大森 翔吾(おおもり しょうご、1996年2月19日 - )… 大森 翔吾(おおもり しょうご、1996年2月19日 - )は、日本の実業家、技術者、俳優。株式会社CAEN代表取締役CEO(旧社名:株式会社相談箱)。AI搭載SNS「DYSTOPIA」などの開発者として知られる一方、俳優としても活動し、ジールアビリティに所属している。愛媛県松山市出身。 愛媛県松山市に生まれる。両親が演劇をしていた影響もあり、高校時代から演劇活動を行う。俳優活動を続ける目的もあり、2014年4月に上京し、東京農工大学工学部情報工学科に進学。大学在学中も演劇活動を続けた。 2018年に同大学を卒業。卒業研究では「脳波を用いた自動車運転時における違和感の推定」に取り組んだ。同年、同大学大学院工学府情報工学専攻に進学するが、休学期間を経て2021年に中退した。
杉野 文則(すぎの ふみのり、1963年1月25日 - )は… 杉野 文則(すぎの ふみのり、1963年1月25日 - )は、日本の実業家。 株式会社ビーマップ創業者で、同社代表取締役社長。 1987年東京農工大学工学部卒業、同年日本油脂入社。 1998年ビーマップを設立し、代表取締役社長に就任。2002年にはナスダック・ジャパンに上場し、モバイルアプリケーションの開発などを進め、2008年ビーマップ取締役会長に就任。2012年ビーマップ代表取締役社長に復帰。2017年にはジェイアール東日本企画などとMedia to Mobile to Store(MMS)を行うMMSマーケティングを設立し、取締役に就任。モバイル・コンテンツ・フォーラム常務理事なども兼任。
大崎 篤(おおさき あつし 、1962年4月19日 - )は… 大崎 篤(おおさき あつし 、1962年4月19日 - )は、日本の実業家。SUBARU代表取締役社長CEO(最高経営責任者)。 東京都出身。子供のころからモノづくりが好きで、クルマ好き。それが大学院研究室での富士重工業からのエンジンの委託研究につながり、富士重工業の門をたたくことになった。社長就任の記者会見では「とにかく現場に足を運び、自分の目で判断したい。部下からすると面倒くさいやつだ」と発言し、現場好きを強調した。趣味はグルメ巡りで、特にスバル研究実験センターのある栃木県佐野市のご当地グルメ「佐野ラーメン」の食べ歩きを楽しんでいる。
有賀 修二(あるが しゅうじ、1959年3月22日 - )は… 有賀 修二(あるが しゅうじ、1959年3月22日 - )は、日本の技術者、実業家。ソニーモバイルディスプレイ代表取締役社長や、ジャパンディスプレイ代表取締役社長を務めた。 長野県茅野市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1983年東京農工大学大学院工学研究科修士課程修了、諏訪精工舎(現セイコーエプソン)入社。2003年取締役ディスプレイ事業部長。2005年三洋エプソンイメージングデバイス代表取締役社長。2011年ソニーモバイルディスプレイ代表取締役社長兼ソニー半導体事業本部事業部長。2012年ジャパンディスプレイ執行役員。2013年ジャパンディスプレイ取締役。2015年からジャパンディスプレイ代表取締役社長兼チーフ・オペレーティング・オフィサーを務め、収益安定化をはかった。
黒澤 良二(くろさわ りょうじ、1956年4月25日 - )… 黒澤 良二(くろさわ りょうじ、1956年4月25日 - )は日本の実業家。元横浜マリノス代表取締役社長。日産クリエイティブサービス監査役、ジヤトコ監査役等も歴任。 1981年東京農工大学工学部生産機械工学科卒業、日産自動車入社。1996年米国日産自動車製造会社出向。2002年日産自動車生産技術車両技術統括部主担。2004年北米日産会社出向。2005年日産自動車車両生産新車生産技術部新車進捗グループ主担。2005年日産モトール・イベリカ会社出向。2010年同社ヴァイスプレジデント。2011年日産自動車理事栃木工場工場長。2014年日産自動車車両生産新工場準備室COMPASプロジェクトCEO。2015年COMPAS CEO。
佐藤 公平(さとう こうへい、1954年11月26日 - )… 佐藤 公平(さとう こうへい、1954年11月26日 - )は、日本の実業家。ダイナムジャパンホールディングス取締役会議長兼代表執行役社長、ダイナム取締役会長、パチンコ・チェーンストア協会代表理事などを歴任した。 東京都出身。1980年東京農工大学工学部卒業。1982年テネシー工科大学大学院機械工学科修士課程修了、機械工学修士。1983年タケダ理研工業(現アドバンテスト)入社。1985年コダック入社。 1995年ダイナム入社。1998年ダイナム取締役経営企画室長。1999年ダイナム取締役購買部長。2000年にダイナム代表取締役に就任。2012年パチンコ・チェーンストア協会代表理事。2013年ダイナムジャパンホールディングス代表執行役。
池田 正己(いけだ まさき、1952年7月17日 - )は、… 池田 正己(いけだ まさき、1952年7月17日 - )は、日本の実業家。ホテルオークラ東京代表取締役会長兼社長総支配人を経て、同社代表取締役会長、日韓経済協会副会長、日本ホテル協会副会長。 東京都出身。1975年東京農工大学工学部工業経営管理専攻卒業、同年、大成観光(現ホテルオークラ)入社。社長室経営企画課長、事業部情報システム課長を経て、2005年ホテルオークラ東京ベイ管理部長に出向。2006年ホテルオークラ東京ベイ取締役管理部長。2008年ホテルオークラ東京ベイ常務取締役副総支配人兼管理統括部長、ホテルオークラ執行役員。2010年ホテルオークラ東京ベイ代表取締役専務総支配人。2011年ホテルオークラ上席執行役員。
金重 辰雄(かねしげ たつお、1952年2月25日 - )は… 金重 辰雄(かねしげ たつお、1952年2月25日 - )は、日本の獣医師、実業家。株式会社日本動物高度医療センター創業者・元代表取締役社長。 1971年神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校卒業。1975年東京農工大学農学部獣医学科卒業。1977年金重獣医科開院。1987年金重獣医科代表取締役。動物病院を経営する中で、緊急では診てくれない獣医系大学病院以外での動物に対する高度医療の必要性を感じ、2005年に日本獣医師会会長の山根義久東京農工大学農学部教授と共同で日本動物高度医療センターを設立し、代表取締役社長に就任。2007年には川崎市に高度医療センターを開業した。体調不良のため、2014年に日本動物高度医療センター代表取締役会長となり、川崎での開業のリーダーを務めた平尾秀博が後任に就いた。
能條 武夫(のうじょう たけお、1950年12月28日 - … 能條 武夫(のうじょう たけお、1950年12月28日 - )は、日本の繊維技術者、実業家。シキボウ株式会社代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本紡績協会会長などを務めた。 東京都出身。1973年東京農工大学工学部繊維高分子工学科卒業、敷島紡績入社。2002年シキボウ繊維部門紡績事業部長。2002年タイシキボウ代表取締役社長。2004年シキボウ執行役員。2007年シキボウ取締役繊維部門副部門長(技術担当)。2009年シキボウ常務取締役繊維部門長。2010年シキボウ常務取締役繊維部門長兼東京支社長。2012年シキボウ代表取締役社長。2014年日本紡績協会会長。2016年シキボウ代表取締役会長。
神戸 壽(かんべ ひさし、1950年6月22日 - )は、日… 神戸 壽(かんべ ひさし、1950年6月22日 - )は、日本の経営者。兵庫県西脇市出身。 東京農工大学在学中に加奈崎芳太郎、仲井戸麗市、奥津光洋と結成した4人組のフォークグループ「金崎芳樹と古井戸」にベース担当として参加。1970年9月に渋谷ジァン・ジァンでステージデビューを果たす。大学卒業後、1974年に松下電工入社、社内システムのオンライン化に関わる。1977年に退職し、家業の材木店を継ぐが、「将来、自分はこれをやったんだと子供に胸張って言えるものを残したい」というかつての音楽仲間の言葉を思い出し、1982年に兵庫県西脇市でソフトウェア開発会社「ブレイン」を創業。2012年にはトレイの上に載せたパンの種類を画像認識AI技術で識別、精算までを自動で行う「ベーカリースキャン」システムを兵庫県立大学と共同開発した。
加藤 太郎(かとう たろう、1948年9月6日 - )は、日… 加藤 太郎(かとう たろう、1948年9月6日 - )は、日本のプラント技術者、実業家。日本ガイシ代表取締役社長や、同社相談役、東京農工大学学長選考会議議長などを務めた。 埼玉県出身。1972年東京農工大学工学部卒業、日本碍子入社。上下水道プラントなどエンジニアリング事業を長く担当し、1999年取締役都市環境事業部長に昇格。2002年常務取締役。2004年専務取締役。2005年代表取締役副社長。2011年に技術系出身者としては吉本熊夫以来約50年ぶりとなる代表取締役社長に昇格。多角化の推進や、ナトリウム・硫黄電池事業等における火災事故からの復旧を行い、黒字回復を実現させた。2014年に相談役に退き、2015年に退任した。
杉山 健二(すぎやま けんじ、1947年2月2日 - 201… 杉山 健二(すぎやま けんじ、1947年2月2日 - 2017年6月17日)は、日本の経営者。共栄火災海上保険社長を務めた。山形県出身。 1971年に東京農工大学農学部を卒業し、同年に全国共済農業協同組合連合会に入会した。2008年に代表理事専務に就任し、2010年6月には共栄火災海上保険社長に就任。2014年6月には相談役に退いた。 2017年6月17日、膵臓がんのために死去。70歳没。
西村 弘行(にしむら ひろゆき、1945年〈昭和20年〉2月… 西村 弘行(にしむら ひろゆき、1945年〈昭和20年〉2月14日 - )は、日本の農学者・実業家・学校経営者。農学博士(北海道大学)。北海道東海大学最後の学長。 神奈川県横浜市出身。 1963年神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校卒業 1967年東京農工大学農学部卒業。 1969年名古屋大学大学院農学研究科修士課程修了。 1974年、北海道大学より農学博士の学位を取得。学位論文の題は「含硫アミノ酸の放射線化学並びに光化学に関する研究」。 1975年米国カリフォルニア大学バークレー校博士研究員(~1977年)。北海道大学農学部助教授を経て、 1988年 北海道東海大学工学部教授に就任 1989年 北海道東海大学夕張バイオ試験農場場長 1997年 株式会社北海道バイオインダストリー代表取締役副社長に就任。
小渕 光平(おぶち みつへい、1930年〈昭和5年〉6月8日… 小渕 光平(おぶち みつへい、1930年〈昭和5年〉6月8日 - 2008年〈平成20年〉5月26日)は、日本の実業家・政治家。光山社社長、群馬県中之条町長。旧名は小渕 庚午(おぶち こうご)。 父は衆議院議員を務めた初代・小渕光平。第84代内閣総理大臣の小渕恵三は実弟。デザイナーの小渕暁子と衆議院議員の小渕優子は姪。全国社会保険協会連合会副会長。 群馬県吾妻郡中之条町出身。1954年(昭和29年)明治大学商学部卒業。1958年(昭和33年)東京農工大学繊維学科修了。 同年小渕光平を襲名し光山社小渕製糸所代表に就任する。1959年(昭和34年)光山木材代表に就任。1960年(昭和35年)光山商事を設立し社長に就任。
下河辺 孫一(しもこうべ まごいち、1909年〈明治42年〉… 下河辺 孫一(しもこうべ まごいち、1909年〈明治42年〉2月5日 - 1997年〈平成9年〉10月10日)は、日本の実業家で、下河辺牧場の創業者。下河邉 孫一の表記もある。 1909年、元日本鉱業(現・ENEOS)社長・下河辺建二の長男として東京府(現・東京都)に生まれた。東京帝国大学獣医科実科(実科は1935年に東京高等農林学校として独立、現・東京農工大学)卒業後宮内省に入省、御料牧場の獣医師として5年間勤務の後独立して成田市に下河辺牧場を開業し、サラブレッドの育成に努めた。戦後北海道沙流郡門別町(現・日高町)に支場を開設して長男の下河辺俊行が経営にあたった。1975年(昭和50年)成田空港建設に伴い牧場を香取郡栗源町(現・香取市)に移転した。
丸茂 作太郎(まるも さくたろう、1903年〈明治36年〉5… 丸茂 作太郎(まるも さくたろう、1903年〈明治36年〉5月25日 - 1988年〈昭和63年〉)は、昭和期の実業家、政治家。長野県茅野市長。 長野県諏訪郡玉川村(現・茅野市)で、丸茂米作、きち の四男として生まれた。生家は製糸業で、旧制諏訪中学(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、旧制東京高等蚕糸学校(現・東京農工大学)卒業。1927年(昭和2年)丸茂製糸場に入社。1932年(昭和7年)同郡永明村(現・茅野市)に丸茂製糸工場を設立した。 1941年(昭和16年)永明村翼賛壮年団長に就任。1942年(昭和17年)永明村会議員となった。以後、ちの町消防団長、茅野町消防団長、茅野町議会議員などを歴任。
松岡 秀夫(まつおか ひでお、1898年〈明治31年〉3月7… 松岡 秀夫(まつおか ひでお、1898年〈明治31年〉3月7日 - 1944年〈昭和19年〉9月4日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、星河村長、忍町長。 埼玉県北埼玉郡星河村(現行田市)で、醤油醸造業・松岡三五郎の長男として生まれる。1915年、埼玉県立熊谷中学校(現在の埼玉県立熊谷高等学校)。1920年、東京帝国大学農学部農学実科を卒業した。1923年から1931年まで忍高等女学校で理科・実業科嘱託教師を務めた。 また、星河村農会長、蚕業組合長、忍貯蓄銀行取締役頭取、忍商業銀行(現・りそな銀行・埼玉りそな銀行)取締役頭取、星河村会議員、同村長、忍町会議員、同議長、同町長、埼玉県会議員、帝国在郷軍人会北埼玉郡連合分会長などを歴任。
萩原 寿雄(壽雄、はぎわら / はぎはら としお、1896年… 萩原 寿雄(壽雄、はぎわら / はぎはら としお、1896年(明治29年)4月8日 - 1981年(昭和56年)9月5日)は、日本の農業関係者、実業家、政治家。衆議院議員。 神奈川県出身。1919年(大正8年)東京帝国大学農科大学実科(現・東京農工大学農学部)を卒業した。 産業組合中央会主事補、全国購買農業協同組合連合会(現・全国農業協同組合連合会)主事、同肥料部長、同常任理事、農林省一般農林水産物価格形成専門委員会専門委員、神奈川県農業会長、同県蚕糸業会長、同県販売農業協同組合連合会長などを務めた。全国購買農業協同組合連合会の創立に加わった。 1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙に神奈川県第3区から国民協同党所属で出馬して当選し、衆議院議員を1期務めた。
片倉 三平(かたくら さんぺい、1890年12月15日 - … 片倉 三平(かたくら さんぺい、1890年12月15日 - 1977年3月29日)は、日本の実業家、長く日東紡績などの経営に当たった。妻・かずは2代目片倉兼太郎の次女。 片倉三平は、片倉財閥を興した片倉家の一員・片倉光治の三男として、長野県諏訪郡川岸村(現岡谷市)に生まれた。長野県立諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)を経て、東京高等蚕糸学校(現東京農工大学)を卒業。その後、片倉合名会社社員となり、その北陸監督や、片倉共栄製糸社長、片倉越後製糸社長など、傘下の様々な企業の役職を兼務した。 1921年に片倉傘下となっていた福島紡織が改組され、新たに福島県郡山市を拠点とする日東紡績が1923年に設立された際には、片倉三平が初代社長に就任した 。
岩崎 輝弥(岩崎 輝彌、いわさき てるや、1887年(明治2… 岩崎 輝弥(岩崎 輝彌、いわさき てるや、1887年(明治20年)6月18日 - 1956年(昭和31年)9月17日)は、日本の実業家。日本における鉄道趣味の先駆者である。 岩崎弥之助・早苗夫妻の三男として東京府(現・東京都)に生まれる。 1899年(明治32年)に高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)、1905年(明治38年)に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。東京帝国大学農科大学実科(現・東京農工大学農学部)を卒業。 三菱の創業者一族・岩崎家に生まれたこともあって大学卒業後は実業界に進んだ。 輝弥は実業家としては酪農業に従事しており、立川養豚場や吉屋信子の代表作『安宅家の人々』のモデルとなったことで知られる子安農園を経営したことで知られている。
下元 鹿之助(しももと しかのすけ、1875年(明治8年)8… 下元 鹿之助(しももと しかのすけ、1875年(明治8年)8月26日 - 1947年(昭和22年)10月22日)は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家。衆議院議員(3期)。 下元興行、桃の三男として、高知県高岡郡東又村(窪川町を経て、現在の四万十町)に生まれる。20歳まで家業手伝いののち高知県立農林学校を経て、東京蚕糸学校で養蚕技術を学ぶ。卒業後は母校の県立農林学校で教諭を3年間務めたのち県庁に出仕し、高知県技師として蚕業の発展に尽力する。のち大分県技師、1914年(大正3年)東又村長、翌年高知県会議員(3期当選、副議長などを歴任)を経て、1924年(大正13年)5月の第15回衆議院議員総選挙では高知県第4区から出馬し当選。