大島 信生(おおしま のぶお、1957年12月 - )は、日… 大島 信生(おおしま のぶお、1957年12月 - )は、日本の国文学者・国語学者。専門は上代文学・国文法。学位は、博士(文学)(奈良女子大学・論文博士・2008年)。皇學館大学文学部国文学科教授。 福岡県出身。1980年に天理大学文学部を卒業。1982年に皇學館大学大学院文学研究科博士前期課程を修了(文学修士)。1985年に同大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。 1987年に同文学部助手、1992年に同専任講師、1998年に同助教授(2007年に同准教授)、2009年に皇學館大學文学部教授。 2008年2月に奈良女子大学より博士(文学)の学位を取得。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
橋本 雅之(はしもと まさゆき、1957年3月 - )は、日… 橋本 雅之(はしもと まさゆき、1957年3月 - )は、日本の国文学者。皇學館大学文学部神道学科特別教授。博士(文学)奈良女子大学。大阪府大阪市出身。 専門は国文学、神話学、国語学。特に『風土記』や神話の研究を行っている。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
半田 美永(はんだ よしなが、1947年8月23日 - )は… 半田 美永(はんだ よしなが、1947年8月23日 - )は、日本の国文学者。近代文学が専門。皇學館大学名誉教授。 和歌山県出身。和歌山県立那賀高等学校を経て、1971年に皇學館大學文学部国文学科を卒業。1978年、同大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。講談社『子規全集』の編纂に従事。智辯学園和歌山中学校・高等学校教諭を経て、1984年に皇學館大學専任講師となる。2003年に「佐藤春夫研究」で博士(文学)の学位を取得。助教授、教授を経て、2013年に定年退職。その間、学生部長、文学部長、評議員、理事などを務めた。2018年3月まで皇學館大学特別教授、同年4月より名誉教授。 その後、河南大学客座教授、河南師範大学客座教授。
西山 正容(にしやま まさやす、1942年6月4日 - )は… 西山 正容(にしやま まさやす、1942年6月4日 - )は、英語学者、英文学者。シェイクスピア文学等が専門。博士(文学)。皇學館大学名誉教授。
西宮 一民(にしみや かずたみ、1924年7月18日 - 2… 西宮 一民(にしみや かずたみ、1924年7月18日 - 2007年5月6日)は、日本の国文学者・国語学者。皇學館大学元学長。 奈良県桜井市出身。生家は談山神社の社家であった。 1942年に奈良県立奈良中学校を卒業。1944年に神宮皇學館大學予科修了、神宮皇學館大學古典科専攻入学と同時に陸軍特別幹部候補生となる。1946年に神宮皇學館大學が廃学となったので、京都帝国大學文学部転入学。澤瀉久孝に師事。1949年に卒業後、京都大学大学院入学、近畿大学附属高等学校教諭となる。 1952年に帝塚山学院短期大学講師、1954年に京都大学大学院退学、帝塚山学院短期大学助教授。1962年に皇學館大学教授。1994年に皇學館大学学長、「古事記の研究」で博士(文学)(京都大学)の学位を取得。
野間 光辰(のま こうしん、1909年11月7日 - 198… 野間 光辰(のま こうしん、1909年11月7日 - 1987年4月30日)は、日本の国文学者。号は般庵。京都大学名誉教授。専門は近世日本文学で、井原西鶴研究の第一人者。 大阪府出身。旧制浪速高等学校を経て、1933年、京都帝国大学国文科卒業。藤井乙男に師事。1949年、京都大学助教授となり、1951年、教授に昇任した。 1973年、定年退官し名誉教授、皇學館大学教授を1983年まで務めた。1981年勲二等瑞宝章受章。1987年4月30日叙正四位。 1974年、藤本箕山の『色道大鏡』を刊行した。実証的な学風で知られ、井原西鶴や近松門左衛門や曲亭馬琴の研究においても成果を残している。終生、羽織はかま姿で教壇に立ち、文人の風格を漂わせる名物教授だった。
山田 孝雄(やまだ よしお、1875年〈明治8年〉8月20日… 山田 孝雄(やまだ よしお、1875年〈明治8年〉8月20日 - 1958年〈昭和33年〉11月20日)は、日本の国語学者、国文学者、歴史学者。東北帝国大学教授を歴任。文化勲章受章。 独学の人として知られる。「契沖、真淵、宣長以来の国学の伝統に連なる最後の国学者」とも評される。 1873年、富山県富山市総曲輪(そうがわ)に於保多神社宮司山田方雄の次男として生れる。父は前田利保に歌を学んだ連歌の宗匠でもあった。履新小学校卒業。富山県尋常中学校を中退後、独学で小、中学校教員検定試験(文検)に合格。富山県内の小学校や兵庫、奈良、高知などの中学校で教員を務める。 1907年(明治40年)文部省国語調査委員会補助委員、1920年(大正9年)日本大学講師、1921年(大正10年)日本大学文学部国語科主任、1925年(大正14年)東北帝国大学講師、1927年(昭和2年)同教授に昇格。
落合 直文(おちあい なおぶみ、1861年12月16日(文久… 落合 直文(おちあい なおぶみ、1861年12月16日(文久元年11月15日) - 1903年(明治36年)12月16日)は、日本の歌人、国文学者。元の名は鮎貝盛光。俳号は萩之家。短歌結社浅香社を結成、多くの門人を育成して、新派和歌革新運動を推進した。長編叙事詩「孝女白菊の歌」のほか、没後『萩之家遺稿』(1904年)などが刊行された。 1861年(文久元年)、陸奥国本吉郡松崎村字片浜(現・宮城県気仙沼市字松崎片浜 : 煙雲館)にて鮎貝太郎平盛房の二男として生まれた。幼名亀次郎。生家は仙台藩伊達家一家筆頭の家柄であった。11歳から13歳にかけて仙台の私塾、神道中教院で漢学などを学んだ。 1874年(明治7年)、神道中教院主宰であった国学者・落合直亮に才能を見込まれ、長女・松野の許嫁として養子となった。
池辺 義象(いけべ よしかた、1861年11月5日(文久元年… 池辺 義象(いけべ よしかた、1861年11月5日(文久元年10月3日) - 1923年(大正12年)3月6日)は、明治・大正時代の国文学者、歌人。号は「藤園」、「知旦」。 1861年、肥後国(現・熊本県)で熊本藩士・池辺軍次の次男として生まれた。1879年(明治12年)に19歳で伊勢の神宮教院(現・皇學館大学)に入学し、神道・国史・国学を学んだ。神宮教院時代からの同期には落合直文がいた。同教院が閉鎖となると上京し、1882年に東京帝国大学文科大学古典講習科に第一期生として入学。同級生には、落合直文や関根正直がいた。1886年に卒業。東京大学の恩師であった国文学者・小中村清矩の養子となり、小中村義象を名乗る。