稲川 竜汰(いながわ りゅうた、2004年2月25日 - )… 稲川 竜汰(いながわ りゅうた、2004年2月25日 - )は、山口県周南市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 折尾愛真高校から九州共立大学に進学して、2025年ドラフト会議で2位指名を受けた。12月3日、契約金7000万円、年俸1200万円で入団に合意した(金額は推定)。背番号は13に決定した。 2026年は開幕一軍となり、4月1日、開幕5戦目の対東北楽天ゴールデンイーグルス2回戦(楽天モバイル)6-0とリードした9回裏先頭打者から4番手としてプロ初登板を果たしたものの、先頭の辰己涼介を四球で出すと、2度の暴投などで失点し、更に小郷裕哉にこの回2つ目の四球を与え二死一塁としたところで上茶谷大河と交代し降板、2/3回を2四球1失点に終わり、試合後、小久保裕紀監督は「稲川は抹消します。
宜保 優(ぎぼ ゆう、1999年7月29日 - )は、沖縄県… 宜保 優(ぎぼ ゆう、1999年7月29日 - )は、沖縄県豊見城市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 弟はオリックス・バファローズ所属の宜保翔。 小学3年時に根差部ベースナインで野球を始める。豊見城市立とよみ小学校、豊見城市立長嶺中学校を経て、高校は沖縄県立那覇高等学校に進学し、3年夏の大会には主将として「3番・遊撃手」として出場した。 大学は福岡六大学野球連盟に所属する九州共立大学に特待生として進学。3月のオープン戦期間で、4本塁打を放つ活躍を見せ、4月の開幕戦でベンチメンバー入り、秋の神宮大会にはスタメンでの出場を果たした。怪我に泣かされた期間もあったが、2年、3年次も継続してレギュラーを張り、4年春には打撃フォームを修正して挑んだことが功を奏し、指名打者としてリーグベストナインを獲得した。
平良 竜哉(たいら りゅうや、1998年7月9日 - )は、… 平良 竜哉(たいら りゅうや、1998年7月9日 - )は、沖縄県石川市(現:うるま市)出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 うるま市立伊波小学校で野球を始め、うるま市立伊波中学校では軟式野球部に所属。 沖縄県立前原高等学校では内野手のレギュラーを務めたが、3年間で甲子園大会出場はなかった。 高校卒業後、九州共立大学に進学。4年間でリーグ戦通算101安打を記録した。 大学卒業後はNTT西日本へ入社。2022年には第47回社会人野球日本選手権大会予選にて、ニチダイとの近畿地区敗者復活代表決定戦で2打席連続本塁打を記録して勝利に貢献し、本選出場を決めた。その後、同年のドラフト会議にて、東北楽天ゴールデンイーグルスから5位指名を受け、11月15日に契約金4000万円、年俸920万円で仮契約した(金額は推定)。
島内 颯太郎(しまうち そうたろう、1996年10月14日 … 島内 颯太郎(しまうち そうたろう、1996年10月14日 - )は、福岡県福津市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。広島東洋カープ所属。 福津市立福間小学校3年時に投手兼遊撃手で野球を始め、福津市立福間中学校では軟式野球部に入部。福岡県立光陵高等学校進学後は1年秋から背番号11でベンチ入りし、2年の夏からはエースとなった。3年夏は福岡大会3回戦で敗退。 九州共立大学進学後は2年春にリーグ戦デビューをするものの、同秋は右肘の離断性骨軟骨炎により出場なし。肘の痛みが癒えた3年春には球速が7km/hアップし、秋のリーグ戦にはチームを優勝に導き自身も防御率1位、MVPに輝く活躍も見せ12月の大学日本代表候補強化合宿に招集されるが、4年春はリーグで4勝を挙げるも制球を意識するあまりフォームを崩して不調に陥った。
久保 拓眞(くぼ たくま、1996年7月27日 - )は、佐… 久保 拓眞(くぼ たくま、1996年7月27日 - )は、佐賀県伊万里市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。 父親の草野球についていくようになったことがきっかけで、伊万里市立大坪小学校3年生の頃から野球に興味を持ち、伊万里市立伊万里中学校時代は硬式野球の「伊万里ボーイズ」に所属する。 チーム数が多く、競争が激しいところでやりたいとの理由から高校は福岡県北九州市の自由ケ丘高等学校に進学。エースピッチャーとなった2年生の夏には第95回全国高等学校野球選手権大会に出場を果たす。3年生の夏の第96回選手権福岡大会は準決勝で九国大付属高校に敗れ、2年連続の夏の甲子園出場はならなかった。 大学は九州共立大学に進学。
大瀬良 大地(おおせら だいち、1991年6月17日 - )… 大瀬良 大地(おおせら だいち、1991年6月17日 - )は、長崎県大村市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。広島東洋カープ所属。
竹下 真吾(たけした しんご、1990年10月20日 - )… 竹下 真吾(たけした しんご、1990年10月20日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 九州共立大学時代は主将も務めたが同期に川満寛弥、1年下に大瀬良大地がいて同期・福地元春とともに登板機会は限られて4年秋の1勝に終わる。社会人野球のヤマハでは1年目の第84回都市対抗野球準々決勝で初先発すると5回無失点に抑えるが敗退。翌年はHonda鈴鹿の補強選手として出場した。2014年10月23日、ドラフト会議で安樂智大の抽選を外した東京ヤクルトスワローズから1位指名を受け、11月19日に契約金1億円+出来高払い、年俸1500万円で仮契約を結んだ。背番号は22。 2015年は、二軍で19試合に登板。
福地 元春(ふくち もとはる、1990年6月21日 - )は… 福地 元春(ふくち もとはる、1990年6月21日 - )は、沖縄県名護市出身のプロ野球選手(投手)。横浜DeNAベイスターズ所属。
杉尾 拓郎(すぎお たくろう、1986年10月3日 - )は… 杉尾 拓郎(すぎお たくろう、1986年10月3日 - )は、熊本県熊本市出身のプロ野球選手(投手・内野手)、野球指導者。左投左打。 高校卒業後に九州共立大学に進学、野球部に所属したものの野手から投手に転向しようと思い、自主練習を積むために退部した。大学に在籍しながら自主練習を積み、卒業後には四国・九州アイランドリーグ(現・四国アイランドリーグplus)の香川オリーブガイナーズに入団した。 2009年から2010年前期まで香川オリーブガイナーズでプレーしていたが、2010年前期終了後の7月3日、戦力外通告を受け、退団。退団後、単身台湾に渡り、台湾球団の入団テストを受けたが「若すぎる」という理由で不採用となる。
大原 淳也(おおはら じゅんや、1984年6月26日 - )… 大原 淳也(おおはら じゅんや、1984年6月26日 - )は、佐賀県東松浦郡玄海町出身の元プロ野球選手(内野手)。
藤田 卓史(ふじた たかし、1982年11月21日 - )は… 藤田 卓史(ふじた たかし、1982年11月21日 - )は、社会人野球の元選手(投手)。 父は元南海ホークス投手の藤田学である。 父が南海ホークスに所属していた為大阪府生まれ、1989年にチーム(当時の福岡ダイエーホークス)が福岡県に移転した為、福岡で育つ。 沖学園高から九州共立大学に進学。大学時代は、全日本大学野球選手権への出場歴を有する。 その後、同級生の加藤佑介(内野手)と共に東芝へ入社したが、2009年までは公式戦での登板機会はほとんどなかった。 2010年からは公式戦で起用され始め、同年夏に行なわれた第81回都市対抗野球ではチーム5試合中3試合に先発、うち2試合(1回戦:対東海理化戦・決勝戦:対JR九州戦)では完封勝利を収め、都市対抗野球最優秀選手に贈られる橋戸賞を獲得した。
髙橋 秀聡(たかはし ひであき、1982年8月26日 - )… 髙橋 秀聡(たかはし ひであき、1982年8月26日 - )は、群馬県太田市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 家庭の事情で、小学校卒業時にインドネシアのジャカルタ日本人学校に在籍[要出典]。大阪府東大阪市に移住したのを機に、東大阪市立盾津東中学校へ入学した。 中学生時代は3番手投手。普段は外野を守っていたが、肩は強く、投手としても当時から直球が速かったという。大阪府立盾津高校への進学後は、2年春からエースになったが、春・夏ともに甲子園大会へ出場できなかった。 九州共立大学への進学後は、2年生まで福岡六大学野球のリーグ戦で勝ち星を挙げられなかったがものの、3年生の春から頭角を現した。大学選手権では2回戦で先発無失点で勝利し、先輩・馬原孝浩の活躍もあってベスト4。
髙橋 秀聡(たかはし ひであき、1982年8月26日 - )… 髙橋 秀聡(たかはし ひであき、1982年8月26日 - )は、群馬県太田市出身の元プロ野球選手(投手)。
馬原 孝浩(まはら たかひろ、1981年12月8日 - )は… 馬原 孝浩(まはら たかひろ、1981年12月8日 - )は、熊本県熊本市中央区出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、元火の国サラマンダーズ監督、野球指導者、YouTuber。 託麻原小学校時代には、熊本市の選抜チームのエースとして同市の姉妹都市であるサンアントニオ市(アメリカ合衆国テキサス州)の選抜チームと試合をした経験がある。熊本市水前寺野球場で行われた県大会の決勝戦にて、当時男子に交じって少年野球をやっていた元プロゴルファーの古閑美保にライトオーバーの本塁打を打たれたことがあり、馬原自身も当時のことを鮮明に覚えていると『ジャンクSPORTS』などで語っていたが、実は打たれていない。ジャンクスポーツスタッフに「ここは打たれたことにしてください」と頼まれコメントした。
鬼崎 智史(おにざき ともちか、1980年11月9日 - )… 鬼崎 智史(おにざき ともちか、1980年11月9日 - )は、佐賀県佐賀市出身の元社会人野球の選手(外野手)。かずさマジックに所属していた。実弟は鬼崎裕司。
新垣 渚(あらかき なぎさ、1980年5月9日 - )は、沖… 新垣 渚(あらかき なぎさ、1980年5月9日 - )は、沖縄県那覇市出身の元プロ野球選手(投手)。
田上 秀則(たのうえ ひでのり、1980年3月20日 - )… 田上 秀則(たのうえ ひでのり、1980年3月20日 - )は、大阪府大阪市住之江区出身の元プロ野球選手(捕手、内野手)。 敷津浦小学校時代に地元少年野球チームの住之江ウルフで野球を始め、住之江中学校進学後は黒田一博が当時監督を務めていたボーイズリーグ・オール住之江に入団。 大阪産業大学附属高等学校では1学年上の平本学とバッテリーを組んで2年春府大会ベスト8。1998年に入学した九州共立大学では、1学年上の山村路直・1学年下の新垣渚ら大学球界を代表する投手の球を受けてきた。1999年の大学2年時には第30回明治神宮野球大会で優勝。打者としても大学最後の2001年シーズンでリーグ新となる9本塁打を記録した。
山村 路直(やまむら みちなお、1978年12月5日 - )… 山村 路直(やまむら みちなお、1978年12月5日 - )は、愛媛県伊予郡松前町出身の元プロ野球選手(投手)。 愛媛県立松山中央高等学校、九州共立大学卒業。 高校3年の夏、愛媛県大会で全国制覇することになる松山商に敗れてベスト8。 九州共立大学1年時の1997年秋、明治神宮大会で当時アマチュア球界最強を誇った3年二岡智宏擁する近畿大(この大会で優勝)を相手に好投し注目を集めた。2年時の1998年、大学選手権では延長10回0-1で敗れたものの、4年上原浩治(当時大体大)と投手戦を繰り広げて評価を高めた。3年時の1999年秋の明治神宮大会では全試合救援登板をし決勝の東海大戦で1年新垣渚の後を受け5回無失点に抑えて大学日本一となった。
的場 寛一(まとば かんいち、1977年6月17日 - )は… 的場 寛一(まとば かんいち、1977年6月17日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手・社会人野球選手(内野手)、野球指導者。右投右打。 大学時代および阪神時代の2000年から2004年までの登録名は「的場 寛壱」。 尼崎市立杭瀬小学校、尼崎市立若草中学校に進学。小中学時代は祖父が設立したチームであるボーイズリーグの兵庫尼崎に在籍。高校進学は愛知県の弥富高等学校(現:愛知黎明高等学校)へ進学。1年からレギュラーとして出場し秋季東海大会8強、3年夏は愛知大会4強入りしたが上坂太一郎らを擁して甲子園出場する享栄高に大差で敗れ、最後は登板している。 高卒後の進路について的場本人は、「羽振りが良さそうだから」との理由で美容師を志望していたが、金城監督に猛反対され、家族の後押しもあり九州共立大学への進学に変更した。
前田 浩継(まえだ ひろつぐ、1976年1月3日 - )は、… 前田 浩継(まえだ ひろつぐ、1976年1月3日 - )は、福岡県宗像市出身の元プロ野球選手(投手)。
於保 浩己(おほ ひろみ、1975年8月9日 - )は、佐賀… 於保 浩己(おほ ひろみ、1975年8月9日 - )は、佐賀県出身の元プロ野球選手(外野手)。
深谷 亮司(ふかたに りょうじ、1974年12月9日 - )… 深谷 亮司(ふかたに りょうじ、1974年12月9日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(捕手)、プロ野球コーチ。 福岡県立八女工業高等学校から進んだ九州共立大学では柴原洋と同期で3年秋ベストナイン、4年時に前田浩継とのバッテリーで大学選手権準優勝。河合楽器に入社。正捕手として活躍し、2001年の第72回都市対抗野球大会優勝にも貢献した。同年にチームが休部となったあと、ドラフト会議でオリックス・ブルーウェーブに13巡目で指名され入団した。当時オリックスが下位指名選手に対し行っていた、契約金0円選手のひとりである。 しかし2002年シーズンは一軍出場機会に恵まれず、入団時27歳という高齢や右肩の故障がネックになり、1年で戦力外通告を受け現役を引退。
柴原 洋(しばはら ひろし、1974年5月23日 - )は、… 柴原 洋(しばはら ひろし、1974年5月23日 - )は、福岡県北九州市小倉北区出身の元プロ野球選手(外野手、左投左打)、野球解説者、野球評論家。九州共立大学特別客員講師。北九州市スポーツ大使。芸能事務所パインズと業務提携。 北九州高校時代は「4番・エース」として、3年春の九州大会でベスト8の成績を残した。その後、九州共立大学に進学と同時に野手転向。福岡六大学で首位打者を4回、本塁打王を3回、打点王を4回、MVPを2回、ベストナイン6回をそれぞれ獲得。リーグ戦通算成績は85試合出場、330打数137安打。打率.415、21本塁打、96打点。4年春の大学選手権では決勝で井口忠仁(ダイエー同期入団)が主将の青学大と対戦し、準優勝。
大野 倫(おおの りん、1973年4月3日 - )は、沖縄県… 大野 倫(おおの りん、1973年4月3日 - )は、沖縄県出身の元プロ野球選手(外野手)。現在は九州共立大学沖縄事務所長。
伊礼 忠彦(いれい ただひこ、1970年8月20日 - )は… 伊礼 忠彦(いれい ただひこ、1970年8月20日 - )は、沖縄県出身の元プロ野球選手(外野手)。