逸見 久美(いつみ くみ、1926年7月12日 - 2025… 逸見 久美(いつみ くみ、1926年7月12日 - 2025年11月3日)は、日本の歌人・日本近代文学研究者。特に与謝野鉄幹・晶子の研究では第一人者である。 翁久允の三女として兵庫県芦屋に生まれる。1947年青山学院女子専門部国文科卒、1950年早稲田大学文学部国文科卒、1953年同大学院修士課程修了、1973年実践女子大学大学院国文科博士課程終了、1977年「評傳與謝野鐵幹晶子」で文学博士の学位を取得する。女子聖学院短期大学教授、徳島文理大学教授、聖徳大学教授。 1948年に金沢の百貨店「大和」の出版部勁草書房設立の際の中心人物だった逸見俊吾(富山県出身、1923-2002)の妻。俊吾はのち青林書院を設立するが1961年倒産、青林書院新社(1984年青森書院に改称)となり、1964年社長に復帰、のち会長。
築地 正子(ついじ まさこ、1920年(大正9年)1月1日 … 築地 正子(ついじ まさこ、1920年(大正9年)1月1日 − 2006年(平成18年)1月27日、享年86歳)は、日本の歌人。本名は築地 正(ついじ まさ)。 1920年(大正9年)1月1日、東京に生まれた。実践女子専門学校(現・実践女子大学)国文科在学中から作歌を始め、短歌結社「鶯」をへて竹柏会「心の花」の同人となった。戦後、二十六歳の時に熊本県長洲町に両親と共に移り住み、五十年以上をそこで土を耕しながら過ごした。一時期絵画を志したが、熊本移住後に断念している。熊本ではその地になじめず、最後まで東京への望郷の思いを持ち続けた。彼女は人間嫌いとも言われるほど世俗を退け、家に電話も置いていなかったところから、「孤高の歌人」と呼ばれたが、長洲町の豊な自然(鳥や虫、植物など)との交感や老いを題材に、彼女独特の美学や哲学に基づいた清新な歌風の作品を残している。
渡辺 静子(わたなべ しずこ、1916年8月11日 - 20… 渡辺 静子(わたなべ しずこ、1916年8月11日 - 2011年5月2日)は、日本の国文学者・俳人。 東京生まれ。筆名・渡辺 しおり。1937年実践女子専門学校(現・実践女子大学)国文科卒、結婚するが夫を亡くしたあと、1966年東洋大学大学院博士課程満期退学、清和女子短期大学教授、1972年大東文化大学教授、87年名誉教授。1991年「中世日記文学論序説」で大東文化大学文学博士。専門は中世・中世日記文学。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
太田 絢子(おおた あやこ、1916年3月17日 - 200… 太田 絢子(おおた あやこ、1916年3月17日 - 2009年10月31日)は、昭和・平成期の歌人。歌誌『潮音』主宰を務めた。歌人・漢文学者の太田青丘は夫。『潮音』現主宰の木村雅子は娘。旧姓・近藤。 北海道利尻町生まれ。実践女子専門学校(現実践女子大学)国文科卒。在学中は高崎正秀の指導を受ける。同校助手を経て、北海道岩見沢農業高等学校、北海道小樽潮陵高等学校などの教員を歴任。小樽市を第二の故郷として愛した。 1950年(昭和25年)、歌誌『新墾』及び『潮音』に入社。後に『新墾』選者も務める。1957年(昭和32年)、師の小田観螢の媒酌により、太田青丘の後妻に入り、北海道を離れ鎌倉市に住む。1996年(平成9年)に夫の太田青丘の没後、『潮音』主宰を継承。