貫 元介(ぬき もとすけ、1851年9月29日 - 1890… 貫 元介(ぬき もとすけ、1851年9月29日 - 1890年3月31日)は、日本の教育者、幕末期の長州藩士。立教学校(現・立教大学)初代幹事、立教大学校教頭。立教学校1期生。旧姓、稲田、旧名、勇次郎。 1851年、周防山口藩士の家に生まれる。 明治4年、英学修行のため東京に出て、英国人グレゴリの下で学び、2年間で読法、英会話、地理書、万国史を研究する。 1874年に米国聖公会によって築地に設立された立教学校(現・立教大学)で1期生として学ぶ。第1回卒業生。チャニング・ウィリアムズ(立教大学創設者)の下で、算術、英国史、地形学、物理学、心理学、修身学、経済学、文明史を研究する。1期生の同期には、岡本鏸太郎、岩谷松平のほか、和田秀豊、岩下清周がいた。
多治見 十郎(たじみ じゅうろう、1851年 - 没年不詳)… 多治見 十郎(たじみ じゅうろう、1851年 - 没年不詳)は、日本の教育者、英学者、聖職者。聖教社教授、聖教社及び聖教社分校女子校の設立届出人、日本聖公会の伝道師。 岐阜県の士族の家に生まれる。文久元年から慶應3年まで7年間、松苗寛一郎に従い、漢学を修める。 1873年(明治6年)から1875年(明治8年)まで、鳴門塾において、英学及び洋算を修める。鳴門塾は通称であり。1872年(明治5年)に鳴門義民が芝露月町に創設した英学と洋算の塾であり、名称は単に英学所と呼ばれていた。 1875年(明治8年)から1878年(明治11年)まで、米国聖公会のチャニング・ウィリアムズに従い、立教学校(立教大学の前身の一つ)で英学及び洋算を修める。
岡島 松太郎(おかじま まつたろう、生没年不詳)は、日本の教… 岡島 松太郎(おかじま まつたろう、生没年不詳)は、日本の教育者、聖職者。平安女学院元院長、聖三一幼稚園(福井)創設者、日本聖公会の聖職者。藍綬褒章受賞。 立教大学に入学し、1915年(大正4年)、同大学文学部を卒業。 福井聖三一教会で司牧し、1929年(昭和4年)に、以前にチャールズ・シュライバー・ライフスナイダー(立教学院総理)が使っていた福井市春山の宣教師館の1階を改造して、聖三一幼稚園を創設する。園長には米国聖公会から派遣されたパウエル女史が就任した。 その後も教育界で活躍し、平安女学院院長を務めた。聖職者としても、京都・聖アグネス教会(苑南基督教会)で奉職した。 1946年(昭和21年)11月には基督教保育連盟の全国大会が開かれ、同連盟の顧問に選出されている。
色田 周次(しきだ しゅうじ、生没年不詳)は、明治期から大正… 色田 周次(しきだ しゅうじ、生没年不詳)は、明治期から大正期の日本の実業家、教育者。高田商会台北支店長や、旭電鍍合資会社代表社員を務めたほか、立教学校(立教大学の前身校の一つ)の最初の日本人教授の一人として指導を行った。 1874年(明治7年)2月に東京・築地に開設された立教学校(立教大学の前身校の一つ)で学ぶ。 1876年(明治9年)4月、貫元介とともに、立教学校の最初の日本人教員となる。同年6月の年度報告によると、当時の教授として、クレメント・T・ブランシェ(Clement T. Blanchet)が主任を務め、チャニング・ウィリアムズ主教とウィリアム・クーパー(William B. Cooper)が語学、聖書、地理歴史などを英語で教えたほか、日本人助教として色田と貫元介が名を連ねた。