスルクラロ沼津に加入することが発表された。2025年2月16日、J3リーグ開幕戦のガイナーレ鳥取戦で先発出場。Jリーグデビューを飾り、Jリーグ初得点も記録した。
松浦 昇汰(まつうら しょうた、2000年7月28日 - )… 松浦 昇汰(まつうら しょうた、2000年7月28日 - )は、埼玉県熊谷市出身の元サッカー選手である。現役時代のポジションは、ボランチまたはサイドバックであった。 兄の影響で4歳からサッカーを始め、小学校5年生のときに熊谷市で活動する地域クラブチームである江南南サッカー少年団に入団した。江南南サッカー少年団は、埼玉県内だけでなく全国でも知名度の高い強豪チームであり、元日本代表の原口元気選手が所属していたことでも知られている。中学時代はFC深谷、高校時代は東京農業大学附属第三高校サッカー部に所属し、チームに貢献した。 高校卒業後は、東京都社会人サッカーリーグのHBO東京に当時最年少の副キャプテンとして所属した。
丸山 壮大(まるやま そうた、1999年6月25日 - )は… 丸山 壮大(まるやま そうた、1999年6月25日 - )は、新潟県出身のサッカー選手。J3リーグ・ギラヴァンツ北九州所属。ポジションはMF。 アルビレックス新潟のアカデミーで育成されたが、トップチームには昇格できず東京農業大学に進学。2021年12月、2022年シーズンからのガイナーレ鳥取加入決定が発表された。 2022年3月20日、J3リーグ第2節のカマタマーレ讃岐戦で後半途中から出場しJリーグデビュー。 2026年、ギラヴァンツ北九州へ完全移籍。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
小山 珠里(こやま しゅり、1999年1月24日 - )は、… 小山 珠里(こやま しゅり、1999年1月24日 - )は、埼玉県出身のプロサッカー選手。ポジションは、DF。関西サッカーリーグ1部・Cento Cuore HARIMA所属。株式会社まちのミライ所属 成立学園高校・東京農業大学を経て、2021年からガイナーレ鳥取に加入。 2022年7月25日にMIOびわこ滋賀(翌年からレイラック滋賀FCに名称変更)に期限付き移籍。2023年も滋賀との期限付き移籍の延長した。 2023年11月20日、滋賀への期限付き移籍終了と鳥取との契約満了を発表。同年12月13日、Jリーグ合同トライアウトに出場した。 2024年、FC刈谷へ移籍。 2024年9月、北海道十勝スカイアースへ移籍。
安藤 一哉(あんどう かずや、1997年7月15日 - )は… 安藤 一哉(あんどう かずや、1997年7月15日 - )は、千葉県出身のプロサッカー選手。Jリーグ・AC長野パルセイロ所属。ポジションは、ミッドフィルダー、ディフェンダー。 ジェフユナイテッド千葉U-15、同U-18を経て、東京農業大学へ進学した。 2020年より、ガイナーレ鳥取へ加入、中盤右サイドのレギュラーに定着し32試合出場した。2021年6月、天皇杯セレッソ大阪戦で左膝を負傷し復帰見込み8ヶ月の重傷を負った。2022年シーズン終了後、クラブと双方合意のもと契約を解除し退団。 2023年、FC今治へ加入。22試合出場も1年で退団。 2024年、AC長野パルセイロに移籍。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。
中島 拓真(なかじま たくま、1995年4月3日 - )は、… 中島 拓真(なかじま たくま、1995年4月3日 - )は、栃木県出身の元サッカー選手。ポジションは、ディフェンダー(DF)。 栃木SCのアカデミーを経て、東京農業大学へ進学。 2018年より、アスルクラロ沼津へ加入した。 2019年を以て、アスルクラロ沼津を退団。 2020年より、ホンダロックSCに移籍。 2024年をもって現役引退。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
岡庭 裕貴(おかにわ ゆうき、1995年1月3日 - )は、… 岡庭 裕貴(おかにわ ゆうき、1995年1月3日 - )は、東京都出身のプロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 横河武蔵野FCユースから東京農業大学に進学。2017年、ザスパクサツ群馬にアマチュア契約にて入団。 2月26日のJ2リーグ第1節、V・ファーレン長崎戦でJリーグ初出場を果たす。10節終了時点で9試合に出場し、5月1日付けでプロ契約を締結した。2018年シーズン終了後、契約満了により退団。同年12月12日、フクダ電子アリーナで行われたJリーグ合同トライアウトに出場した。 2019年、東京ユナイテッドFCへ移籍。 2020年、栃木シティFCへ完全移籍。2020年シーズンは、4アシストをあげて関東サッカーリーグ1部のアシスト王(6人同率)に選出された。
小田原 貴(おだわら たかし、1992年12月3日 - )は… 小田原 貴(おだわら たかし、1992年12月3日 - )は、東京都府中市出身のサッカー選手。ポジションはMF。 府ロクジュニアユースからトリプレッタユースを経て東京農業大学に進学した。大学では造園を専攻した。 大学卒業後、先輩の伝手で2015年に当時フィリピンのJPボルテスFCに加入。加入1年目のシーズンにクラブはユナイテッド・フットボールリーグ2部で2位となり、入れ替え戦を経て1部に昇格を果たした。 2018年にダバオ・アギラスFCに移籍。しかし、クラブは新リーグ構想の混乱が原因で同年末に活動休止してしまう。 半年以上の無所属期間を経て、2019年8月2日にセレス・ネグロスFCへの加入が発表された。
中垣内 優太(なかがいと ゆうた、1991年6月3日 - )… 中垣内 優太(なかがいと ゆうた、1991年6月3日 - )は、東京都世田谷区出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 バディSCの二学年先輩に丸山祐市と奥埜博亮、一学年後輩に武藤嘉紀がいる。 2004年に三菱養和SCジュニアユースに加入。2007年に三菱養和SCユースに昇格。2009年のJFAプリンスリーグU-18関東2位。U-18高円宮杯で全国3位。ユースでは加藤大、玉城峻吾などが同期。 2010年から東京農業大学国際食料情報学部に進学し、サッカー部に入部。4年時の2013年には主将として関東大学リーグ2部を戦う。2014年1月にフィリピン・ユナイテッド・フットボールリーグ (フィリピン)所属のMAJ FC(マニラオールジャパン、後にJPボルテスFCに改名)と契約。
石野 秀多(いしの しゅうた、1990年10月27日 - )… 石野 秀多(いしの しゅうた、1990年10月27日 - )は、東京都出身のサッカー選手。ポジションは、ミッドフィールダー。 東京農業大学を卒業後、練習生を経て2013年10月より藤枝MYFCへ入団。公式戦出場はなく、シーズン終了後に退団。2014年、HBO東京に移籍。2016年5月13日、モンゴル・リーグのエルチムに移籍。
池上 智視(いけがみ さとし、1990年8月14日 - )は… 池上 智視(いけがみ さとし、1990年8月14日 - )は、静岡県出身のサッカー選手。JFL・ホンダロックSC所属。ポジションは、ミッドフィールダー(MF)。
鳴海 勝也(なるみ かつや、1987年7月8日 - )は、青… 鳴海 勝也(なるみ かつや、1987年7月8日 - )は、青森県おいらせ町 出身の元サッカー選手。ポジションは、フォワード(FW)。
常盤 聡(ときわ さとし、1987年5月14日 - )は、東… 常盤 聡(ときわ さとし、1987年5月14日 - )は、東京都八王子市出身のサッカー選手。ポジションはフォワード(FW)。 小学校1年時にサッカーを始める。早稲田実業高校へ進学したが1学年在籍中に留年することとなったため、2学年より通信制高校に転入し、同時にFC東京の下部組織に加入した。長島裕明の厳しい指導の下2005年のJリーグユース選手権では15得点を挙げ、得点ランキング2位に入るなどの活躍を見せた。同期に村田翔などがいた。2006年に進学した東京農業大学では、高い身体能力と技術を発揮して2年時から関東2部リーグの得点ランキング上位に定着し、4年時には副将としてチームを支え、伊藤大介(順天堂大学)とともに4年間の最多出場選手として表彰された。
工藤 祐生(くどう ゆうせい、1986年4月5日 - )は、… 工藤 祐生(くどう ゆうせい、1986年4月5日 - )は、神奈川県相模原市出身の元プロサッカー選手。サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。 2009年、栃木SCに練習生参加を経て正式加入した が、同年限りで契約満了により退団した。2010年、SC相模原に移籍した。2015年3月15日のJ3リーグ第1節、Jリーグ・アンダー22選抜戦でJ3リーグ通算500得点目となるゴールを決めた。 2018年シーズンを最後に現役を引退した。 2024年4月10日、SC相模原のスクールコーチ就任が発表された。
髙橋 延仁(たかはし のぶひと、1983年4月9日 - )は… 髙橋 延仁(たかはし のぶひと、1983年4月9日 - )は、東京都世田谷区出身の元サッカー選手。 三菱養和スポーツクラブからFC東京U-18に進み、背番号10をつけ攻撃的MFとして活躍。2001年には、トップチームへと昇格した馬場憂太、尾亦弘友希らとともに、クラブユース優勝、高円宮杯及びJユースカップに準優勝という結果を残した。 2002年に東京農業大学に進学した後、サッカー部では2年時から先発に定着し、以後公式戦全試合に出場した。 大学を卒業した2006年にはJFLの佐川急便東京SCに加入。右サイドバックにコンバートされ、運動量と攻撃力を生かしてレギュラーとして活躍するも、シーズン途中に負傷で離脱した。
髙橋 延仁(たかはし のぶひと、1983年4月9日 - )は… 髙橋 延仁(たかはし のぶひと、1983年4月9日 - )は、東京都世田谷区出身の元サッカー選手。
実信 憲明(さねのぶ のりあき、1980年5月7日 -)は、… 実信 憲明(さねのぶ のりあき、1980年5月7日 -)は、広島県広島市安佐南区 出身の元サッカー選手・サッカー指導者である。現役時のポジションはミッドフィルダー。 小学3年生からサッカーを始め、広島市立沼田高等学校では2年次に全国高校選手権に出場し、初戦で丸岡高校にPK戦の末に敗れた。また、個人としては3年次に森崎浩司・朝日大輔らとともにかながわ・ゆめ国体の広島県・少年男子代表に選ばれている。 高校卒業後は東京農業大学に進学。3年次に関東リーグ戦2部のベストイレブンと関東選抜Bに、4年次には関東選抜Aに選出されている。 2003年、日本フットボールリーグのSC鳥取に入団。1年目から出場して、2005年には鳥取県国体成年男子代表として当時の同僚である山村泰弘、西村英樹、増本浩平らとともに晴れの国おかやま国体 に出場した。
板橋 裕也(いたばし ゆうや、1979年7月16日 - )は… 板橋 裕也(いたばし ゆうや、1979年7月16日 - )は、埼玉県川越市出身の元サッカー選手。元U-17日本代表。 前橋育英高校時代には、U-17日本代表としてU-17世界選手権で2試合に出場。3年時には第75回全国高校サッカー選手権大会でベスト8入りし、大会優秀選手に選ばれた。大会優秀選手には中村俊輔、小笠原満男、遠藤保仁、村井智晃(桐光学園-東京農業大学-ホンダルミノッソ狭山)がいる。 国士舘大学に進学し、2年時には関東大学リーグで4得点を挙げ得点ランキング3位に入る。卒業後はJFLの栃木SCに入団し、3年間在籍した。 2008年、ホンダルミノッソ狭山FCを退団し引退。引退後は埼玉県のNPO法人でサッカースクールのコーチを務める。
酒井 良(さかい りょう、1977年8月9日 - )は、神奈… 酒井 良(さかい りょう、1977年8月9日 - )は、神奈川県相模原市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF、FW。 2000年に東京農業大学から湘南ベルマーレに入団。1年目からリーグ戦40試合に出場。 2006年、ユース時代を過ごしたFC町田ゼルビアに移籍。2012年限りで現役を引退後は同クラブのスクールコーチに就任。2017年にはセルビア共和国のFKヴォイヴォディナ・ノヴィ・サドに派遣され、アカデミーコーチを務めた。 2024年、新潟医療福祉大学サッカー部のコーチに就任。
久野 智昭(くの ともあき、1973年9月25日 - )は、… 久野 智昭(くの ともあき、1973年9月25日 - )は、静岡県静岡市駿河区出身の元サッカー選手。静岡市立高等学校、東京農業大学卒業。ポジションはミッドフィールダー。最終所属はJリーグの川崎フロンターレ。ボランチ、左サイド、右サイドと中盤ならどこでもこなすユーティリティープレイヤーで、ディフェンダーも務めたこともある。 1996年、富士通に入社。1997年、ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)所属の富士通川崎フットボールクラブのプロ化に伴い川崎フロンターレの選手となるが、伊藤彰、高田栄二らとともに富士通にも所属する「社員選手」として活躍した。 チームが日本プロサッカーリーグ2部(J2)所属となった1999年には左サイドに定着し、芸術的なフリーキックで幾度となくチームを窮地から救ってMVP級の活躍を見せ、チーム初のJ1昇格に貢献。
田中 信孝(たなか のぶたか、1971年6月10日 - )は… 田中 信孝(たなか のぶたか、1971年6月10日 - )は、埼玉県出身の元サッカー選手。ポジションはDFまたはMF。
木島 敦(きじま あつし、1969年9月6日 - )は、埼玉… 木島 敦(きじま あつし、1969年9月6日 - )は、埼玉県出身の元サッカー選手で、現在はサッカー指導者・解説者である。ポジションはMF。 中学時代にU-16日本代表に選ばれ、帝京高校から東京農業大学を経て、東芝に入社。 東芝サッカー部がコンサドーレ札幌に変わると、出向選手として所属。1996年シーズンは14試合に出場し2得点9アシストとチーム1の得点生産率と活躍した。 シーズン終了後大分トリニティに移籍。 引退後は札幌に戻り、ベアフット北海道の監督に就任する一方、スカイパーフェクTV!などでのサッカー解説やサッカー教室の主宰として活動。 現在はベアフット北海道を辞め、サンクFCくりやまに所属した後、2009年からクラブフィールズ・ノルブリッツ北海道の監督に就任。
小島 光顕(こじま みつあき、1968年7月14日 - )は… 小島 光顕(こじま みつあき、1968年7月14日 - )は長崎県出身の元サッカー選手(MF、DF)、サッカー指導者。 東京農業大学卒業後、当時日本サッカーリーグ2部の富士通に加入し、1993年Jリーグ開幕にあわせてサンフレッチェ広島に移籍。記念すべきJリーグ開幕戦に出場、決勝点を決める。本来守備的なMFであったが、そのユーティリティー性をかわれDFや右ウイングなどでも活躍した。1999年出場機会と他チームでのプレー経験を求めアビスパ福岡移籍。ここではセンターバックとして活躍したが、若返りの煽りを受け、戦力外通告により2002年に引退 2005年7月末、神奈川県相模原市にて、整体・リフレクソロジーサロンを開業。
神田 勝夫(かんだ かつお、1966年6月21日 - )は、… 神田 勝夫(かんだ かつお、1966年6月21日 - )は、新潟県新潟市出身の元プロサッカー選手、大学教授。兄(昭夫・日立)と弟(勝利・NKK)は共にJSLでプレーした経験を持つ。 NKK在籍時まではフォワードであったが、1994年に移籍したセレッソ大阪で左サイドバックに転向。同年JFLのベストイレブンに選出される。アウトサイドのプレーヤーとして中盤でもプレーした。 1995年に新潟県出身者として初めて日本代表に選ばれ、1995年5月28日のキリンカップ・エクアドル代表戦で1キャップを記録。1998年より横浜F・マリノス、2000年よりアルビレックス新潟でプレーし、2003年をもって現役を引退した。
梶野 智(かじの さとし、1965年11月9日 - )は、愛… 梶野 智(かじの さとし、1965年11月9日 - )は、愛知県出身の元サッカー選手である。現役時代のポジションはDF(ストッパー)、MF(守備的MF)。GSsports株式会社代表取締役。兄の梶野智幸も元サッカー選手、現サッカー指導者。 岡崎城西高等学校、東京農業大学卒業。1988年にヤンマーディーゼルサッカー部に入団。1993年にチームがセレッソ大阪となってからは初代キャプテンを務め、1995年のJリーグ昇格時には守備の要として活躍し、「ヒゲカジ」の愛称で親しまれた。1998年にコンサドーレ札幌に移籍し、翌年に現役を引退。 現役を引退した梶野は、2000年にセレッソ大阪にサッカースクールスタッフに就任 し、2004年まで運営責任者として活動した。
牧田 有史(まきた ゆうし、1964年1月10日 - )は、… 牧田 有史(まきた ゆうし、1964年1月10日 - )は、日本の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 静岡県立清水東高等学校では望月達也、反町康治、澤入重雄と同期。2年時の高校総体では優勝、高校選手権では準優勝した。 東京農業大学を経て1986年、日本サッカーリーグのマツダサッカークラブに加入。1991-92シーズンにはリーグ戦5試合に出場し1得点1アシストを記録した。プロ化によりサンフレッチェ広島へ移行後も1992年までプレーした[要出典]。
山西 博文(やまにし ひろふみ、1963年6月22日 - )… 山西 博文(やまにし ひろふみ、1963年6月22日 - )は、広島県出身の元サッカー選手(DF)、元サッカー審判員。現在はJリーグのサンフレッチェ広島職員。 広島市立舟入高等学校、東京農業大学卒業。高校・大学の1年先輩に石井知幸がいる。 卒業後マツダに入社、マツダSC(現サンフレッチェ広島)に在籍。ディフェンダーとして松田浩や信藤克義)らとともにDFラインを形成し、高橋真一郎、風間八宏、森保一、織田秀和、前川和也らとプレーした。 Jリーグ発足後はプロ契約を結ばず、サンフレッチェ広島強化部の職員としてユース年代の指導に当たりつつ、審判員として活動する。1997年に1級審判員登録。以後、J1を中心とした国内試合の主審として笛を吹く。
石井 知幸(いしい ともゆき、1963年2月28日 - )は… 石井 知幸(いしい ともゆき、1963年2月28日 - )は広島県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF。 1981年に日本ユース代表としてAFCユース選手権出場。1985年にユニバーシアード代表として神戸大会出場の経験を持つ。 大学卒業後にヤマハ発動機サッカー部(現、ジュビロ磐田)に入部し、主にサイドバックとして活躍した。 引退後は主にジュビロ磐田の下部組織の指導に携わっていたが、2007年と2008年はアルビレックス新潟のヘッドコーチを務めた。2009年からはジュビロ磐田に復帰している。ジュビロ磐田のスカウト時代には福西崇史らを獲得している。
結城 治男(ゆうき はるお、1963年1月9日 - )は、広… 結城 治男(ゆうき はるお、1963年1月9日 - )は、広島県出身の元サッカー選手、及びサッカー指導者。 広島工業高等学校から東京農業大学を経て湘南ベルマーレの前身であるフジタサッカークラブでプレー。1992年の現役引退後はJリーグに昇格したベルマーレのJrユースコーチなどを経て1997年よりL・リーグ所属のフジタSCマーキュリーの監督に就任。チームが解散する1998年まで指揮(1998年は総監督として)をとっていた。マーキュリー解散後はベルマーレに戻りユースチームの指揮をとるなどしていた。1999年にJFA 公認S級コーチのライセンスを取得している。 2003年に選手時代から長年所属していたベルマーレを去り、Jリーグ所属のヴァンフォーレ甲府のコーチに就任。
大木 武(おおき たけし、1961年7月16日 - )は、静… 大木 武(おおき たけし、1961年7月16日 - )は、静岡県清水市(現静岡市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 静岡県立清水東高等学校(高校の同級生に望月一頼)、東京農業大学を経て、富士通に入社。MF/FWとしてプレー。1991年に現役引退した。 母校である東京農業大学からコーチの依頼を受け、次の可能性にトライしてみようと現役を引退し、富士通に勤めながら指導者としての道を歩み始めた。1993年には富士通を退社し清水エスパルスのユース監督兼ジュニアユースコーチに就任。その後サテライトコーチを経て、1999年にはスティーブ・ペリマンが一時帰国した際には代行監督としてナビスコ杯2回戦で指揮を執った。
森下 申一(もりした しんいち、1960年12月28日 - … 森下 申一(もりした しんいち、1960年12月28日 - )は、静岡県静岡市出身の元サッカー選手。サッカー指導者。日本サッカー協会公認S級ライセンス取得。元日本代表。 静岡学園高校1年生の時に第55回全国高等学校サッカー選手権大会で準優勝。東京農業大学卒業後の1983年にヤマハ発動機サッカー部(現・ジュビロ磐田)に入部後、直ちに正GKの座を獲得した。 1985年にサッカー日本代表に選出され、その年の1986 FIFAワールドカップ・アジア予選に参加。正GKに松井清隆の存在があった為に控えに甘んじたが、同年9月のアウェー、香港戦に出場。松井に劣らないスーパーセーブを連発。相手のラフプレーにも動じない冷静な守備で、1点は失うものの、2-1の勝利に貢献した。
梶野 智幸(かじの ともゆき、1960年7月11日 - )は… 梶野 智幸(かじの ともゆき、1960年7月11日 - )は、愛知県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。弟の梶野智も元サッカー選手である。 岡崎城西高等学校、東京農業大学卒業。1983年にヤンマーに入団。1988年からは日本代表に選出され、1989年のW杯イタリア大会アジア地区1次予選では5試合に出場した。Jリーグ開幕後はガンバ大阪で活躍したが、チームの大幅な選手入れ替えにより退団。94年にはミューレル(ルイス・アントニオ・コレイア・ダ・コスタとは別人)と共に旧JFLの柏レイソルへ移籍し、途中加入の柱谷幸一、戸塚哲也らとJリーグ昇格に貢献し、1995年限りで引退した。 ・JSLオールスターサッカー 3回出場(1988年、1989年、1990年)
杉山 誠(すぎやま まこと、1960年5月17日 - )は、… 杉山 誠(すぎやま まこと、1960年5月17日 - )は、静岡県藤枝市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 ポジションはDF。双子の弟の杉山実 も元サッカー選手である。 藤枝市立藤枝中央小学校でサッカーを始める。藤枝市立藤枝中学校3年次には全国中学校サッカー大会に出場し準優勝に貢献した。高校は地元の藤枝を離れ、静岡学園高校に進学。井田勝通監督の下で1年次に高校サッカー選手権準優勝。2年次には静岡県国体選抜に選出され、国民体育大会サッカー競技で優勝。3年次には日本ユース代表に選出、松本育夫監督の厳しい指導を受けた結果、最終メンバーに残り、1979年のFIFAワールドユース日本大会に出場した。 東京農業大学卒業後、1983年に日本サッカーリーグ1部の日産自動車サッカー部に加入。
柳下 正明(やなぎした まさあき、1960年1月1日 - )… 柳下 正明(やなぎした まさあき、1960年1月1日 - )は、静岡県浜松市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 静岡県立浜名高等学校3年次に第56回全国高校サッカー選手権に出場。優勝候補と目されたが、1回戦で同じ優勝候補の北陽高校にPK戦の末敗退。東京農業大学在学中に1979 FIFAワールドユース選手権で3試合に出場した。 卒業後はヤマハ発動機サッカー部(後のジュビロ磐田)でDFとして活躍。1982年度の天皇杯優勝、1987年の日本リーグ優勝などに貢献した。本人は現役時代の自分を「もともとは激しいプレーヤー。だんだん経験を積み、また体もそんなに大きくなかったので、徐々にポジショニングや予測を生かしてボールを奪うという守備をするようになった」と回想している。
沖野 隆幸(おきの たかゆき、1959年4月10日 - )は… 沖野 隆幸(おきの たかゆき、1959年4月10日 - )は、広島県出身の元サッカー選手。 県立広島工業高校の3年時の1977年には猿沢茂とツートップを組み岡山高校総体ベスト4、得点王も獲得し全日本高校選抜にも選出された。 1982年に東京農業大学を卒業後、日本サッカーリーグ2部に降格した杉山隆一監督下のヤマハ発動機サッカー部に入部。突破力とシュート力を買われすぐにFWとして起用され、同期入団の内山篤や柳下正明らと共に活躍した。 前期終了後にコーチとして招聘されたハンス・オフトからトータルサッカーの要である攻撃的MFにコンバートされ、忠実なプレーでチームの1部昇格に貢献した。 第62回天皇杯では若き主将として大活躍を見せる。
石﨑 信弘(いしざき のぶひろ、1958年3月14日 - )… 石﨑 信弘(いしざき のぶひろ、1958年3月14日 - )は、広島県広島市中区出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現松本山雅FC監督。 実家は旧広島市民球場の近くで、身近なスポーツは野球だったが、広島市立広瀬小学校4年生のときに友達の誘いでサッカーを始める。ポジションは中学生の時から常にディフェンダーだった。県立広島工業高校時代は河内勝幸、金田喜稔、楚輪博、木村和司、猿沢茂、室野哲雄らと共に全国高校選手権ベスト4を経験した。指導者として手本は高校時代の松田輝幸監督という。 その後東京農業大学を経て1980年に日本サッカーリーグ (JSL) 2部の東芝に加入。チームではいわゆる「ストッパー」の役割を任され、ハードなディフェンスで JSL2部時代には5年連続ベストイレブンに選ばれるなど活躍する。
石崎 信弘(いしざき のぶひろ、1958年3月14日 - )… 石崎 信弘(いしざき のぶひろ、1958年3月14日 - )は、広島県広島市中区出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
長澤 和明(ながさわ かずあき、1958年2月4日 - )は… 長澤 和明(ながさわ かずあき、1958年2月4日 - )は、静岡県清水市(現在の静岡市清水区)出身の元サッカー選手・指導者・解説者。日本代表経験を持ち、Jリーグ所属のジュビロ磐田の初代監督も務めた。長女は女優の長澤まさみ。子供は、長男と長女(まさみと兄が年子)。 清水東高校で高校総体3位(1973年)高校選手権準優勝(1974年)を経験、東京農業大学を卒業後、1980年に日本サッカーリーグ所属のヤマハ発動機サッカー部に入部。ゲームメーカーとして活躍した。また1982年にハンス・オフトがヤマハのコーチとして初訪日した時の主将であった。1978年からは日本代表に選出されたが、同じポジションに木村和司が存在したため9試合出場に留まっている。
高橋 武夫(たかはし たけお、旧姓:木村、1947年5月13… 高橋 武夫(たかはし たけお、旧姓:木村、1947年5月13日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはFW。 東京都品川区で生まれ、小学4年生の時に埼玉県蕨市に引越す。少年時代から運動能力が高く中学時代から本格的にサッカーを始めると、この当時からフォワードを務めていた。高校は埼玉県立川口高等学校へ進学し、2年次の高校選手権予選では決勝へ進出したが、浦和勢の牙城を崩して全国大会へ出場する事はかなわなかった。 全国的には無名の存在だったが3年次にAFCユース選手権の選考を兼ねた高校地域選抜大会に埼玉県選抜の選手として参加。ここでのプレーが日本ユース代表監督の平木隆三に認められ、翌1965年のアジアユース代表に選ばれた。