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岸本 遼太郎(きしもと りょうたろう、2003年7月4日 -… 岸本 遼太郎(きしもと りょうたろう、2003年7月4日 - )は、日本の陸上競技選手。高知県四万十市出身。東洋大学総合情報学部総合情報学科卒業。ひらまつ病院陸上部所属。 高知県立中村中学校、高知県立高知農業高等学校、東洋大学出身。 全国高等学校駅伝競走大会には2度出場している。1年時の第70回大会では1区を区間41位、3年時の第72回大会では1区を区間14位で走った。 1年時は三大駅伝の出場はなく、2年時の第100回箱根駅伝で三大駅伝デビュー。10区で区間賞を獲得し、3位の城西大学には21秒届かなかったが、前評判を覆して4位に食い込んだ。 3年時の第56回全日本大学駅伝では最終8区で区間7位だったが、東洋大学は13位に終わり2年連続でシード権を逃した。
植田 壯一郎(うえた そういちろう、1956年〈昭和31年〉… 植田 壯一郎(うえた そういちろう、1956年〈昭和31年〉2月6日 - )は、日本の政治家。高知県室戸市長(2期)。元高知県議会議員(5回)、室戸市議会議員(2期)。 高知県佐喜浜町(現・室戸市)生まれ。室戸市立佐喜浜小学校、室戸市立佐喜浜中学校、高知県立高知農業高等学校、東京農業大学農学部卒業。 1983年(昭和58年)、室戸市議会議員に初当選。市議を2期務めたのち、1991年(平成3年)の高知県議会議員選挙に立候補し初当選を果たす。県議時代は自由民主党に所属。2011年(平成23年)の県議選は無所属で立候補し、自民党公認の元参議院議員秘書の弘田兼一に敗れ落選。 その後、一般社団法人室戸市観光協会会長を務める。
小松 幹侍(こまつ けんじ、1949年(昭和24年)2月3日… 小松 幹侍(こまつ けんじ、1949年(昭和24年)2月3日 - )は、日本の政治家。元高知県室戸市長(3期)。 高知県羽根村(現・室戸市羽根町)生まれ。1967年(昭和42年)3月、高知県立高知農業高等学校卒業。同年7月1日、室戸市役所に入庁。福祉事務所長、教育次長兼学校教育課長などを務める。出自は同市吉良川町黒耳地区の中野家で小松家に養子入りしている。 2006年(平成18年)5月31日、市役所を退職。同年11月19日に行われた室戸市長選挙に立候補し、市議の沢山保太郎との一騎打ちを制し初当選を果たした。投票率は65.16%。 2010年(平成22年)、再選。2014年(平成26年)、前々回の市長選以後、東洋町長を1期務めた沢山保太郎を破り3選。
門脇 槇夫(かどわき まきお、1946年(昭和21年)11月… 門脇 槇夫(かどわき まきお、1946年(昭和21年)11月10日 - 2019年(令和元年)12月11日)は、日本の政治家、元高知県香美市長(1期)。 高知県出身。高知県立高知農業高等学校卒。農業に従事し、土佐山田町議会議員、同議長、同町長を経て、土佐山田町は2006年に合併で香美市となった。合併後の市長選挙に立候補し、当選した。当選後は地域集落の維持活動に努め、森林林業再生プランを策定、木材などの搬出コストの低減などに力を入れた。2010年に再選。市長を2期務め、2014年に退任した。2017年に旭日小綬章を受章した。
山﨑 鍈一(やまさき えいいち、1937年(昭和12年)10… 山﨑 鍈一(やまさき えいいち、1937年(昭和12年)10月5日 - )は、日本の政治家。元高知県安芸市長(2期)。 高知県出身。高知県立高知農業高等学校卒。農業に従事し、安芸市議会議員となり、議長などを務める。1989年安芸市長和食富雄が死去。これに伴う市長選挙に立候補し、元市長の岡村喜郎を破り、当選する。1993年に再選。1997年に三選を目指したが、元安芸市職員の井津哲彦に敗れた。
山岡 謙蔵(やまおか けんぞう、1926年9月5日 - 19… 山岡 謙蔵(やまおか けんぞう、1926年9月5日 - 1990年9月14日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(1期)。 高知県高知市出身。1943年高知県立農業学校(現在の高知県立高知農業高等学校)卒。高知県職員などを経て、1959年高知市議会議員に初当選。3期務め、1966年に副議長、1969年に議長を歴任した。1971年から高知県議会議員に転じ、3期務め、1982年に議長に就任した。1983年の第37回衆議院議員総選挙で高知全県区から自民党公認で立候補し当選する。自民党では中曽根派に所属した。1986年の第38回衆議院議員総選挙で落選。1990年の第39回衆議院議員総選挙に再び立候補したが落選した。
石元 泰博(いしもと やすひろ、1921年6月14日 - 2… 石元 泰博(いしもと やすひろ、1921年6月14日 - 2012年2月6日)は、日本の写真家。 アメリカ合衆国サンフランシスコ生まれ。3歳のときに、両親の故郷である高知県高岡町(現・土佐市)に移り住む。1939年、高知県立農業学校(現・高知県立高知農業高等学校)を卒業後に再渡米し、カリフォルニア大学農業スクールで農業を学ぶ。第二次世界大戦中の1942年から1944年まで、日系人の強制収容によりコロラド州南東部のアマチ収容所に収容され、この期間に写真に興味を持つようになる。1944年、沿岸の州への居住禁止を条件に解放され、シカゴに移住する。ノースウェスタン大学建築科から転じて、シカゴ・インスティテュート・オブ・デザインで写真を学び、1952年に卒業。
中越 義幸(なかごし / なかごえ よしゆき、1894年(明… 中越 義幸(なかごし / なかごえ よしゆき、1894年(明治27年)9月23日 - 1978年(昭和53年)3月1日)は、大正から昭和期の農業経営者、政治家。衆議院議員、高知県高岡郡檮原村長、同東津野村長。位階は従五位。 高知県高岡郡西津野村越知面(檮原村を経て現檮原町)で、中越義隆、光子の二男として生まれる。1915年(大正4年)高知県立農林学校(現高知県立高知農業高等学校)を卒業。1921年(大正10年)家督を相続した。農業を営む。 檮原村農会技手に就任。その後青年学校教員となる。檮原村産業組合理事、檮原村信用組合長、高岡郡畜産組合長、高岡郡教育会長、檮原村警防団長、高知県椎茸組合長、高知県森林組合連合会常務理事、同副会長、同県大政翼賛会組織部長、同会事務局長などを務めた。
長野 長広(旧字体: 長野 長廣、ながの ながひろ、1892… 長野 長広(旧字体: 長野 長廣、ながの ながひろ、1892年(明治25年)4月1日 – 1965年(昭和40年)3月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(立憲民政党→日本進歩党→民主党→自由党)、文部政務次官、内務政務次官を務めた。 高知県長岡郡介良村(現在の高知市)出身。1909年(明治42年)、高知県立農林学校を卒業。小学校訓導、高知県立農業学校教諭、熊本農業学校教諭、実業補習学校教員養成所教諭、文部省社会教育官、宇都宮高等農林学校教授を歴任。のち満州国文教部に勤務し、満州国体育連盟理事を兼ねた。 1937年(昭和12年)、衆議院に補欠当選。同年の第20回衆議院議員総選挙で再選を果たした。
田村 實(たむら みのる、1889年(明治22年)2月28日… 田村 實(たむら みのる、1889年(明治22年)2月28日 - 1941年(昭和16年)9月1日)は、大正から昭和前期の農業経営者、政治家。衆議院議員。 高知県長岡郡、のちの新改村(香美郡土佐山田町を経て現香美市)で、田村勇吉の長男として生まれる。1907年(明治40年)高知県立農林学校(現高知県立高知農業高等学校)を卒業した。 1916年(大正5年)土陽新聞社(現高知新聞)の東京支局記者に就任。1919年(大正8年)高知市会議員に選出され3期在任。その後、高知県会議員も務めた。その他、地方森林会議員、高知県水産会長、高知県織物同業組合長などを務めた。 1932年(昭和7年)2月の第18回衆議院議員総選挙で高知県第1区から立憲政友会所属で出馬して当選。
下元 鹿之助(しももと しかのすけ、1875年(明治8年)8… 下元 鹿之助(しももと しかのすけ、1875年(明治8年)8月26日 - 1947年(昭和22年)10月22日)は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家。衆議院議員(3期)。 下元興行、桃の三男として、高知県高岡郡東又村(窪川町を経て、現在の四万十町)に生まれる。20歳まで家業手伝いののち高知県立農林学校を経て、東京蚕糸学校で養蚕技術を学ぶ。卒業後は母校の県立農林学校で教諭を3年間務めたのち県庁に出仕し、高知県技師として蚕業の発展に尽力する。のち大分県技師、1914年(大正3年)東又村長、翌年高知県会議員(3期当選、副議長などを歴任)を経て、1924年(大正13年)5月の第15回衆議院議員総選挙では高知県第4区から出馬し当選。