松村 淳子(まつむら あつこ、1957年11月23日 - )… 松村 淳子(まつむら あつこ、1957年11月23日 - )は、日本の政治家、医師、京都府宇治市長(2期)。 京都府相楽郡木津町(現・木津川市)生まれ。1983年(昭和58年)3月、京都府立医科大学卒業。小児科医として10年働いたのち、1994年(平成6年)に京都府庁に入庁。宇治保健所(現・山城北保健所)が初任地だった。家庭支援総合センター所長、健康福祉部長などを歴任した。 2020年(令和2年)10月26日、市議会の自民党、公明党、旧民主党系の会派などでつくる「活力ある宇治をつくる議員連盟」が、松村を任期満了に伴う宇治市長選挙に擁立する方針であることが新聞の取材により明らかとなった。11月4日、正式に出馬表明。
桧田 仁(ひのきだ ひとし、1942年〈昭和17年〉2月2日… 桧田 仁(ひのきだ ひとし、1942年〈昭和17年〉2月2日 - 2016年〈平成28年〉9月17日)は、日本の政治家、医師。元衆議院議員(1期)。広島県佐伯郡佐伯町(現・廿日市市)出身。 2000年4月の衆議院決算行政監視委員会において、脱会支援活動への取り締まり等について統一教会(世界基督教統一神霊協会)の教会員の立場で質問した。関連団体の集会やシンポジウムにはしばしば参席し講演もおこなった。2010年11月11日付『世界日報』では「拉致監禁は犯罪」と主張している。 自民党衆議院議員であった桧田は、2000年4月に衆院決算行政監視委員会で、日本政府が拉致監禁被害に対して果たすべき責任を遂行しない問題を取り上げて、政府、法務当局に批判質疑を行った。
田辺 朋之(田邊 朋之、たなべ ともゆき、1924年(大正1… 田辺 朋之(田邊 朋之、たなべ ともゆき、1924年(大正13年)9月12日 - 2002年(平成14年)12月26日)は、日本の政治家、医師。京都市長。広島県出身。 広島県比婆郡西城町(現在の庄原市西城町)の生まれ。1937年(昭和12年)12歳で大阪に出て旧制四条畷中学(現・大阪府立四條畷高等学校)を経て京都府立医科大学進学。1948年(昭和23年)卒業後、同大学整形外科助手を務めた後、1957年(昭和32年)京都市四条通沿いに田辺医院を開業。1966年(昭和41年)京都府医師会理事から副会長を経て1984年(昭和59年)京都府医師会長就任。 1989年(平成元年)古都税紛争を引き起こした今川正彦前市長の任期切れに伴う京都市長選挙で、2位の共産党推薦の木村万平と321票差の僅差で当選。
大橋 和孝(おおはし かずたか、1910年(明治43年)6月… 大橋 和孝(おおはし かずたか、1910年(明治43年)6月4日 - 1986年(昭和61年)7月7日)は、昭和期の医師、政治家。参議院議員、京都大橋総合病院長、医学博士。 愛知県名古屋市で生まれる。1937年(昭和12年)京都府立医科大学を卒業した。同大副手、同助手を務め、その後に開業した。 京都府保険医協会理事、京都府医師会理事、同皮フ科医会理事、同結核医会理事、同労災医会理事、同公益法人医療機関協会理事、京都市会議員などを務めた。 1964年(昭和39年)6月、京都教育大学附属桃山小学校などに書架らを寄付により1966年(昭和41年)10月19日紺綬褒章受章。 1965年(昭和40年)7月の第7回参議院議員通常選挙に京都府地方区から日本社会党公認で立候補して当選し、1971年(昭和46年)6月の第9回通常選挙でも再選され、参議院議員を連続2期務めた。
岡本 隆一(おかもと りゅういち 1906年(明治39年)1… 岡本 隆一(おかもと りゅういち 1906年(明治39年)12月16日 - 2004年(平成16年)10月9日)は、日本の政治家、医師。衆議院議員(5期)。 1906年に京都市で生まれる。 1930年京都府立医科大学卒。同大学の助手となり、父親が運営していた京都府にある診療所を受け継ぎ、1954年に医療法人岡本病院を設立し、院長となる。京都府議会議員を経て、1955年の第27回衆議院議員総選挙で日本社会党左派で京都府第2区から立候補し、当選する。1977年春の叙勲で勲二等瑞宝章受章。5期を務め、その後、1990年から岡本病院の会長となる。社会民主党の京都府連合の名誉顧問を務めていた。 2004年10月4日に京都市伏見区の病院で老衰のため死去、97歳。
田中 たつ(たなか たつ、1892年〈明治25年〉8月14日… 田中 たつ(たなか たつ、1892年〈明治25年〉8月14日 – 1985年〈昭和60年〉8月30日)は日本の政治家、衆議院議員(1期)。旧姓は高坂。 鳥取県米子町(現米子市)に生まれる。小学校卒業後、看護婦養成所に入り、1911年(明治44年)に卒業する。その後、産婆学校を出て、看護婦として病院に勤務し、1922年(大正11年)に産婆を開業した。さらに京都府立医科大学で産婆学を学び、保健婦の資格を得て、1943年(昭和18年)に鳥取県保健婦協会会長に就任した。 1946年(昭和21年)、戦後第1回の総選挙に鳥取県から無所属で立候補して最下位(4位)で当選した。当選後は国民党を経て国民協同党に入った。
吉村 英徴(よしむら えいちょう、1852年(嘉永5年7月)… 吉村 英徴(よしむら えいちょう、1852年(嘉永5年7月)– 1916年(大正5年)1月30日)は、明治から大正初期の医師、政治家。衆議院議員。旧姓・菅沼、号・鉄幹。 紀伊国有田郡、のちの和歌山県有田郡湯浅町で菅沼家の第二子として生まれ、17歳で吉村家を相続した。和歌山県漢学授読を務め、ドイツ語学を修めた。 1880年(明治13年)京都療病院医学校(現京都府立医科大学)を卒業し、同病院医局詰、同看頭を務めた。1881年(明治14年)濱口梧陵の勧めで有田郡広村(広町を経て現広川町)で有田郡私立那耆病院を開業し院長に就任した。その他、有田郡医、地方衛生会委員、有田郡産婆及び看護婦養成所教授、有田郡医師会長などを務めた。