石井 勇魚(いしい いさな、1995年11月13日 - )は… 石井 勇魚(いしい いさな、1995年11月13日 - )は、日本の指揮者。 宝塚歌劇団の音楽指揮を主軸に、活動を広げている指揮者。 宝塚歌劇団では、月組大劇場公演 ミュージカル・ロマン『Eternal Voice 消え残る想い』の副指揮者・音楽助手を務めたのち、2024年6月に同作品の東京宝塚劇場公演で指揮者デビュー。続く2025年6月には、花組大劇場公演 Romantic Revue 『愛, Love Revue!』にて、自身初となる“本拠地”宝塚大劇場での指揮を担った。 そのほか、雪組全国ツアー公演 ファッシネイト・レビュー『ジュエル・ド・パリ!!』 -パリの宝石たち-(2023年)、花組全国ツアー公演 ネオ・ロマンチック・レビュー『GRAND MIRAGE!』(2023年)をはじめ、レコーディング指揮も多数務めている。
高曲 伸和(たかまがり のぶかず、1988年6月20日 - … 高曲 伸和(たかまがり のぶかず、1988年6月20日 - )は、日本のバリトン歌手・指揮者。 兵庫県出身。一般社団法人アンサンブル・フロット代表理事・音楽監督、大阪音楽大学大学院講師、日本指揮者協会会員、NPO法人関西音楽人クラブ運営委員。 同志社高等学校を経て大阪音楽大学卒業、大阪音楽大学大学院修了。 大学院では歌曲研究室に所属、学生時代よりオペラではなく研究の中心を歌曲や宗教曲として活動を続け、2026年4月1日より大阪音楽大学大学院講師。 大学院修了後は奨学金を得てオランダへ留学。マックス・ファン・エグモントの元で研鑽を積む。 2014年10月「マタイ受難曲」(住友生命いずみホール)は「充実の歌唱」と音楽之友誌上に掲載された他、宗教曲での活動が多い。
原 佑果(はら ゆか、1987年8月11日 - )は、兵庫県… 原 佑果(はら ゆか、1987年8月11日 - )は、兵庫県神戸市出身の日本のYouTuber、トロンボーン奏者、指揮者。 兵庫県神戸市出身。中学校1年生のときに吹奏楽部に入部し、トロンボーンに出会う。それと同時に、楽譜の読み方から、指揮の仕方、吹奏楽の指導の仕方を、独学で研究し、2010年大阪音楽大学器楽学科卒業、在学中に日本センチュリーユースオーケストラに所属する。2011年スイス・チューリッヒにてマスタークラス修了。2015年から一年間ドイツにあるミュンヘンへ留学する。現在フリーランスのトロンボーン奏者として活動。オーケストラ、吹奏楽、アンサンブル、ジャズ、などの多くのジャンルでソロなどの演奏で活動、他に指揮者としても活動している。
北川 昇(きたがわ のぼる、1983年4月2日 - )は日本… 北川 昇(きたがわ のぼる、1983年4月2日 - )は日本の作曲家、合唱指揮者。兵庫県神戸市出身、兵庫県立長田高等学校、大阪音楽大学音楽学部作曲学科卒業。同大学院音楽研究科作曲研究室修了。アルティ声楽アンサンブルフェスティバル実行委員、コーラスめっせ幹事。 大学在学中の2004年、新潟アジア文化祭Asian Youth Choir 2004のオーディションに合格し、テノールとして参加したほか、2002年から2010年にかけてジャパンユース合唱団にも所属した。 作曲を下村正彦、千原英喜に師事。2005年4月2日に行われた「ジャパンユース合唱団 第5回演奏会 東京公演」にて、自身の処女作である合唱曲「ウソ」が初演され、作曲家としてスタートラインに立つ。
宮嶋 秀郎(みやじま ひでお、1981年 - )は、日本のオ… 宮嶋 秀郎(みやじま ひでお、1981年 - )は、日本のオペラ指揮者・コレペティトアである。石川県出身。 大阪音楽大学音楽学部声楽学科卒業。オーストリア国立グラーツ芸術大学オーケストラ指揮科・コレペティツィオン科にて、指揮をマルティン・ジークハルト(ドイツ語版)、コレペティツィオンをヴォルフガング・デルナー(フランス語版)の両氏に師事。フランスオペラ界の重鎮ジャン・ペリゾン(フランス語版)の指導を受ける。その他、ピアノをマインハルト・プリンツに師事。これまでにルーマニア国立放送交響楽団(英語版)、新ベルリン交響楽団 (Neues Sinfonieorchester Berlin, NSOB) 、オーケストラ・アンサンブル金沢などの各地の主要オーケストラを指揮。
髙谷 光信(たかや みつのぶ、1977年2月27日 - )は… 髙谷 光信(たかや みつのぶ、1977年2月27日 - )は、日本の指揮者。京都市生まれ。東京混声合唱団指揮者。関西大学客員教授、大阪芸術大学演奏学科 客員准教授、名古屋芸術大学 音楽領域・同大学院 非常勤講師、武庫川女子大学音楽学部 非常勤講師。 京都市立堀川高等学校音楽科(現・京都堀川音楽高等学校)を経て大阪音楽大学音楽学部器楽学科卒業、ウクライナ国立チャイコフスキー記念音楽院(en:Kiev Conservatory)指揮科首席卒業。また国家演奏家資格、ディプロマを最優秀の成績で取得。指揮を故小松一彦、故伊吹新一、田中良和、藏野雅彦、辻井清幸、V .プラソロフ、故E.ドゥーシェンコ(ru:Дущенко, Евгений Васильевич)、N.スーカッチに師事する。
西本 智実(にしもと ともみ、1970年4月22日- )は、… 西本 智実(にしもと ともみ、1970年4月22日- )は、日本の女性指揮者。
高 昌帥(こう ちゃんす、1970年 - )は、大阪府出身の… 高 昌帥(こう ちゃんす、1970年 - )は、大阪府出身の作曲家、指揮者。 大阪音楽大学作曲学科作曲専攻卒業後、スイス・バーゼル音楽院(バーゼル音楽アカデミー)に留学。作曲を田中邦彦とルドルフ・ケルターボーンに、指揮をヨスト・マイヤーに師事する。第1回コダーイ記念国際作曲コンクール佳作、第12回朝日作曲賞受賞、第1回COMINES-WARNETON国際作曲コンクール「イヴ・ルルー賞」受賞、平成20年度・平成24年度下谷奨励賞受賞、第19回日本管打・吹奏楽アカデミー賞(作・編曲部門)受賞。大阪音楽大学・大阪音楽大学短期大学部教授を務める。 管弦楽、室内楽など幅広いジャンルの作品を手がけるが、特に吹奏楽の分野へ積極的に作品を提供している。
小貫 岩夫(おぬき いわお、1967年(昭和42年)4月18… 小貫 岩夫(おぬき いわお、1967年(昭和42年)4月18日 - )は、日本の声楽家(テノール)、オペラ歌手、合唱指揮者。 北海道小樽市出身。同志社大学神学部卒業後、大阪音楽大学卒業。 同志社時代は同志社グリークラブに所属しソリストとして一時代を築いた。 音大在学中の1995年『魔笛』タミーノ役に抜擢され、テオ・アダムと共演しデビュー。この成功により翌年、ケムニッツ市立歌劇場(ドイツ)に招聘出演し地元紙より好評を得る。 文化庁オペラ研修所第11期修了。1998年度文化庁派遣でミラノへ留学。 帰国後数々のコンクールで優勝・入選し、二期会、新国立劇場を中心に活躍。『鳴神』(市川團十郎演出)、『コジ・ファン・トゥッテ』(宮本亜門演出、文化庁芸術祭大賞受賞)、2007/2010年二期会『魔笛』タミーノ役(実相寺昭雄演出)、2011年佐渡裕プロデュース『こうもり』アルフレード役などで喝采を浴びた。
川勝 和哉(かわかつ かずや、1964年 - )は、クラシッ… 川勝 和哉(かわかつ かずや、1964年 - )は、クラシック音楽の指揮者、フルート奏者。 兵庫県の県立高校教員を務め、2025年度まで吹奏楽部や科学部の顧問を歴任した。科学教育および探究教育の実績により、2009年に優秀部活動指導者表彰(兵庫県教育長より)、2011年と2014年の2度にわたり野依科学奨励賞を受賞した。2012年度に日本物理学会より物理教育功労賞、2013年度には指導する生徒が文部科学大臣賞を受賞し、自らも下村文部科学大臣(当時)より優秀教職員表彰を受けた。勤務校を異動しながらも神奈川大学から授与された優秀指導者表彰は、指導から離れた2025年度まで18年連続で受賞した。2014年度、2015年度、2018年度にリバネス賞を受賞。
上西 一郎(うえにし いちろう、1963年5月9日 - )は… 上西 一郎(うえにし いちろう、1963年5月9日 - )は、日本の合唱指揮者。日本合唱指揮者協会関西支部理事、奈良県合唱連盟理事、合唱人集団「音楽樹」会員。 奈良県出身。奈良県立橿原高等学校、大阪音楽大学音楽学部声楽科卒業。指揮を松尾昌美に、合唱指揮を藤井宏樹に、声楽を横田浩和に師事。 1983年、自身が在学中に部長を務めていた奈良県立橿原高等学校コーラス部のOB・OGを中心とした合唱団「クール シェンヌ」を結成し、音楽監督に就任。1991年より関西合唱コンクールへの出場を始め、1997年には金賞を受賞し、全日本合唱コンクールへの推薦を獲得する。以降、2018年までに、クール シェンヌを率いて全国金賞を13回、また宝塚国際室内合唱コンクールでも5回の入賞を果たしている。
加藤 完二(かとう かんじ、1957年9月6日 - )は、日… 加藤 完二(かとう かんじ、1957年9月6日 - )は、日本の指揮者。京都府出身。大阪音楽大学器楽科ヴァイオリン専攻卒業。 4歳よりヴァイオリンを習い尾島綾子に師事する。高校生のときにフォークソンググループを創設して第12回ポピュラーソングコンテストに参加している。また亜雲土(あうんど)というグループのフィドラーとして第7回世界歌謡祭に参加した経歴を持つ。大阪音楽大学器楽科バイオリン部門を専攻し、3年生時より本格的にクラシックに集中。それまで行っていたポピュラー音楽の演奏から遠ざった。この頃に辻井清幸の勧めで指揮者の勉強を始めた。大阪音楽大学のオーケストラでオペラを指揮して以後、地方オーケストラやオペラで指揮をする機会を持つ。
畑 儀文(はた よしふみ、1955年 - )は、日本のテノー… 畑 儀文(はた よしふみ、1955年 - )は、日本のテノール歌手、指揮者、合唱指揮者。武庫川女子大学音楽学部元教授。兵庫県丹波篠山市出身。 声楽を田原祥一郎、マックス・ファン・エグモント、ヘルマン・クリスティアン・ポルスターに師事。 兵庫県立篠山鳳鳴高等学校時代は吹奏楽部に所属し、クラリネットを演奏していた。高校時代の同級生に合唱指揮者の西岡茂樹がいる。高校時代の音楽の先生から声楽を勧められ、声楽家の田原祥一郎を紹介されたことをきっかけに、声楽家への道を志す。高校卒業後、1973年に大阪音楽大学音楽学部声楽科へ入学。1979年、同大の大学院を修了。 1979年、大阪にて小林道夫の伴奏による初リサイタルを行う。
梅田 隆司(うめだ たかし、1952年2月16日 - )は日… 梅田 隆司(うめだ たかし、1952年2月16日 - )は日本の音楽指揮者。大阪桐蔭高等学校吹奏楽部監督。京都文教短期大学客員教授。 「関西ブラウン管製作所」というブラウン管製作を行っていた会社を経営する家に生まれる。弟と妹がいる。 中学校に進むと野球部に入るが小柄であったため、吹奏楽部に転部。部員も10名程で顧問もほとんど出席しない弱小であった。高校は大阪市立扇町第二商業高等学校(定時制)に進学。昼間は大阪ヤクルトに勤めていた。高校卒業後は大阪市内の酒場などでピアノの演奏の仕事を行った。24歳で大阪音楽大学声楽学科に入学。 大学卒業後は母校の中学校などで常勤講師として勤務。その後、採用試験に合格し、大阪市立港中学校、大阪市立生野中学校、大阪市立城陽中学校などで教鞭を取り、吹奏楽部の指導に当たる。
当間 修一(とうま しゅういち、1949年6月20日 - )… 当間 修一(とうま しゅういち、1949年6月20日 - )は、日本の指揮者。大阪府出身。大阪音楽大学卒業。一般社団法人 大阪コレギウム・ムジクム主宰。 在学中にバッハの音楽に傾倒、オルガニストおよび通奏低音奏者として研鑽を積む。 1975年に一般社団法人 大阪コレギウム・ムジクムを設立。1976年(昭和51年)に室内オーケストラ「アンサンブル・シュッツ」(現・シンフォニア・コレギウムOSAKA)を、翌1976年に大阪ハインリッヒ・シュッツ合唱団(現・大阪コレギウム・ムジクム合唱団)を、翌1977年にその核となる大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団を創設。以降常任指揮者として、海外を含む数々の演奏会やCD・DVDなどで、国内外より高い評価を得ており、大阪を拠点に器楽・声楽を問わず音楽の普及と発展に力を尽くしている。
丸谷 明夫(まるたに あきお、1945年9月5日 - 202… 丸谷 明夫(まるたに あきお、1945年9月5日 - 2021年12月7日)は、日本の吹奏楽指揮者。大阪府立淀川工科高等学校教諭・吹奏楽部顧問、大阪音楽大学客員教授、一般社団法人全日本吹奏楽連盟理事長を務めた。愛称は丸ちゃん。日本の吹奏楽界で知名度の高い指揮・指導者であった。 1945年(昭和20年)9月5日に滋賀県に生まれる。中学生の時に吹奏楽を始める。工業高等学校を卒業後、1964年(昭和39年)に実習助手として大阪府立淀川工業高等学校(現在の大阪府立淀川工科高等学校)に赴任し、同校吹奏楽部を指導しながら大阪工業大学に通い、1969年(昭和44年)に工学部を卒業。教員免許を取得後、電気科の授業を担当。
野中 図洋和(のなか とよかず、1945年(昭和20年)8月… 野中 図洋和(のなか とよかず、1945年(昭和20年)8月 - )は、大阪府出身の、日本の音楽家・指揮者。陸上自衛官。大阪音楽大学卒業。 1969年(昭和44年)4月に音楽科幹部要員として入隊。第3音楽隊長、中部方面音楽隊長、中央音楽隊副隊長を経て、1986年(昭和61年)11月から1992年(平成4年)8月まで第9代中央音楽隊長(2等陸佐)を務めた。その後、陸上幕僚監部教育訓練部(音楽行政担当)勤務を経て、1995年(平成7年)8月に第11代中央音楽隊長(1等陸佐)に就任。中央音楽隊長として2代計15年の長きに亘り、昭和天皇の大喪の礼、明仁天皇の即位の礼、長野オリンピックなどに参加し、陸上自衛隊の広報活動に精力的に貢献した。
延原 武春(のぶはら たけはる、1943年4月3日 - )は… 延原 武春(のぶはら たけはる、1943年4月3日 - )は、日本の指揮者、オーボエ奏者。大阪府出身。1966年(昭和41年)大阪音楽大学卒。 1943年、大阪府吹田市に生まれる。小学生の頃にヴァイオリンやピアノ、茶道や華道を習ったが、中学生の頃に母親が離婚したことに伴い経済状況が一変し、各地を転々としたのち豊中市へ転居した。大阪音楽大学附属音楽高校に入学後「オーケストラで担当する人がいないから」という理由でオーボエを演奏することになり、1日8時間の練習に励んだ。なお、楽器の入手も困難な時代であり、延原が実際にオーボエを手にしたのは2年生の時であった。 1963年、日本テレマン協会を組織。現在は傘下の演奏団体であるテレマン室内オーケストラ、テレマン室内合唱団を率いて活動。
木村 吉宏(きむら よしひろ、1939年- 2021年2月2… 木村 吉宏(きむら よしひろ、1939年- 2021年2月24日)は、日本の指揮者。大阪市音楽団(現、Osaka Shion Wind Orchestra )の団長を務めた。元大阪市音楽団団長、広島ウインドオーケストラ名誉音楽顧問。 大阪音楽大学(クラリネット専攻)卒業。クラリネットを中尾信二郎、大橋幸男、ルドルフ・イエッテルに師事。指揮は朝比奈隆の薫陶を受ける。1962年4月大阪市音楽団入団以来、同楽団コンサートマスター、バイス・コンダクターを経て、1985年4月に第5代団長に就任。その後、2002年まで名誉指揮者を務めた。 1971年にはモーツァルテウム音楽院国際セミナー(ザルツブルク)に参加した。
長井 斉(ながい ひとし、1893年(明治26年)6月4日 … 長井 斉(ながい ひとし、1893年(明治26年)6月4日 - 1985年(昭和60年)12月1日)は、大正時代から昭和時代にかけての合唱指揮者。 兵庫県生まれ。1917年(大正6年)大阪音楽学校選科修了。戦前は大阪音楽学校教授を務めるかたわら関西合唱界の指導に努め、1930年(昭和5年)の関西学生合唱連盟の設立にも寄与した。 戦後の1946年(昭和21年)、関西合唱連盟の設立に尽力し、初代理事長に就任し、1969年(昭和44年)まで理事長を務めた。1948年(昭和23年)4月、学制改革により関西学院高等部音楽科教諭として着任、定年後も講師として残り1961年(昭和36年)まで勤めた。この間関西学院グリークラブをはじめとする合唱団の指導に広く携わり、第1回全日本合唱コンクール(1948年)をはじめコンクールの審査員等も務めた。