岡本 将大(おかもと まさひろ、1992年12月4日 - )… 岡本 将大(おかもと まさひろ、1992年12月4日 - )は、日本の男子プロバスケットボール選手である。ポジションはポイントガード。ワンリーズワカヤマ所属。 岐阜県出身。高山市立松倉中学校時代、2007年ジュニアオールスター岐阜県チームのメンバーとして出場。高校は美濃加茂高校に進み、2009年ウインターカップに出場。2010年はインターハイとウインターカップに出場。また千葉国体岐阜県少年男子チームのメンバーに選出され出場した。高校卒業後は大阪商業大学に進学。 2015-16シーズンはbjリーグの大分・愛媛ヒートデビルズと契約。ルーキーシーズンより48試合に出場した。Bリーグ初年度の2016-17シーズンからは大分・愛媛ヒートデビルズよりチーム名変更した愛媛オレンジバイキングスに引き続き所属。
藤髙 宗一郎(ふじたか そういちろう、1991年10月11日… 藤髙 宗一郎(ふじたか そういちろう、1991年10月11日 - )は、日本の元プロバスケットボール選手である。ポジションはフォワード。元妻は元バスケットボール選手の栗原三佳。 香芝市立三和小学校、香芝市立香芝中学校、大阪商業大学高等学校を経て2010年4月、関西大学に進学。大学の同期には山下和樹がいる。1年生時よりメンバー入りし、関西選手権、関西学生リーグ戦、全日本大学選手権に出場した。3年生時のリーグ戦(1部)は9位で2部降格したが、チームの主力としてリーグ得点ランキング3位。4年生時のリーグ戦(2部)では優勝に貢献し、優秀選手賞を受賞。日本学生選抜チームにも選出され、李相佰杯争奪日韓学生バスケットボール競技大会に出場した。
道原 紀晃(どうはら のりあき、1989年〈平成元年〉9月7… 道原 紀晃(どうはら のりあき、1989年〈平成元年〉9月7日 - )は、日本のプロバスケットボール選手。兵庫県神戸市出身。B.LEAGUEの神戸ストークス所属。ポジションはポイントガードまたはシューティングガード。 神戸市立春日野小学校、神戸市立葺合中学校、神戸市立科学技術高等学校、大阪商業大学を卒業後、2012年に兵庫ストークスに入団。以来、ストークスのフランチャイズプレイヤーとして活躍している。 左利きのプレイヤーで、細身でフィジカルはないが、それを高精度の外角シュートとハンドリングで補っている。2017ー2018シーズンには新たにPGのポジションも務め、プレーの幅を広げた。[要出典]
俊野 達彦(としの たつひこ、1988年1月18日 - )は… 俊野 達彦(としの たつひこ、1988年1月18日 - )は、日本の元プロバスケットボール選手。愛媛県松山市出身。ポジションはシューティングガード。弟はプロバスケ選手の俊野佳彦。 小3でバスケを始め、雄新中を経て、新田高校ではインターハイには2,3年生時の2年連続、全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会には3年連続で出場。2年生時からは国民体育大会愛媛県選抜チームに選出。 2010年3月に大阪商業大を卒業した後は埼玉県の米菓メーカーに就職、営業をしていた[要出典]が、半年後にクラブチームの草加クラブでバスケを再開。2011年1月にbjリーグ合同トライアウトを受験後、9月に退職して千葉ジェッツ傘下の千葉エクスドリームスに所属。
奥本 友人(おくもと ゆうと、1987年〈昭和62年〉1月1… 奥本 友人(おくもと ゆうと、1987年〈昭和62年〉1月18日 - )は、日本の元プロバスケットボール選手。大阪府出身。現役時代のポジションはポイントガード兼シューティングガード。 大阪工業大学高等学校から大阪商業大学に進み、2006年のインカレでベスト16を経験。卒業後の2009年にIBL所属のニッポン・トルネードに加入。その後、TGI D-RISE、レバンガ北海道、群馬クレインサンダーズ、大分ヒートデビルズ、西宮ストークスを渡り歩き、2016年12月に現役を引退した。
仲摩 匠平(なかま しょうへい、1986年10月5日 - )… 仲摩 匠平(なかま しょうへい、1986年10月5日 - )は、広島県呉市出身の元プロバスケットボール選手である。ポジションはシューティングガード。元プロバスケットボール選手の仲摩純平は兄。 呉市立両城中学校、広島市立美鈴が丘高等学校出身。2004年高校3年時にインターハイベスト16、ウィンターカップ出場。 大学は大阪商業大学に進み、同期に奥本友人がいる。卒業後の2009年、奥本と共にIBLに参戦する日本人チーム「ニッポン・トルネード」に入団。 2010年、島根スサノオマジックの結成・bjリーグ参加と共に、チームトライアウトを経て入団。2011-12シーズンには兄・純平ともプレーした。2011年3月には練習中に左目に網膜剥離を起こし手術を受けた。
山城 吉超(やましろ よしき、1984年9月2日 - )は、… 山城 吉超(やましろ よしき、1984年9月2日 - )は、沖縄県島尻郡久米島町出身のプロバスケットボール選手である。2007年からbjリーグの琉球ゴールデンキングスに所属し、2014年に引退した。ポジションはパワーフォワード。 日本人の父親とアメリカ人の母親を持つ。投擲選手の山城美貴は実妹である。久米島町立具志川中学校に入学した12歳の時にバスケットボールを始める。中学時代までは平行して沖縄角力にも取り組み、県大会優勝などの実績をあげ、二子山部屋、高砂部屋といった角界や、柔道の強豪校からの誘いももあったが、バスケットボールを続けるために興南高校への進学を選んだ。 興南高校に進学後、大田欣伸の指導のもと、沖縄県の少年男子国体チームに3年連続で選出され、全国大会を経験する。
城宝 匡史(じょうほう まさし, 1982年4月24日 - … 城宝 匡史(じょうほう まさし, 1982年4月24日 - )は、北海道江別市出身(札幌市生まれ)の元プロバスケットボール選手、バスケットボール指導者である。身長183cm、体重83kgで、ポジションはシューティングガード、ポイントガード。B3リーグの横浜エクセレンスに所属している。 2005年にbjリーグの大阪エヴェッサと契約し、プロ選手となる。2005-06シーズンと2006-07シーズンに大阪で優勝を経験。2011年より所属していた富山では3度ベストファイブに選ばれ、2013-14シーズンにはレギュラーシーズンのMVPを、日本人選手として初めて獲得した。 妻はタレントの長尾麻由。 小学校6年生の時にバスケットボールを始め、全国ミニバス大会で準優勝する。
浦 伸嘉(うら のぶよし、1980年10月1日 - )は、広… 浦 伸嘉(うら のぶよし、1980年10月1日 - )は、広島県出身の元プロバスケットボール選手である。ポジションはポイントガード。背番号3(新潟時代)。172cm、65kg。 美鈴が丘高校から大阪商業大学を経て、2003年に新潟アルビレックスA2に入団。 2004年には国体に広島代表として出場。そのときのチームメイトには仲摩純平がいる。 2005年、bjリーグ開幕とともにA1昇格。 2006年、福岡BBボーイズに移籍。 引退後は「REAL ABILITES」という広島を拠点としたクラブチームを設立。バスケットボールコーチとして多くの選手を育成。 2016年から地元のプロバスケットボールチームBリーグ広島ドラゴンフライズの社長を務め、2017年にはゼネラルマネージャー(GM)を兼任した。
喜多 誠(きた まこと、1978年2月15日 - )は、奈良… 喜多 誠(きた まこと、1978年2月15日 - )は、奈良県大和郡山市出身の元プロバスケットボール選手である。ポジションはポイントガード。169cm、66kg。2018年6月よりBリーグ・香川ファイブアローズのバスケットボールアカデミーのコーチ。 9歳でバスケットボールを始める。郡山南中学校を卒業後、大阪の大商学園高校に進学。2年でウィンターカップ初優勝を経験。一学年上には梶山信吾がいた。 高校卒業後は大阪商業大学に進学し活躍。大学卒業後はデンソーに入社。 デンソーが休部した後は豊田通商、新潟アルビレックスA2、再び豊田通商を経て、2006年ドラフト17位で(デンソーの大先輩青木幹典が指揮を執る)高松ファイブアローズ(現香川)から指名され入団。
丸山 健治(まるやま けんじ、1955年4月2日 -2023… 丸山 健治(まるやま けんじ、1955年4月2日 -2023年1月27日 )は、長野県松本市出身のバスケットボール指導者である。
岡山 恭崇(おかやま やすたか、1954年11月29日 - … 岡山 恭崇(おかやま やすたか、1954年11月29日 - )は、熊本県出身の元バスケットボール選手、指導者。現役時代のポジションはセンター。 日本人で初めてNBAドラフトで指名を受けた選手である。 九州学院高校卒業。大阪商業大学進学と同時にバスケットボールを始めた。中学高校時代は柔道選手(二段取得)であり、柔道選手としていくつか大学から勧誘もあったが、大商大バスケットボール部監督の人柄に引かれて転向を決意した。1979年、住友金属工業に入社し、籠球団に所属。同年、日本リーグのリバウンド王、新人王を獲得。身長は歴代日本人選手最長の230cm、体重158kgだった。2019年現在、存命中の日本人としては最長身。
藤本 裕(ふじもと ゆたか、1950年12月21日 - 20… 藤本 裕(ふじもと ゆたか、1950年12月21日 - 2001年10月31日)は、日本のバスケットボール選手・指導者である。別名「日本のパット・ライリー」(北原憲彦談)。 育英高校から大阪商業大学に進学、卒業後の1973年に日本鋼管に入社。日本リーグ新人王を獲得。 1976年のモントリオールオリンピックに全日本として参加。 引退後、日本鋼管の監督に就任。毎年オフにはアメリカでスカウト活動を行い、NBAには及ばないが戦力として可能性のある選手を発掘する。エリック・マッカーサーもその1人である。 さらに日本人も阿部理らをスカウトした。 晩年はデンソーの監督を務めた。
杉田 勝彦(すぎた かつひこ、1946年5月8日 - )は、… 杉田 勝彦(すぎた かつひこ、1946年5月8日 - )は、日本の元バスケットボール選手である。 大阪商業大学から松下電器に入社。1972年日本リーグではベスト5に選ばれる。 全日本にも選ばれ、1972年ミュンヘンオリンピックなどに出場。
千種 信雄(ちぐさ のぶお、1945年10月20日 - )は… 千種 信雄(ちぐさ のぶお、1945年10月20日 - )は、日本の元バスケットボール選手である。 育英高校から大阪商業大学に進学し、卒業後は住友金属に入社しシューターとして活躍。 全日本のメンバーとしてミュンヘン・モントリオール五輪に2大会連続で出場。 日本リーグでは3度の優勝に貢献し、第9回(1975)と第11回大会(1977)でベスト5に選出されている。 国内屈指のシューティング技術を持ち、1975年に行われた全日本のポートランド遠征で、 NBAのポートランド・トレイルブレイザーズから誘われた程の実力である。 引退後は指導者に転じ、籠球団休部時の監督も務めていた。 その後は住友金属の北陸支社長などを務める。