坪井 一真(つぼい かずま、1998年12月9日 - )は、… 坪井 一真(つぼい かずま、1998年12月9日 - )は、大阪府八尾市出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 セレッソ大阪アカデミー出身。2016年5月には2種登録された。その後近畿大学に進学し、2021年にヴァンラーレ八戸に加入。 2022年末でヴァンラーレ八戸との契約が満了。 2023年、FCティアモ枚方に移籍。この年で現役を引退。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
藤本 拓臣(ふじもと たくみ、1995年6月27日 - )は… 藤本 拓臣(ふじもと たくみ、1995年6月27日 - )は、熊本県出身のサッカー選手。JFL・ヴェルスパ大分所属。ポジションは、ミッドフィールダー(MF)。 アルバランシア熊本、東福岡高校を経て、近畿大学へ進学。 2018年より、奈良クラブへ加入した。 2019年、ヴェルスパ大分に移籍。
山田 真史(やまだ しんじ、1994年2月24日 - )は、… 山田 真史(やまだ しんじ、1994年2月24日 - )は、京都府宇治市出身のサッカー選手。ポジションはMFもしくはDF。 奈良育英高校では全国高等学校サッカー選手権大会に出場し優秀選手に選出された。その前から進学先として決まっていた近畿大学に行ったが、日本フットボールリーグ所属クラブからのオファーはあったもののJリーグからのオファーはなく、4年次に渡独を決断した。 近畿大学が所属した関西学生リーグは概ねオーバーリーガに相当するという話を聞いて5部での挑戦を考えていたものの、文化や言語の違いや出場機会を考え、フェアバンズリーガのFCドルンドルフに加入。 翌年にオーバーリーガのSpVgg EGCヴィウゲスに移籍、同年夏に同じくオーバーリーガのSVヴェルダー・ブレーメンIIIに移籍。
田中 直基(たなか なおき、1993年3月29日 - )は、… 田中 直基(たなか なおき、1993年3月29日 - )は、大阪府阪南市出身のサッカー選手。ポジションはFW。 近大附属高校から近畿大学に進学。近畿大学では2014年に関西学生サッカーリーグ2部Aリーグで21点を獲得して、2部Aリーグの得点王と優秀選手賞を獲得した。 2015年にJFLのFC大阪に加入。2017年にはキャリアハイとなる9得点を獲得した。 2018年よりJ3のアスルクラロ沼津に移籍。 2020年8月25日、ブラウブリッツ秋田へ期限付き移籍。2020年12月24日、移籍期間満了により秋田を退団し、同時に沼津との契約も満了となった。 2021年1月18日にFC大阪に4年ぶりに復帰。2024年12月4日、FC大阪は契約満了を発表した。
中山 開帆(なかやま かいほ、1993年1月11日 - ) … 中山 開帆(なかやま かいほ、1993年1月11日 - ) は、福岡県行橋市出身のプロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。九州サッカーリーグ・ヴェロスクロノス都農所属。 2015年、近畿大学からギラヴァンツ北九州に加入。最初の3シーズンは公式戦出場0だった。2018年9月15日、J3第23節の鹿児島ユナイテッドFC戦でスタメン出場し念願のプロデビューを果たした。2019シーズン終了後、契約満了により北九州を退団。 2020年3月、水戸ホーリーホックに加入。水戸加入後は大ベテラン本間幸司や小澤章人を抑えて第2GKとしてベンチ入りしており、5月30日に行われたJ2リーグ第16節愛媛FC戦で正GK牲川歩見が欠場したため、代わって先発に抜擢され、水戸加入後初出場を果たした。
大西 勝俉(おおにし しょうご、1990年7月29日 - )… 大西 勝俉(おおにし しょうご、1990年7月29日 - )は、大阪府出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ヴァンラーレ八戸所属。ポジションはゴールキーパー。 近畿大学附属高校の2年時に全国高校選手権に出場。チームは2回戦で敗退した。 近畿大学を経て、2013年より愛媛FCへ入団。愛媛では第2・第3GKの立ち位置を覆せず、リーグ戦出場は3試合に留まった。 2017年、J3に昇格したアスルクラロ沼津に移籍。 2018年12月、鹿児島ユナイテッドFCへの完全移籍が発表された。 2023年、ヴァンラーレ八戸に完全移籍。開幕から9試合、スターティングメンバーとして活躍したが、同年5月、負傷して左上腕二頭筋腱断裂で全治3か月の診断を受けた。
大西 勝俉(おおにし しょうご、1990年7月29日 - )… 大西 勝俉(おおにし しょうご、1990年7月29日 - )は、大阪府出身のプロサッカー選手。ポジションは、ゴールキーパー。
北井 佑季(きたい ゆうき、1990年1月27日 - )は、… 北井 佑季(きたい ゆうき、1990年1月27日 - )は、神奈川県横浜市出身の競輪選手、元サッカー選手。競輪選手としては、日本競輪選手会神奈川支部所属、ホームバンクは平塚競輪場。日本競輪選手養成所(以下、養成所)第119期生。師匠は高木隆弘。 サッカー選手時代のポジションはミッドフィールダー、フォワード。 3歳からサッカーを始め、横浜F・マリノスジュニアユース、桐光学園高校を経て近畿大学に進学、2年次の2010年に大学を中退して当時JFLのFC町田ゼルビアに加入。2012年3月20日のJ2リーグ・ロアッソ熊本戦(町田市立陸上競技場)でJリーグ初得点を記録した。 2013年より松本山雅FCに完全移籍。
藤本 憲明(ふじもと のりあき、1989年8月19日 - )… 藤本 憲明(ふじもと のりあき、1989年8月19日 - )は、大阪府富田林市出身のプロサッカー選手。ポジションはフォワード。中国サッカーリーグ・福山シティFC所属。 マネジメント会社はエースポーツクリエイション。 小中学校時代をガンバ大阪の下部組織で過ごした後、2005年に青森山田高校に進学。同期には三浦修がいた。高校3年次に右サイドバックのレギュラーとして第86回全国高等学校サッカー選手権大会に出場を果たす。その後は近畿大学でプレーした。 2012年に当時JFLに所属した佐川印刷SC(2014年に佐川印刷京都SC、2015年にSP京都FCに改名)に新加入。アマチュア選手として午前は練習、午後は本の包装作業に携わりながらプレーを続けた。
近石 哲平(ちかいし てっぺい、1989年1月31日 - )… 近石 哲平(ちかいし てっぺい、1989年1月31日 - )は、大阪府出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー(DF)。 近大附属高校から近畿大学に進学し、2011年にJFLのSAGAWA SHIGA FCに加入。しかし2012年でSAGAWA SHIGA FCが活動停止となり、2013年にアミティエSCに移籍した。 2014年にFCガンジュ岩手に移籍。 2016年よりJFLに昇格したラインメール青森FCに移籍した。 2017年をもってラインメール青森を退団。 2018年より奈良クラブに移籍も、6月にヴァンラーレ八戸に移籍。 2025年11月12日 現役引退を発表。
枝本 雄一郎(えだもと ゆういちろう、1988年8月6日 -… 枝本 雄一郎(えだもと ゆういちろう、1988年8月6日 - )は、神奈川県藤沢市出身のプロサッカー選手。ポジションは、ミッドフィールダー(MF)。フォワード(FW)。 小学校1年でサッカーを始め、少年団やクラブを転々とする。小学校6年の時に広山晴士と出会い、広山が監督を務めるエスポルチ藤沢へ入団、中学校3年までプレーした。中学校卒業後は静岡学園高校に進学。3年時に全国高校選手権に出場し、ベスト8まで勝ち進んだ。 近畿大学を経て、2011年にザスパ草津U-23へ入団。2年間アルバイトをしながらプレーを続けた。 2013年より、トップチームのザスパクサツ群馬へ昇格。公式戦出場はなく、シーズン終了後に1年で退団した。
平石 竜真(ひらいし たつま、1988年1月9日 - )は、… 平石 竜真(ひらいし たつま、1988年1月9日 - )は、滋賀県出身のサッカー選手。ポジションはFW。
馬場 賢治(ばば けんじ、1985年7月7日 - )は、神奈… 馬場 賢治(ばば けんじ、1985年7月7日 - )は、神奈川県平塚市出身のサッカー指導者、元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー、フォワード。 ジュニア、ジュニアユースとベルマーレ平塚(現:湘南ベルマーレ)の下部組織に所属したが、中学3年次に平塚市立金旭中学校サッカー部に籍を移す。高校・大学時代は主にボランチ又はプレイメーカーを任され、桐光学園高時代の3年次には背番号10を背負った。近畿大学では4年時の春季関西学生リーグで得点王を獲得。卒業後はヴィッセル神戸、大分トリニータ等からオファーを受けた中、神戸への入団を選択。 ルーキーシーズンの2008年は、前線からプレスを掛ける汗かき役としてフォワードでプレーをすることになると、同ポジションの栗原圭介・吉田孝行のプレースタイルを見て学ぶことで出場機会を得ていった。
佐藤 亨(さとう とおる、1984年10月16日 - )は、… 佐藤 亨(さとう とおる、1984年10月16日 - )は、大分県出身のサッカー選手。
片山 真人(かたやま まさと、1984年4月19日 - )は… 片山 真人(かたやま まさと、1984年4月19日 - )は、大阪府出身の元プロサッカー選手。ポジションはフォワード。 ガンバ大阪の下部組織出身。ジュニアユース時代に年代別日本代表に選出された経験を持つ。ユースチームでは、JユースカップのMVPや得点王を獲得するなど活躍を見せたが、トップチーム昇格は叶わなかった。 近畿大学でも関西学生リーグ1部の優秀選手に選ばれるなど活躍。複数のクラブからのオファーを受けたが、J参入を明言している松本山雅FCへの加入を決めた。 2008年からはJ2へ昇格したFC岐阜へ移籍。地域リーグ(4部)からJ2(2部)へのステップアップとして注目された。2008年は開幕戦(第1節)から片桐淳至との2トップで先発出場するなど、J2リーグ戦全42試合中36試合に出場し8ゴールを挙げ、9ゴールの片桐に次ぐチーム内2位の得点数を記録したが、2009年は無得点に終わり、同シーズン限りでFC岐阜との契約が終了する事になった。
小寺 一生(こてら かずき、1983年7月10日 - )は、… 小寺 一生(こてら かずき、1983年7月10日 - )は、滋賀県出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 2020シーズンより、レイラック滋賀FCのトップコーチ就任。
浅野 大地(あさの だいち、1983年5月25日 - )は、… 浅野 大地(あさの だいち、1983年5月25日 - )は、大阪府堺市出身のサッカー選手。
近江 孝行(おうみ たかゆき、1982年10月6日 - )は… 近江 孝行(おうみ たかゆき、1982年10月6日 - )は、滋賀県大津市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 ポジションは、MF。 小学生の頃からサッカーを始め、滋賀県立草津東高等学校時代の第79回全国高等学校サッカー選手権大会では準優勝に貢献。同大会の優秀選手に選ばれ、高校選抜の一員としてヨーロッパ遠征のメンバーにも選出される。高校卒業後は近畿大学に進学し、4回生の時は主将を務める。 大学卒業後、ドイツに渡り、2005年シーズンにSSV Eintracht Überherrnに入団し、2006年から2008年まではEisbachtal 1919に所属する。その後、コーチの勉強のためにニュージーランドへ渡り、ドイツで長年活躍したウィントン・ルーファーが立ち上げたサッカースクール、ウィナーズ(WYNRS)で働く。
木藤 健太(きふじ けんた、1981年10月5日 - )は、… 木藤 健太(きふじ けんた、1981年10月5日 - )は、長崎県島原市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。 高校は強豪長崎県立国見高等学校に進学。同学年には小森田友明、1学年下には大久保嘉人、松橋章太らがいる。 近畿大学を経て、2004年にアビスパ福岡に入団するも2年間でリーグ戦出場はなく、2006年にモンテディオ山形に完全移籍。 2009年12月、山形より契約満了に伴う退団が発表された。 2010年2月、地元長崎の三菱重工長崎サッカー部への完全移籍が発表され、2012年までプレー。 また大学に通い直し、体育の教員免許を取得。2013年、長崎県の公立学校教員試験を受験し合格。
辻本 茂輝(つじもと しげき、1979年6月23日 - )は… 辻本 茂輝(つじもと しげき、1979年6月23日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー(DF)。 小学5年生からサッカーを始め、吹田市立第六中学校時代からディフェンダーとしてプレーするようになる。近畿大学付属高校を経て、1998年に横浜フリューゲルスに加入。 加入初年度に横浜マリノスとの合併によりクラブが消滅したため、他の新人選手らとともに1999年より京都パープルサンガに移籍。京都には7シーズン在籍し、J1・J2合わせてリーグ戦73試合に出場した。2005年シーズン終了後、契約満了に伴い退団。 U-20日本代表の一員として1999 FIFAワールドユース選手権で準優勝の経験を持つ。
川口 剛史(かわぐち つよし、1978年2月22日 - )は… 川口 剛史(かわぐち つよし、1978年2月22日 - )は、静岡県磐田市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはGK。JFL・FCマルヤス岡崎のGKコーチ。 近畿大学卒業後の2000年、本田技研工業サッカー部(現 Honda FC)に入団。以後、2001年に入団した中村元とは熾烈な正GK争いを繰り広げていた。 特に2007年の第87回天皇杯では正GKとしてJリーグ勢(東京ヴェルディ、柏レイソル、名古屋グランパスエイト)をほぼ完封し、チームのベスト8に貢献した(失点は柏からの2失点と、準々決勝で敗れた鹿島からの1失点のみ)。 2009年から、Honda FCのGKコーチに就任。同年4月に、選手兼GKコーチとして現役復帰した。
本田 将也(ほんだ まさや、1973年11月20日 - )は… 本田 将也(ほんだ まさや、1973年11月20日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー(ボランチ)。 近畿大学を卒業後、1996年に京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)に入団。ボランチとして最初の2シーズンは出場機会を得たものの、1998年の開幕前に怪我をし、その後は出場機会に恵まれなかった。 1999年のシーズン後に引退、その後は京都で育成組織のコーチや監督、トップチームのマネージャーなどを歴任。2013年より京都U-15コーチ、2015年より強化部スカウト、2016年より育成部長を務める。
布部 陽功(ぬのべ たかのり、1973年9月23日 - )は… 布部 陽功(ぬのべ たかのり、1973年9月23日 - )は、大阪府高槻市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 1989年北陽高校サッカー部に入部。1年生から3年生までレギュラーとして全国大会に5回出場した。卒業後、1992年近畿大学サッカー部に入部。翌年の1993年大学2年時にプロになることを決意し、単身ブラジルに留学を決める。 1994年ブラジルのヒョーゴFCに所属し、大会で優勝。来日し日本のチームと対戦した際に、ヴェルディのコーチに声をかけられ練習生としてチームに参加。当時ヴェルディ川崎の監督であったネルシーニョに発掘される。1995年全盛期のヴェルディ川崎に逆輸入選手として入団。シンデレラボーイと報道された。
藤田 慎一(ふじた しんいち、1973年4月10日 - )は… 藤田 慎一(ふじた しんいち、1973年4月10日 - )は、大阪府出身の日本の元サッカー選手。 1973年4月10日大阪府生まれ。近畿大学卒業後、1996年に日本フットボールリーグ(JFL)クラブ川崎フロンターレに入団。 1998年、JFLクラブアルビレックス新潟に移籍。同クラブは1999年からJ2リーグに昇格した。 2000年にはJ2のヴァンフォーレ甲府に移籍。多くの試合に出場しながらも、2000年シーズンの終わりに引退した。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
山口 敏弘(やまぐち としひろ、1971年11月19日 - … 山口 敏弘(やまぐち としひろ、1971年11月19日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手(FW)、サッカー指導者。元日本代表。 近畿大学を中退して1993年にガンバ大阪に入団。突破力と強力なシュートが武器のフォワードとして活躍。レギュラーに定着し、1994年には日本代表にも選ばれた。 1996年途中からは京都パープルサンガに移籍。1998年、京都を解雇後どこにも所属せず佐川急便へ練習参加していた。その後同年6月からサンフレッチェ広島に入団。若手の多いチームの中で経験豊富な攻撃的MFとしてチームの攻撃を支えた。 現在は飲食店を経営。一時期、芸能人女子フットサルチームの一つ、「Team Good」(現・ZENT sweeties)のコーチとして活躍。
水崎 靖(みずさき やすし、1971年6月13日 - )は、… 水崎 靖(みずさき やすし、1971年6月13日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 静岡学園高校では広山晴士、加藤正浩、川口良輔と同期。近畿大学を経て、1994年にセレッソ大阪に加入。1995年4月8日に行われたサントリーシリーズ第7節、浦和レッドダイヤモンズ戦でJリーグデビューを果たした。3シーズンプレーした後、1997年に現役を引退した。 引退後は鍼灸師と柔道整復師の国家資格を取得し癒心堂治療院を経営している。また、シニア年代のニコルスFCシニアの選手としてプレーをしている。
成山 裕治(なりやま ゆうじ、1971年5月20日 - )は… 成山 裕治(なりやま ゆうじ、1971年5月20日 - )は、京都府出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー。 山城高校、近畿大学を経て、京都パープルサンガに入団。3シーズンプレーし43試合に出場した。引退後は京都パープルサンガでコーチなどをしている。
塩谷 伸介(しおたに しんすけ、1970年5月11日 - )… 塩谷 伸介(しおたに しんすけ、1970年5月11日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手、フットサル選手。 大学卒業後、大塚製薬に入社して大塚製薬サッカー部(現 徳島ヴォルティス)でアマチュアとしてサッカーを続けていたが、1996年に京都パープルサンガに移籍してプロ選手に転向。1998年は自己最多の15試合に出場し、1999年はガンバ大阪へと移籍。しかし怪我のためパフォーマンスを落とし、引退を決意する。 引退後は大学進学塾への勤務を経て、再び大塚製薬に入社。以前は生産技術部門で働いていたが、今度は営業職での採用だった。 その後、大塚製薬で働きつつフットサル選手として活躍。2002年にはフットサル日本代表にも選出された経験を持つ。