スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
小林 大介(こばやし だいすけ、1992年10月23日 - … 小林 大介(こばやし だいすけ、1992年10月23日 - )は、新潟県上越市出身の元サッカー選手。ポジションはMF。 小学4年生の頃からサッカーをはじめる。北陸大学卒業後の2015年に北信越フットボールリーグ1部のアルティスタ東御に加入するが1年で退団し、2016年にタイに渡る。しかし、トライアウトに参加するも契約には至らなかった。 東京23FCのセカンドチームのトレーニング参加を経て、2016年7月にタイ・ディヴィジョン2(当時3部相当)のナコーンパノムFC(英語版)と契約してプロ選手としてのキャリアをスタートさせた。 2017年2月、タイ・リーグ3のスラートターニーFC(英語版)に移籍。 2018年、メトフォン・Cリーグのプリヤ・カーン・リーチ・スヴァイリエンFCに加入。
稲垣 啓太(いながき けいた、1990年6月2日 - )は、… 稲垣 啓太(いながき けいた、1990年6月2日 - )は、ジャパンラグビートップリーグのパナソニックワイルドナイツ並びに南半球3か国のプロチームが競う世界最高峰のスーパーラグビーのサンウルブズに所属するラグビー選手。
野本 安啓(のもと やすひろ、1983年6月25日 - )は… 野本 安啓(のもと やすひろ、1983年6月25日 - )は、新潟県新潟市出身の元サッカー選手。ポジションは、DF。 2002年から千葉大学工学部夜間コースに入学し、2005年春にシンガポール移籍を機に休学。復学と同時に岡山大学に編入し転校。2010年3月岡山大学経済学部卒業。
小林 浩孝(こばやし ひろたか、1981年7月18日 - )… 小林 浩孝(こばやし ひろたか、1981年7月18日 - )は新潟県新潟市出身のサッカー選手、サッカー指導者。
川口 信男(かわぐち のぶお、1975年4月10日 - )は… 川口 信男(かわぐち のぶお、1975年4月10日 - )は、新潟県三条市出身(出生は隣接している加茂市)のサッカー指導者、元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード(FW)及びミッドフィールダー(MF)。 小学生の時に兄の影響でサッカーを始めた。高校時代には新潟県選抜として国体に2度出場。1994年に順天堂大学に進学し、先輩・名波浩のパスからゴールに迫る活躍で 同年の関東大学リーグ新人賞を受賞。スピードを活かした突破力を武器に快足ストライカーとして名を馳せた。同期に鈴木悟、鳥羽俊正。1997年には大学選抜に選出され、ユニバーシアードに参加。 1998年、名波が在籍するジュビロ磐田に入団。
浦上 幸二郎(うらかみ こうじろう、1968年3月19日 -… 浦上 幸二郎(うらかみ こうじろう、1968年3月19日 - )は、新潟県出身のバスケットボール選手・指導者である。 坂井輪中学校、新潟工業高校から順天堂大学を経て、住友金属に入社。バスケットボール部に所属。 1998年の休部ととも地元である新潟支社に配属。一方、新潟工業OBチームでプレーを続け、国体にも出場した。 2004年、社員の肩書きのまま新潟アルビレックスBBのアシスタントコーチに就任。bjリーグ発足後も変わらず。 2008年、アドバイザリーコーチとなる。同年の大分国体では新潟県の監督を務めた。 プロ野球、阪神タイガースの熱烈なファンである。
神田 勝夫(かんだ かつお、1966年6月21日 - )は、… 神田 勝夫(かんだ かつお、1966年6月21日 - )は、新潟県新潟市出身の元プロサッカー選手、大学教授。兄(昭夫・日立)と弟(勝利・NKK)は共にJSLでプレーした経験を持つ。 NKK在籍時まではフォワードであったが、1994年に移籍したセレッソ大阪で左サイドバックに転向。同年JFLのベストイレブンに選出される。アウトサイドのプレーヤーとして中盤でもプレーした。 1995年に新潟県出身者として初めて日本代表に選ばれ、1995年5月28日のキリンカップ・エクアドル代表戦で1キャップを記録。1998年より横浜F・マリノス、2000年よりアルビレックス新潟でプレーし、2003年をもって現役を引退した。
古俣 健次(こまた けんじ、1964年7月15日 - )は新… 古俣 健次(こまた けんじ、1964年7月15日 - )は新潟県新潟市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。サッカー解説者。 新潟工業高校から大阪商業大学を経て、1987年に日本サッカーリーグ(JSL)のヤマハ発動機(現ジュビロ磐田)に入団。1987/88年シーズンで全試合に出場し、新人王を受賞。日本代表合宿に招集され、松永成立、武田修宏、黒崎久志、菊原志郎らと共にマラハリムカップに出場し、優勝に貢献した。ジャパンフットボールリーグを経て、ジュビロがJリーグ昇格後の1994年まで主力の一角としてプレーしたが、1995年は頸椎の骨折や、同じポジションのドゥンガ加入などが原因でわずか1試合の出場に留まり、オフに戦力外通告を受けて退団した。
高島 章(たかしま あきら、1962年3月13日[要出典] … 高島 章(たかしま あきら、1962年3月13日[要出典] - 2023年3月)は、日本の元弁護士である。弁護士名簿登録番号は22968である(2022年登録抹消)。2000年度に新潟県弁護士会副会長を務めた。 朝鮮総聯新潟県本部顧問弁護士と日本弁護士連合会刑事法制委員会幹事を務めていた。 2023年6月、ほかの弁護士のTwitter投稿より高島の訃報が認知され、高島と同じ教会に礼拝していた人物のFacebook投稿により、3月に死去していたことが明らかにされた。 新潟水俣病の未認定患者ら11人が国、県、昭和電工に1人当たり1200万円などの損害賠償を求める、新潟水俣病第3次訴訟で弁護団長を務めたが、2016年3月10日に新潟地方裁判所が原告9人中2人は同居家族に認定患者がおらず請求棄却、と判決すると「家族に認定患者がいるかいないか不当な線引きで、もう少し踏み込んだ判断をしてもらいたかった」「認定患者の有無が判断基準として定着することを恐れている」と語った。
有田 一矢(ありた かずや、1960年4月2日 - )は、新… 有田 一矢(ありた かずや、1960年4月2日 - )は、新潟県出身の元サッカー選手、ポジションはセンターバック。サッカー指導者。日本サッカー協会公認S級コーチ。 新潟工業高等学校が1978年度の全国高等学校サッカー選手権大会に初出場した時にはフォワードのポジションでプレー。その後、ヤマハ発動機に入ってからディフェンダーに転向。 ヤマハでは森下申一(後にサッカー日本代表GK)と同期入社。石神良訓、内山篤、柳下正明、吉田光範などと共にプレーし、1988年の日本サッカーリーグ1部優勝に貢献した。 1990-91年シーズンを最後に現役を引退。その後はサッカー指導者の道に入り、現在に至る。
橋本光夫(はしもと みつお、1949年4月12日 - )は、… 橋本光夫(はしもと みつお、1949年4月12日 - )は、日本の実業家。元浦和レッドダイヤモンズ(三菱自動車フットボールクラブ)代表取締役社長、元ラグビー選手。新潟県出身。
叶 精作(かのう せいさく、本名:田村 精作(たむら せいさ… 叶 精作(かのう せいさく、本名:田村 精作(たむら せいさく)、男性、1949年1月26日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。新潟県新潟市出身。大阪芸術大学キャラクター造形学科客員教授。 鉄道好きで、SLの機関士(運転士)を夢見る少年時代を送っていた。新潟県立新潟工業高等学校卒業後、NOKの静岡工場で設計課に勤務していたが、型にはまったサラリーマン生活に懲り、友人を頼り東京の板橋に上京。さいとう・たかを率いるさいとう・プロダクションの求人に応募。幸運にも採用されたことがきっかけで初めて漫画の世界に踏み込み、4年間のアシスタント生活の後、さいとうプロを退職する。 その後、紆余曲折を経てスタジオ・シップ(現・小池書院)で小池一夫に師事し、1973年に小池の原作による「からあ怒」で連載デビュー。
市村 俊彦(いちむら としひこ、1935年9月23日 - )… 市村 俊彦(いちむら としひこ、1935年9月23日 - )は日本のテレパシーの研究者。 新潟県中蒲原郡横越村(現新潟市江南区)生まれ。新潟県立新潟工業高等学校、新潟大学理学部物理学科(物性物理専攻)を卒業。新潟青陵高等学校、新潟明訓高等学校で教諭経験。 会社勤務の傍ら、数百名の会員を擁する超心理研究会を主宰し、1967年から1987年にかけて会誌『テレパシー』を119号まで発行した。
桜井 新(さくらい しん、1933年4月8日 - 2017年… 桜井 新(さくらい しん、1933年4月8日 - 2017年11月9日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元参議院議員(1期)、元衆議院議員(6期)。櫻井新とも書く。 新潟県南魚沼郡大和町(現:南魚沼市)出身。新潟県立六日町高等学校併設中学校、新潟県立新潟工業高等学校を経て1957年早稲田大学第一理工学部卒業。早稲田大学在学中から田中角栄の書生を務めた後に田中氏の後援会「越山会」の青年部長として活動した。東京都から新潟県に帰郷して建設業を経営した[要出典]。 1971年、新潟県議会議員選挙に立候補。この時は自らの会社の従業員を党員登録して、支部大会を半ば乗っ取る格好で自民党の公認を獲得し、当選して2期務める。
近藤 元次(こんどう もとじ、1930年(昭和5年)6月20… 近藤 元次(こんどう もとじ、1930年(昭和5年)6月20日 - 1994年(平成6年)2月16日)は、日本の政治家。位階は従三位勲一等、勲章は瑞宝章 農林水産大臣、衆議院議員(6期・自由民主党)を歴任した。息子は元自民党衆議院議員の近藤基彦。 新潟県佐渡郡相川町出身。新潟県立新潟工業高等学校を経て日本大学理工学部卒業。 相川町議会議員、新潟県議会議員を経て、1979年の第35回衆議院議員総選挙に旧新潟1区からに立候補し初当選(当選同期に佐藤信二・保利耕輔・畑英次郎・麻生太郎・小里貞利・岸田文武・白川勝彦・丹羽雄哉・亀井静香・吹田愰・宮下創平・亀井善之・船田元など)。連続当選6回。 自民党内では宏池会(大平正芳→鈴木善幸→宮澤喜一派)に所属。