入江 伸明(いりえ のぶあき、1934年(昭和9年)12月3… 入江 伸明(いりえ のぶあき、1934年(昭和9年)12月3日 - 2008年(平成20年)2月18日)は、日本の実業家。 福岡県北九州市八幡東区出身。1953年(昭和28年)福岡県立小倉高等学校卒業。早稲田大学卒業後、三井信託銀行(現・三井住友信託銀行)入行。 1961年(昭和36年)1月帰郷後、家業である入江興産(現社名・アステック入江)入社・常務取締役就任、1975年(昭和50年)9月代表取締役社長に就任。2005年(平成17年)10月には代表取締役会長に就任した。また、2005年(平成17年)6月~2007年(平成19年)6月の間、高田工業所社外監査役を務めた。 1999年(平成11年)4月、西日本工業大学理事長就任、2006年(平成18年)4月1日より九州歯科大学経営協議会学外委員を務めた。
鈴木 恭明(すずき やすあき、1934年11月30日 - 2… 鈴木 恭明(すずき やすあき、1934年11月30日 - 2025年4月3日)は、日本の経営者。三菱倉庫社長を務めた。 東京都出身。1960年に早稲田大学第一政治経済学部経済学科を卒業し、同年に三菱倉庫に入社。1992年6月に取締役に就任し、1996年6月に常務を経て、1998年6月に社長に就任。2003年6月に会長に就任し、2005年6月に相談役に就任。 2002年11月に藍綬褒章を受章し、2007年11月に旭日中綬章を受章。 2025年4月3日午後11時19分、老衰のため死去。90歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山崎 達光(やまざき たつみつ、1934年11月30日 - … 山崎 達光(やまざき たつみつ、1934年11月30日 - 2020年12月6日 )は、日本の経営者。ヱスビー食品社長、会長を務めた。 東京都出身。1957年に早稲田大学商学部を卒業し、同年にヱスビー食品に入社した。1960年に取締役に就任し、1961年2月に常務、1974年5月に副社長を経て、1983年6月に社長に就任。1989年6月に会長に就任。 2020年12月6日に虚血性心不全のために死去。86歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
神尾 昭男(かみお あきお、1934年11月19日 - )は… 神尾 昭男(かみお あきお、1934年11月19日 - )は、日本の経営者。東洋経済新報社社長を務めた。 東京都出身。1959年に早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業し、同年に東洋経済新報社に入社。1982年に週刊東洋経済編集長に就任し、1986年に取締役を経て、1992年12月には社長に就任。1995年12月には会長に就任。
志太 勤(しだ つとむ、1934年〈昭和9年〉10月14日 … 志太 勤(しだ つとむ、1934年〈昭和9年〉10月14日 - 2025年〈令和7年〉7月9日)は、日本の実業家。シダックス創業者。 静岡県田方郡韮山町(現・伊豆の国市)出身。静岡県立韮山高等学校卒業。高校3年生の時に、義兄から譲り受けた大衆食堂「大炬燵(おおごたつ)」を経営。1960年(昭和35年)、東京都調布市に給食事業を運営する「富士食品工業」(現・シダックスフードサービス)を設立し、社長に就任。従来の定食からカフェテリア方式にしたことで急成長を遂げた。集団給食を主体としたフードサービス事業とレストランカラオケ事業で業界トップクラス。1997年(平成9年)、社長を長男・勤一に譲っている。2012年(平成24年)6月、代表取締役会長から取締役最高顧問となる。
宇田 誠(うだ まこと、1934年9月5日 - 2013年1… 宇田 誠(うだ まこと、1934年9月5日 - 2013年12月5日)は、広島県福山市出身の実業家。元広島銀行頭取、広島商工会議所会頭。 1934年、福山市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。 1957年、広島銀行に入行。以降広銀岡山支店長や取締役総合企画部長、専務営業総本部長など歴任する。 1994年、広銀頭取に就任すると、バブル崩壊以降の不良債権処理に尽力し経営安定に務め、海外路線に向かっていた銀行を地域重視路線へと舵取りし、広銀の再建に尽力した。1997年全国地方銀行協会副会長に就任。2000年頭取を退き広銀会長に、2006年広銀特別顧問に就任する。 また広銀会長時代の2004年、広島商工会議所会頭に就任した。
高月 英五(たかつき えいご、1934年7月15日 - )は… 高月 英五(たかつき えいご、1934年7月15日 - )は、日本の経営者。三陽商会社長を務めた。神奈川県出身。 1958年に早稲田大学商学部を卒業し、1961年6月に三菱レイヨンに入社。1969年5月に三陽商会に転じ、1974年2月に取締役に就任し、1976年7月に常務、1979年3月に専務を経て、1983年3月には社長に就任。1993年3月には副会長に就任。
國井 康夫(くにい やすお、1934年7月8日 - 2019… 國井 康夫(くにい やすお、1934年7月8日 - 2019年2月2日)は、日本の経営者。日本水産社長、会長を務めた。東京都出身。 1957年に早稲田大学第一政治経済学部を卒業し、同年に日本水産に入社した。1987年6月に取締役に就任し、1991年6月に常務、1993年6月に専務、1994年6月に副社長を経て、1995年6月には社長に就任した。1999年6月に会長に就任し、2001年6月には相談役に就任。 2004年11月に旭日中綬章を受章。 2019年2月2日に病気のために死去。84歳没。
田中 知己(たなか ともみ、1934年7月7日 - 2015… 田中 知己(たなか ともみ、1934年7月7日 - 2015年10月21日)は東京都出身のテレビディレクター、テレビプロデューサー兼鉄道雑誌編集会社社長およびその編集者。早稲田大学卒業。 1957年日本テレビ入社。1959年にドラマ「恋人」でデビュー後、愛の劇場、日産スター劇場、サスペンス劇場といった連続ドラマ枠を担当。その後も「気になる嫁さん」、「ほおずきの唄」、「オレの愛妻物語」などのドラマや、「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」といったバラエティー番組の演出も手掛けた。1989年に日本テレビを退社しフリーとなった。 その後は鉄道月刊誌「鉄道ピクトリアル」を発行する電気車研究会に転職し同社の社長を務め、その後会長を務めた。
野村 吉三郎(のむら きちさぶろう、1934年(昭和9年)6… 野村 吉三郎(のむら きちさぶろう、1934年(昭和9年)6月10日 - )は、日本の経営者。元全日本空輸社長・会長。大分県出身。
橘 康太郎(たちばな こうたろう、1934年5月30日 - … 橘 康太郎(たちばな こうたろう、1934年5月30日 - 2012年6月1日)は、日本の政治家、実業家。自由民主党所属の衆議院議員(4期)。日本野球富山県連盟名誉会長。富山県高岡市出身。 実業家で、民主党の参議院議員・衆議院議員を務めた橘直治の息子として生まれた。早稲田大学大学院商学研究科修士課程修了後、富山県議会議員(1期)、伏木海陸運送社長を務めた。その後旧富山2区より無所属で第38回総選挙に立候補し落選。続く第39回総選挙でも自由民主党の公認を得ながら落選、3度目の立候補となった第40回総選挙で初当選した。 地元には地盤の強固な綿貫民輔がいたため、小選挙区制に移行してからの富山3区(範囲は旧富山2区と同じ)からの立候補は叶わず、比例北陸信越ブロックへと転出して、第41回総選挙以降3回連続して比例区からの単独立候補で上位当選したが、衆院比例73歳定年制・比例連続2回規定という当時の自民党規定のため、第44回総選挙では自民党公認を得られずに、立候補を断念した。
堤 義明(つつみ よしあき、1934年(昭和9年)5月29日… 堤 義明(つつみ よしあき、1934年(昭和9年)5月29日 - )は、日本の実業家。西武鉄道グループの元オーナー。父は西武グループの基礎を一代で築き上げた堤康次郎であり、兄は元西武百貨店会長・小説家の堤清二(辻井喬)。フォーブス誌で一時は総資産額で世界一となったこともあるが、西武グループの度重なる不祥事の責任を取って一線を退き、その後にインサイダー取引疑惑で有罪判決を受けた。
渡邊 五郎(わたなべ ごろう、1934年5月14日 - 20… 渡邊 五郎(わたなべ ごろう、1934年5月14日 - 2021年2月16日)は、日本の実業家。三井物産代表取締役副社長、三井化学代表取締役会長を歴任した。 高知市立潮江小学校時代は、体も大きくガキ大将だった。1945年、小学5年生だった頃に、空襲によって自宅を焼失する。そこで、四万十町魚ノ川に疎開して山小屋を建て、5年間を過ごした。実家は貧困状態で、家に電気は引かれておらず、夜はたいまつとランプで過ごした。また、父の木材仲買業の収入が不安定だったため、自身も子供ながらに、高知の町まで米などを売りに出て家計を支えた。 中学3年生の3学期から、進学高校への進学を志して高知市に戻り、調理人をしていた兄の家の屋根裏部屋に住み、高知市立昭和中学校(現高知市立愛宕中学校)に通った。
永安 満洲男(ながやす ますお、1934年5月12日 - )… 永安 満洲男(ながやす ますお、1934年5月12日 - )は、日本の経営者。山陽電気鉄道元社長、会長。兵庫県出身。 1959年に早稲田大学法学部を卒業し、同年に山陽電気鉄道に入社。 1989年9月に取締役に就任し、1992年6月に常務、1995年11月に専務を経て、1999年6月には社長に就任した。2003年6月に会長を経て、2005年6月に相談役に就任。 2001年11月に藍綬褒章を受章。
本庄 正則(ほんじょう まさのり、1934年4月25日 - … 本庄 正則(ほんじょう まさのり、1934年4月25日 - 2002年7月22日)は、日本の実業家。伊藤園の創業者。 兵庫県神戸市出身。1959年早稲田大学第一法学部を卒業して東都日産モーターで自動車セールスマンをしていたが、脱サラし日用品の訪問販売会社「日本ファミリーサービス株式会社」を1964年に埼玉県で起業した。同社取扱商品の中の一つであった茶葉製品に注力するかたちで、1966年6月に産地直送の販売手法による「フロンティア製茶株式会社」を静岡県静岡市神明町(現・静岡市葵区神明町)に設立。茶葉製品市場に参入した。その後、東京・上野にあった茶問屋「釜邦」より「伊藤園」の商号を200万円で譲り受け、1969年5月より現社名の「株式会社伊藤園」に商号を変更している。
桑島 久男(くわしま ひさお、1934年3月6日 - )は、… 桑島 久男(くわしま ひさお、1934年3月6日 - )は、日本の実業家。名古屋テレビ放送社長を務めた。 神奈川県出身。1958年に早稲田大学第一政経学部新聞学科を卒業し、朝日新聞社に入社。西部本社編集局長、大阪本社編集局長、取締役、出版局長、常務を経て、1997年2月に全国朝日放送顧問に就任し、同年6月には専務に就任した。1998年3月から2004年6月までに名古屋テレビ放送社長を務めた。 2002年から2004年までに日本民間放送連盟副会長を務めた。 2005年11月に旭日中綬章を受章した。
山口 博人(やまぐち ひろと、1934年2月10日 - 20… 山口 博人(やまぐち ひろと、1934年2月10日 - 2013年8月4日)は、日本の経営者。住友林業社長を務めた。 鹿児島県伊佐市(旧大口市)出身。1954年に早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業。 住友信託銀行での勤務を経て、1975年11月に住友林業に転職。1982年12月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1994年6月に社長に就任し、1999年4月には会長に就任。2001年6月には取締役相談役に就任し、2002年6月からは名誉顧問を務めた 2013年8月4日、心不全のために死去。79歳没。
一木 豊(いちき ゆたか、1934年1月14日 - 2008… 一木 豊(いちき ゆたか、1934年1月14日 - 2008年12月23日)は、日本の実業家。テレビ東京の社長・会長を務めた。東京都出身。 東京都立戸山高等学校を経て、1957年に早稲田大学政治経済学部卒業。同年に日本経済新聞社に入社。 ワシントン支局長、政治部長、電波本部長を経て、1986年3月に取締役に就任。1989年6月に常務、1992年3月に専務を経て、1996年6月にテレビ東京社長に就任。デジタル衛星放送事業への参入に力を入れ、ポケモンショックが起きた際には、事態の説明と自社独自のガイドラインの策定を行い、事態の収拾を図った。2001年6月に会長に就任。日本民間放送連盟副会長も務めた。
和田 繁明(わだ しげあき、1934年1月3日 - 2022… 和田 繁明(わだ しげあき、1934年1月3日 - 2022年7月25日)は、日本の実業家。 強いリーダーシップと強固な決断力で改革を断行する荒療治的な経営再建を得意とし、西武グループ関連などの百貨店業態改革に一貫して取り組み、危機になると救世主として現れる事から「百貨店の再建請負人」と評された。 東京本郷の商家に生まれる。早稲田大学高等学院、早稲田大学政治経済学部を卒業。大学在学中は早大弁論部に所属した。 卒業後の就職先としてマスコミ業界入りを志向、在京放送局のアナウンサー試験を受験するも全敗となる。次に新聞社を狙うもこれまた不採用となる。そこで方針を変え学生時代のアルバイト経験を活かそうと百貨店入りを目指し松坂屋を受験。
大久保 登志正(おおくぼ としまさ、1934年<昭和9年>-… 大久保 登志正(おおくぼ としまさ、1934年<昭和9年>-)は、日本の教育者、実業家。栃木県出身。 専修学校・宇都宮ビジネス電子専門学校(UBDC)の創設者である。他、宇都宮ケーブルテレビ代表取締役社長、宇都宮生涯学習センター理事長、宇都宮クラーク高等学院(クラーク記念国際高等学校宇都宮キャンパス)代表なども務める。 宇都宮藩主の御典医であり、宇都宮商業銀行(現・足利銀行)初代頭取でもある大久保元亨の曾孫にあたる。 息子の大久保知裕は現在、UBDCの理事長を務めており、姉妹校の宇都宮アート&スポーツ専門学校(学校法人 大久保育英会)の理事長も兼務している。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
伊藤 寿男(いとう としお、1934年 - )は日本の企業経… 伊藤 寿男(いとう としお、1934年 - )は日本の企業経営者、編集者。元『週刊現代』編集長。元『フライデー』創刊編集長。月刊テーミス編集主幹。 1934年(昭和9年)、静岡県榛原郡相良町(現・牧之原市)に誕生し、1958年(昭和33年)、早稲田大学卒業後、講談社に入社する。『月刊現代』編集長、『週刊現代』編集長を経て学芸図書第二出版部長、再び『週刊現代』編集長を務めた後、取締役第一編集局長に就任し、1984年に『フライデー』創刊編集長を兼務する。また、この間には日本雑誌協会の編集委員会副委員長はじめ、取材委員長、雑誌記者会幹事長を歴任する。 1988年(昭和63年)に同社を退社し、株式会社テーミスを創業、代表取締役社長兼編集主幹となる。
深川 誠(ふかがわ まこと、1933年12月5日 - )は、… 深川 誠(ふかがわ まこと、1933年12月5日 - )は、日本の経営者。東京都出身。 1956年に早稲田大学政治経済学部新聞学科を卒業し、同年に日本経済新聞社に入社。1983年6月に取締役に就任し、1988年6月に常務、1991年6月に専務、1994年6月に副社長を経て、1995年6月にはテレビ大阪社長に就任。1999年6月に会長に就任し、2001年6月に相談役を経て、2003年には顧問に就任。
南出 和寛(みなみで かずひろ、1933年12月3日 - … 南出 和寛(みなみで かずひろ、1933年12月3日 - )は、日本の経営者。紀陽銀行頭取を務めた。 和歌山県出身。1956年に早稲田大学法学部を卒業し、同年に紀陽銀行に入行した。1987年6月に取締役に就任し、1991年6月に常務、1994年7月に専務を経て、1995年5月に頭取に就任し、1998年5月までに務めた。 2010年11月に旭日小綬章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
吉田 恭三(よしだ きょうぞう、1933年〈昭和8年〉9月1… 吉田 恭三(よしだ きょうぞう、1933年〈昭和8年〉9月11日 - 2019年〈令和元年〉6月24日)は、日本の経営者。群馬銀行頭取を務めた。 群馬県出身。1956年に早稲田大学商学部を卒業し、同年に群馬銀行に入行した。1983年6月に取締役に就任し、1985年6月に常務、1987年6月に専務を経て、1992年6月に副頭取に就任し、1997年4月には頭取に昇格。2003年6月に会長に就任。 2019年6月24日、死去。85歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
深谷 勝清(ふかや かつきよ、1933年8月25日 - 20… 深谷 勝清(ふかや かつきよ、1933年8月25日 - 2001年6月17日)は、日本の経営者。北海道放送社長を務めた。北海道出身。 1958年に早稲田大学文学部を卒業し、同年に北海道放送に入社。1988年に取締役に就任し、1989年に常務を経て、1995年6月に社長に就任。 2001年6月17日肺癌のために死去。67歳没。
星野 正宏(ほしの まさひろ、1933年 <昭和8年> 7月… 星野 正宏(ほしの まさひろ、1933年 <昭和8年> 7月14日 - 2020年 <令和2年> 10月10日)は、日本の経営者。相模鉄道社長、会長を務めた。位階は正四位。 神奈川県出身。1957年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、同年に相模鉄道に入社。1984年6月に取締役に就任し、1991年6月に常務を経て、1993年6月には専務に就任し、1995年1月に社長に昇格。2001年1月に会長に就任し、2007年6月から相談役を務めた。横浜銀行監査役も務めた。 2003年11月に旭日重光章を受章。。 2020年10月10日老衰のために死去。87歳没。死没日付をもって正四位に叙された。
別府 隆文(べっぷ たかふみ、1933年6月30日 - 20… 別府 隆文(べっぷ たかふみ、1933年6月30日 - 2021年2月27日)は、日本の実業家。 福岡県久留米市出身。1958年に早稲田大学教育学部を卒業し、同年にテレビ西日本に入社。 1985年7月に制作局長に就任し、取締役、常務、専務、副社長を経て、1999年6月から2005年6月までに社長を務め、2005年6月から2009年までに会長を務めた。 西日本新聞社監査役、取締役、フジテレビジョン取締役、フジ・メディア・ホールディングス取締役も務め、2000年から2006年までに日本民間放送連盟理事を務めた。 2008年4月に旭日中綬章を受章した。 2021年2月27日肺炎のために死去。87歳没。
平嶋 周次郎(ひらしま しゅうじろう、1933年 <昭和8年… 平嶋 周次郎(ひらしま しゅうじろう、1933年 <昭和8年> 6月29日 - 1998年 <平成10年> 8月30日)は、日本の経営者。宮崎日日新聞社社長を務めた。 宮崎県出身。1956年に早稲田大学第一文学部英文学科を卒業し、同年に日向日日新聞社(のちの宮崎日日新聞社)に入社。1975年に取締役に就任し、1982年に常務、1986年に専務を経て、1990年6月には社長に就任。1998年6月には特別顧問に就任。 1998年8月30日がん性腹膜炎のために死去。65歳没。
熊谷 太一郎(くまがい たいちろう、1933年6月7日 - … 熊谷 太一郎(くまがい たいちろう、1933年6月7日 - 2019年6月21日)は、日本の経営者。熊谷組社長、会長を務めた。 福井県福井市出身。1958年に早稲田大学第一理工学部土木工学科を卒業し、同年に熊谷組に入社。1968年に取締役に就任し、1970年11月に常務を経て、1972年11月に副社長に就任し、1978年12月には社長に昇格。1997年11月から2000年12月までに会長を務めた。 2019年6月21日に心不全のために死去。86歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
松橋 功(まつはし いさお、1933年4月16日 - )は、… 松橋 功(まつはし いさお、1933年4月16日 - )は、日本の実業家。東京都出身。株式会社日本交通公社元代表取締役社長、会長。現在JTB相談役。 埼玉県立春日部高等学校を経て、1956年4月早稲田大学商学部卒業後、財団法人日本交通公社に入社。人事部次長、新宿支店長、国内旅行部長、関西営業本部長などを経て、1990年6月から株式会社日本交通公社代表取締役社長、1996年6月から同代表取締役会長、1998年フランス共和国よりレジオン ド ヌール シュヴァリエ勲章受章。2004年6月からJTB相談役に就任。他にも、成田国際空港(NAA)取締役会長、日本経済調査評議会「調査専門委員会」委員長、日本観光通訳協会会長などを歴任。
青井 忠雄(あおい ただお、1933年(昭和8年)3月3日 … 青井 忠雄(あおい ただお、1933年(昭和8年)3月3日 - )は、日本の実業家。丸井社長を務めた。 東京都出身。1955年に早稲田大学第一商学部を卒業後、丸井に入社。 1959年に取締役に就任し、1960年に副社長を経て、1972年3月に社長に就任。2005年4月に社長の座を息子の青井浩に譲り、自身は会長に退く。 1998年6月、青井の寄付により、ケンブリッジ大学図書館内に自身の名を冠した「青井パビリオン」が建てられた。青井パビリオンには、日本語・中国語・韓国語資料のコレクションが所蔵されている。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
三輪 尚治(みわ なおはる、1933年3月 - )は、日本の… 三輪 尚治(みわ なおはる、1933年3月 - )は、日本の実業家。名港海運代表取締役社長や、東海港運協会副会長等を務めた。黄綬褒章受章。 1951年愛知県立明和高等学校卒業。1955年早稲田大学教育学部卒業。1956年名港海運入社。1978年名港海運取締役輸出第二部長に昇格。1983年名港海運常務取締役。1988年名港海運専務取締役。1991年名郵不動産取締役。1991年Meiko Trans Canada, Inc.取締役会長。1995年名港海運取締役副社長。2001年から名港海運代表取締役社長及び名港陸運取締役を務め、情報技術の活用などを進めた。2007年名港海運取締役相談役に退いた。東海港運協会副会長等も歴任し、2010年秋の叙勲で黄綬褒章を受章した。
上田 宏(うえだ ひろし、1933年2月13日 - )は、日… 上田 宏(うえだ ひろし、1933年2月13日 - )は、日本の経営者。西友社長を務めた。東京都出身。 1957年に早稲田大学第二商学部を卒業し、同年に西武百貨店に入社。1965年8月に西友ストアに転じ、1975年4月に取締役に就任し、1982年6月に常務を経て、1985年5月に専務に就任し、1987年3月に社長に昇格。1992年3月に副会長に就任。
山崎 至朗(やまざき しろう、1933年1月24日 - 20… 山崎 至朗(やまざき しろう、1933年1月24日 - 2006年4月4日)は、日本の経営者。エスビー食品社長を務めた。東京都出身。 1954年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、同年にエスビー食品工業に入社。1956年11月に取締役に就任し、1959年1月に副社長に就任し、1974年5月に社長に昇格。1983年6月に会長を経て、1989年6月には取締役に退いた。 2006年4月4日多臓器不全のために死去。73歳没。
柳瀬 璋(やなせ あきら 1933年(昭和8年)1月16日 … 柳瀬 璋(やなせ あきら 1933年(昭和8年)1月16日 - 2025年5月21日)は、日本のテレビディレクター、毎日放送元社長。 兵庫県芦屋市出身。1956年に早稲田大学法学部卒業。1957年(昭和32年)に大阪テレビ放送へ入社し、翌1958年(昭和33年)、朝日放送との合併に先立ち、1959年(昭和34年)3月1日にテレビ放送を開始する毎日放送へ転籍。 皇太子御成婚パレード、1964年東京オリンピック、日本万国博覧会などの報道ディレクターとして活躍、1980年(昭和55年)には現在も続く自社制作ドキュメンタリー枠『映像』の立ち上げにも参加した。 1985年(昭和60年)にテレビ編成局長、1989年(平成元年)取締役選任。
磯崎 洋三(いそざき ひろぞう、1933年〈昭和8年〉1月3… 磯崎 洋三(いそざき ひろぞう、1933年〈昭和8年〉1月3日 - 2004年〈平成16年〉8月25日)は、日本の実業家。東京放送社長。茨城県那珂湊市(現・ひたちなか市)出身。愛称は「イソさん」。 早稲田大学第一商学部卒業後、1956年(昭和31年)TBSの前身であるラジオ東京に入社。プロデューサー・制作局長を務めた居作昌果は入社同期。 『ザ・ガードマン』や山口百恵の『赤いシリーズ』を手掛け、テレビ本部編成局編成部長、第二制作局次長、スポーツ部長、第二制作局長、社会情報局長、テレビ本部編成局長、常務を歴任する。 1991年(平成3年)7月、TBSが野村證券と日興証券から6億5千万円の損失補填を受けていた問題では、筑紫哲也 NEWS23キャスターの筑紫哲也が田中和泉社長と面談して意見を言う際、重役としてただ一人、その場に立ち会い、田中の辞任表明を受け、10月9日、第8代社長に就任した。
土橋 光廣(つちはし みつひろ、1933年1月2日 - )は… 土橋 光廣(つちはし みつひろ、1933年1月2日 - )は、日本の実業家。セイコーエプソン専務取締役、エプソンヨーロッパ代表取締役社長、エプソン販売代表取締役社長、ベーステクノロジー取締役会長、イーフォーシーリンク代表取締役社長・取締役会長を務めた。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、早稲田大学法学部卒業。1957年諏訪精工舎(現・セイコーエプソン)入社。「EPSON」の名称発案者であり、プリンター事業を手掛けた。1986年セイコーエプソン専務取締役。エプソンヨーロッパ代表取締役社長、エプソン販売代表取締役社長を歴任。1994年セイコーエプソン退社、ベーステクノロジー設立、取締役会長・取締役最高顧問。
坂井 保之(さかい やすゆき、1933年 - )は、日本の元… 坂井 保之(さかい やすゆき、1933年 - )は、日本の元プロ野球球団経営者。ロッテオリオンズ、西武ライオンズ、福岡ダイエーホークスで球団代表を歴任。また、その間、日本野球機構においても要職を務めた。1994年限りで退職し、以後プロ野球経営評論家として活動中。神奈川県鎌倉市に在住しており、同市観光協会の専務理事も務める。
小池 唯夫(こいけ ただお、1932年11月12日 - 20… 小池 唯夫(こいけ ただお、1932年11月12日 - 2017年11月30日)は、日本のジャーナリスト、実業家。元毎日新聞社長。元パシフィック・リーグ会長。栃木県出身。 早稲田大学政治経済学部卒業後の1956年4月に毎日新聞社に入社。政治部長、論説委員長、東京本社編集局長などを経て、1992年6月に代表取締役社長に就任。1995年から1999年まで日本新聞協会会長を務めた。2001年1月からはパシフィック・リーグ会長に就任。2008年12月に任期満了で退任するまで、日本ハムファイターズの北海道への本拠地移転問題の解決や、2004年から始まったプレーオフ制度の導入、オリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの合併に端を発した球界再編問題への対応などに尽力した。
国場 幸一郎 (こくば こういちろう、1932年11月11日… 国場 幸一郎 (こくば こういちろう、1932年11月11日 - 2019年4月11日)は、沖縄県国頭村生まれの國場組代表取締役会長、国建、ムーンビーチ、ザ・テラスホテルズ社長、宜野座リゾート開発社長、沖縄観光コンベンションビューロー理事、沖縄建設業協会会長。沖縄県日中友好協会会長など歴任。父は國場幸吉、また国場組の創設者、國場幸太郎は叔父にあたる。また自民党の衆議院議員国場幸之助にとっては伯父にあたる。 1932年、国頭村に生まれる。沖縄戦当時は宮崎県へ疎開し、米軍統治下で封鎖された沖縄に密航によって帰郷した。石川高等学校、沖縄工業高校建築科、九州大学教養学部を経て、早稲田大学第一理工学部建築科、同大学院工学研究科で建築を学ぶ。
天田 満明(あまだ みつあき、1932年10月19日 - )… 天田 満明(あまだ みつあき、1932年10月19日 - )は、日本の経営者。アマダ社長を務めた。東京都出身。 1951年に早稲田高等工学校を中退し、同年に天田製作所(現在のアマダ)に入社。1961年4月に監査役に就任し、1963年に取締役、1973年に常務、1979年1月に専務、1980年6月に副社長を経て、1983年11月には社長に就任。1993年6月に会長、2003年6月に取締役相談役を経て、2007年6月には相談役に就任。 1993年4月に藍綬褒章を受章し、2002年11月に勲三等瑞宝章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
田淵 義久(たぶち よしひさ、1932年10月19日 - 2… 田淵 義久(たぶち よしひさ、1932年10月19日 - 2023年11月8日)は、日本の実業家。野村證券(現在の野村ホールディングス)代表取締役社長やSBI子ども希望財団理事長などを務めた。 同姓で出身都道府県も同一である前任の田淵節也(大タブチ<おおタブチ、だいタブチ>。血縁関係はない)との区別のため、「小タブチ」(こタブチ、しょうタブチ)との愛称がある。 1956年に早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業し、同年に野村證券に入社。中期国債ファンドの開発などに携わった。 梅田支店長、福岡支店長を経て、1977年12月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1983年12月に副社長に就任し、1985年12月には社長に昇格した。
柴田 博一(しばた ひろかず、1932年(昭和7年)9月27… 柴田 博一(しばた ひろかず、1932年(昭和7年)9月27日 - 2014年(平成26年)12月5日)は、日本の実業家。元キーコーヒー株式会社名誉会長、代表取締役会長、社長。同社創業家2代目で、父は創業者の柴田文次。位階は従五位。 浅野高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。1957年家業の株式会社木村コーヒー店(現キーコーヒー株式会社)入社。1970年同社代表取締役社長、1994年代表取締役会長に就任。全日本コーヒー協会会長、全日本コーヒー公正取引協議会副会長、東日本コーヒー商工組合常務理事を歴任した。日本におけるコーヒー業界の発展に尽力し、1981年にはブラジル連邦政府よりサンフランシスコ・グランクルス勲章、1990年に藍綬褒章、2002年に勲四等旭日小綬章を受章した。
西川 順之助(にしかわ じゅんのすけ、1932年〈昭和7年〉… 西川 順之助(にしかわ じゅんのすけ、1932年〈昭和7年〉8月19日 - 2024年〈令和6年〉3月15日)は、日本のバレーボール選手、新聞記者、実業家。三重県松阪市出身で、中日新聞社名古屋本社事業局長、取締役、常務を務め、2001年(平成13年)10月10日から2011年(平成23年)3月25日まで中日ドラゴンズ球団代表取締役社長を務めた。 早稲田大学に入学し、バレーボール部に入部し、6人制バレーボールの草分け的存在となる。1953年には、渡米チームのメンバーにも選ばれた。 大学卒業後の1957年(昭和32年)4月に中日新聞社へ入社し、主にスポーツ取材に携わる。バレーボール担当記者を長く務め、テレビ解説も担当した。
石黒 大山(いしぐろ たいざん、1932年5月19日 - )… 石黒 大山(いしぐろ たいざん、1932年5月19日 - )は、日本の実業家。東海テレビ放送元社長。富山県射水市出身。 1955年に早稲田大学政治経済学部卒業。同年に中部日本新聞社に入社した。 1976年に東海テレビ放送に転じ、報道局長、取締役、常務、専務を経て、1997年6月から副社長に就任し、2001年6月に社長に昇格した。2007年6月から会長に就任した。 その一方で、富山テレビ放送取締役、石川テレビ放送取締役、ナゴヤドーム取締役、フジ・メディア・ホールディングス取締役、フジテレビジョン取締役などを歴任した。 2008年11月旭日中綬章受章。
國保 徳丸(くにやす とくまる、1932年1月26日 - 2… 國保 徳丸(くにやす とくまる、1932年1月26日 - 2021年11月22日)は、日本の経営者。テレビ愛知社長を務めた。 東京都出身。1954年に早稲田大学法学部を卒業し、同年に日本経済新聞社に入社。1971年5月にテレビ東京に転じ、1978年6月に取締役に就任し、1983年6月に常務、1985年6月に専務、1990年6月に副社長を経て、1991年6月にはテレビ愛知社長に就任。1997年6月には会長を経て、1999年6月には相談役に退いた。 2021年11月22日に死去。89歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
永川 幸樹(ながかわ こうき、1932年- )は、日本のノン… 永川 幸樹(ながかわ こうき、1932年- )は、日本のノンフィクション作家、実業家。 長崎県生まれ。早稲田大学法学部卒業。新聞、雑誌記者などを経て、ノンフィクション作家になる。 1997年『善で動くべし! 実践の人・稲盛和夫』で日本文芸大賞・ノンフィクション賞受賞。 実業家の伝記や評論を執筆する。故郷・島原の「手延そうめん」業界の活性化にも貢献。
五十嵐 幸雄(いがらし さちお、1931年10月22日 - … 五十嵐 幸雄(いがらし さちお、1931年10月22日 - )は、日本の経営者。新潟日報社社長を務めた。 新潟県出身。1954年に早稲田大学商学部を卒業し、同年に新潟日報社に入社した。1988年に取締役に就任し、1992年に常務、1994年に専務を経て、1995年1月には社長に就任。2003年1月に取締役相談役、2004年1月から相談役を務めた。新潟放送で取締役と監査役も務めた。 2005年11月に旭日中綬章を受章。
佐藤 毅(さとう つよし、1931年〈昭和6年〉10月6日 … 佐藤 毅(さとう つよし、1931年〈昭和6年〉10月6日 - 2022年〈令和4年〉1月13日)は、日本の新聞記者、実業家、ジャーナリスト。岐阜県美濃市神洞(出生当時は武儀郡下牧村神洞)出身。中日新聞東京本社編集局長、中日新聞社相談役。 1995年(平成7年)9月から2001年(平成11年)10月まで中日ドラゴンズの5代目球団代表取締役社長を務めた。2022年1月13日、自宅のあった岐阜県岐阜市のビルで発生した火災により死亡した(90歳没)。 1931年(昭和6年)10月6日、岐阜県美濃市で出生した。出身地は美濃市立神洞小学校区であり、少年時代に神洞で過ごした思い出についても語っている。 日中戦争が始まった翌年の1938年(昭和13年)に小学校に入学、4年生だった1941年(昭和16年)に日本は太平洋戦争に突入した。
寺澤 芳男(てらさわ よしお、1931年10月3日 - )は… 寺澤 芳男(てらさわ よしお、1931年10月3日 - )は、日本の実業家、政治家。 野村證券副社長、ローンスタージャパン会長、東京スター銀行会長、多数国間投資保証機関長官(初代)、参議院議員(1期)、経済企画庁長官(第49代)、参議院外務委員長等を歴任した。 栃木県佐野市生まれ。早稲田大学高等学院、早稲田大学政治経済学部卒業。 大学卒業後、野村證券に入社。入社後、フルブライト奨学生としてアメリカ合衆国ペンシルベニア大学大学院に留学し、ウォートン・スクールで経営学修士(MBA)を取得した。帰国後、野村證券外国部次長を経て、1968年にニューヨーク支店長に就任。翌1969年、ニューヨーク支店は現地法人格を有する米国野村證券(Nomura Securities International Inc.)に再編され、寺澤は同社の初代代表取締役社長に就任した。