郡司 和斗(ぐんじ かずと、1998年6月4日 - )は、日… 郡司 和斗(ぐんじ かずと、1998年6月4日 - )は、日本の歌人、俳人、川柳家。歌誌「かりん」および俳誌「蒼海」に所属。 茨城県生まれ。茨城県立結城第二高等学校三年生であった2016年、当時バスケットボール部に所属していたが、助っ人として第11回全国高校生短歌大会に出場することになった際に読んだ石川啄木『一握の砂』がきっかけで短歌に興味を持ち始める。 2017年、二松学舎大学に進学。二松学舎大学松風短詩会を桜望子らと結成。また、同大学の非常勤講師を務める堀本裕樹の教えを受け、俳句の創作を始める。大学在学中の2019年、第39回かりん賞を受賞。同年、連作「ルーズリーフを空へと放つ」にて第62回短歌研究新人賞を受賞。
白川 鼎心(しらかわ ていしん、1981年 - )は、書家、… 白川 鼎心(しらかわ ていしん、1981年 - )は、書家、俳人、歌人。 産経国際書会無監査会員。国立お茶の水女子大学附属中学校書写専任講師。都内公立学校非常勤講師。鼎心書塾代表。光陽書道会品川支部長。光陽書道会越谷支部長。たまさか書会専任講師。 短歌結社「心の花」会員。俳句結社「梓」会員。 日本学校俳句研究会 幹事。 文化庁委託江東伝統文化親子教室会長。 学習塾経営を経て、公立学校非常勤講師の傍ら、書家、歌人、俳人を目指す。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
大谷 弘至(おおたに ひろし、1980年 - )は、福岡県出… 大谷 弘至(おおたに ひろし、1980年 - )は、福岡県出身の俳人。 福岡市に生まれ、3歳のころ朝倉市に移住。上京して早稲田大学に入学後、いくつかの結社を経て2004年に長谷川櫂の「古志」に入会。当初はロシア文学、特にドストエフスキーの研究を志したが、語学の問題などがあり中絶、子規以前の古俳諧の研究に転じた。2006年、「古志」の飴山實俳句賞受賞。2010年、アンソロジー『超新撰21』(邑書林)入集。2011年1月、長谷川櫂に譲られ30歳で「古志」新主宰に就任。俳壇で最も若い俳誌主宰者となる。同年3月、二松学舎大学大学院博士後期課程満期修了。2024年より和光大学非常勤講師、和光大学俳句部顧問。
堀本 裕樹(ほりもと ゆうき、1974年8月12日 - )は… 堀本 裕樹(ほりもと ゆうき、1974年8月12日 - )は、日本の俳人、文筆家。所属事務所はアドライフ。東京経済大学・二松學舍大学非常勤講師、実践女子学園生涯学習センター講師、杉並区立角川庭園・すぎなみ詩歌館講師、俳人協会幹事。俳句結社「蒼海俳句会」主宰。 和歌山県出身。和歌山市生まれだが、両親はともに熊野本宮の出身。中高生時代は陸上部の長距離走選手だった。和歌山県立向陽高等学校、國學院大学法学部卒業。 大学在学中に、國學院俳句(師範・鎌田東二)に入会。19歳から作句を始める。出版社勤務、コピーライターを経て角川春樹が主宰する俳句結社「河」に参加。所属中に結社賞の河新人賞、河賞、銀河賞、角川春樹賞を受賞した。
関 悦史(せき えつし、1969年〈昭和44年〉9月21日 … 関 悦史(せき えつし、1969年〈昭和44年〉9月21日 - )は、日本の俳人。 茨城県土浦市出身・在住。二松学舎大学文学部国文科卒。吉岡実の散文で富澤赤黄男、永田耕衣、高柳重信を知ったことから現代俳句に触れ、数年後、20代半ばより病中の気散じに作句をはじめる。2002年、すべて漢字・カタカナで記した作品「マクデブルクの館」100句により第一回芝不器男俳句新人賞城戸朱理奨励賞を受賞。 また俳句評論家としても活動し、2008年、「全体と全体以外―安井浩司的膠着について―」で現代俳句評論賞佳作。 2009年、「天使としての空間―田中裕明的媒介性について―」で俳句界評論賞受賞、「他界のない供犠―三橋鷹女的迷宮について」で再び現代俳句評論賞佳作。
槇 弥生子(まき やよいこ、1931年7月13日 - 201… 槇 弥生子(まき やよいこ、1931年7月13日 - 2015年5月19日)は、日本の歌人。 東京市生まれ。二松学舎大学文学部国文科卒業。本名・森本早百合。歌人・万葉学者の森本治吉は夫の父、歌人の森本平は息子。 1946年、万葉講座にて森本治吉と出会い、後日「白路」に入会、1953年、「醍醐」に入会。その後、「醍醐」選者を経て、2004年に「開耶(さくや)」を創刊、主宰。この間、日本歌人クラブ中央幹事(1990年-1993年)。1975年、歌集『ふりむくことなし』にて第1回短歌公論処女歌集賞受賞。2015年5月19日、誤嚥性の窒息のため死去。
下田 歌子(しもだ うたこ、出生名:平尾 鉐〈ひらお せき〉… 下田 歌子(しもだ うたこ、出生名:平尾 鉐〈ひらお せき〉、1854年9月29日〈嘉永7/安政元年8月8日 - 1936年〈昭和11年〉10月8日)は、日本の明治から大正期にかけて活躍した教育者、歌人(号は香雪)。女子教育の先覚者で、生涯を女子教育の振興にささげ、実践女子学園の基礎も築いた。祖父は儒学者東条琴台。 美濃国恵那郡岩村(現在の岐阜県恵那市)にて、岩村藩士平尾鍒蔵と房子(挙母藩武久氏)の長女として生まれる。実弟は平尾鍗蔵。 祖父東条琴台は江戸の医家から平尾家に婿入したが、鍒蔵が生まれた後、藩内学閥との確執から離縁。鉐の幼少期、父鍒蔵(1818–1898)は尊王攘夷論を説いたため、安政4年と明治元年に2度謹慎処分を受け、計10年の蟄居を強いられた。