前島 延行(まえじま のぶゆき)は日本の柔道家。階級は重量級… 前島 延行(まえじま のぶゆき)は日本の柔道家。階級は重量級(93kg超級)。身長176cm。体重93kg。得意技は内股、大外刈。 都島工業高校から天理大学に進むと、全日本学生柔道優勝大会では2連覇を飾った。卒業後は三菱重工所属となり、1963年にプレオリンピック大会として開催された東京国際スポーツ大会重量級では3位になった。1966年の全日本柔道選手権大会では準決勝で旭化成の坂口征二に小外掛で敗れるも3位入賞を果たした。続くアジア選手権には重量級と無差別に出場して、決勝でともに倉敷レイヨンの佐藤治を破って2階級制覇を達成した。1967年の世界選手権重量級では、準決勝で大阪府警の松阪猛を内股で破るも、決勝ではオランダのウィレム・ルスカに釣込腰で敗れて2位にとどまった。
角張 力(かくばり つとむ)は、宮城県出身の、日本の柔道家。… 角張 力(かくばり つとむ)は、宮城県出身の、日本の柔道家。階級は重量級(93kg超級)。現役時代は身長175cm。体重103kg。 天理大学時代の1973年には優勝大会で優勝を飾った。1974年の優勝大会では決勝の東京教育大学戦で一本勝ちするなどチームの2連覇に貢献して優勝選手にも選ばれた。さらには、ブリュッセルで開催された世界学生の個人戦重量級と団体戦でも優勝を飾った。引退後は宮城県柔道連盟の常任理事に就任した。 (出典、JudoInside.com)。
七条 和己(しちじょう かずみ)は、宮崎県出身の日本の柔道家… 七条 和己(しちじょう かずみ)は、宮崎県出身の日本の柔道家。現役時代は中量級(80kg級)の選手。なお、七條和己とも表記する。 天理大学1年の時に新人体重別の中量級決勝で尽誠学園高校3年の元谷金次郎を破って優勝を飾った。続いてブラジルのリオデジャネイロで初開催された世界ジュニアでは、決勝で韓国のチョン・ヤンキを破って今大会の初代中量級チャンピオンに輝いた。大学3年の時には優勝大会の準決勝で中央大学と対戦すると、優勢勝ちして先取点を上げるも続く選手が一本負けして3位に終わった。全日本学生選手権の中量級では3位になった。4年の時には優勝大会の準決勝で引き分けると、チームも敗れて昨年に続いて3位だった。
道場 良久(どうば よしひさ)は、日本の柔道家。階級は78k… 道場 良久(どうば よしひさ)は、日本の柔道家。階級は78kg級。 旭川龍谷高校から天理大学へ入学すると、優勝大会では中央大学と対戦して95kg超級の吉岡剛に袈裟固で敗れてチームは3位になるも、1年生ながら優秀選手賞を受賞した。1978年の優勝大会では決勝で東海大学に敗れて2位だった。一方、リオデジャネイロで開催された世界学生では78kg級で優勝を飾った。卒業後は警視庁へ入庁すると、1983年の環太平洋柔道選手権大会では2位だった。1984年の全日本選手権ではベスト16に入った。引退後は警視庁の柔道師範と講道館指導員になった。また、全日本柔道連盟の形特別委員会委員に選出された。 (出典、JudoInside.com)。
中右 次泰(なかう つぎひろ)は、日本の柔道家。階級は71k… 中右 次泰(なかう つぎひろ)は、日本の柔道家。階級は71kg級。 天理大学2年の時に新人体重別71kg級で3位となった。4年の時には講道館杯で3位になった。優勝大会では3位だったが優秀選手に選ばれた。体重別では3位だったものの、全日本学生選手権で優勝すると、ポーランドのヴロツワフで開催された世界学生では優勝を成し遂げた。 1981年には滋賀県教育委員会の所属となると、講道館杯で3位になった。1982年には天理大学の職員として体重別で3位になった。1983年の講道館杯と体重別ではともに3位だった。1984年にはアジア選手権で優勝した。体重別では決勝まで進むも、国士舘大学教員の西田孝宏に敗れた。1985年には滝川高校の教員となると、体重別では決勝で再び西田に敗れて2位だった。