田辺 正男(たなべ まさお、1909年8月28日 - 200… 田辺 正男(たなべ まさお、1909年8月28日 - 2002年4月17日)は、日本の国文学者・国語学者・教育者。学位は、文学博士(國學院大学・1961年)。國學院大学名誉教授、元国学院女子短期大学初代学長。三重県亀山市生まれ。東京都育ち。田邊正男とも表記される。 国語学者として中学校・高等学校の多くの国語教科書・古文教科書・指導要領の策定に関わった この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
相磯 貞三(あいそ ていぞう、1908年3月28日 - 19… 相磯 貞三(あいそ ていぞう、1908年3月28日 - 1960年4月13日)は、日本の国文学者。 静岡県出身。國學院大學文学部国文科卒。1960年「記紀歌謡論」で國學院大学文学博士。慶應義塾大学文学部教授。52歳で死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
折口 春洋(おりくち はるみ、旧姓: 藤井、1907年2月2… 折口 春洋(おりくち はるみ、旧姓: 藤井、1907年2月28日 - 1945年3月19日)は、日本の国文学者、歌人。折口信夫の門弟、養嗣子。國學院大學教授。最終階級は陸軍中尉。 1907年(明治40年)2月28日、石川県羽咋郡一ノ宮村一ノ宮寺家千五十七番地(現・羽咋市)に藤井升義の四男として生まれる。 1913年(大正2年)4月、一ノ宮小学校に入学。1919年(大正8年)4月、金沢市少将町高等小学校に転じる。長兄・次兄と共に、同村の老婦をつけて、早くから遊学させられた。1920年(大正9年)4月、石川県立金沢第一中学校(現・石川県立金沢泉丘高等学校)入学。 1925年(大正14年)4月、國學院大學予科入学。
浅野 信(あさの しん、1905年〈明治38年〉12月11日… 浅野 信(あさの しん、1905年〈明治38年〉12月11日 - 1984年〈昭和59年〉11月16日)は、日本の国語学者・国文学者。文学博士。和洋女子大学教授、國學院大學講師。本名は浅野信(のぶ)。 1905年(明治38年)、栃木県に生まれる。1929年(昭和4年)、國學院大學卒。松下文法の松下大三郎に学んだ。浅野の文法論も浅野文法とも言われ、「国語学・国文学の泰斗」とされ、文法学のみならず、すぐれた俳諧文芸の研究者としても評価された。1958年(昭和33年)3月、「切字の研究」によって國學院大學より文学博士号を授与される。 著書として、『切字の研究』のほか、『音韻上より見たる俳諧文法論』『日本文法辞典』『日本文法文章論』『日本文法語法論』『日本文法文体論』『日本文法発想論』『文法と文学』『俳諧の語意と文法』など。
高崎 正秀(たかさき まさひで、1901年10月16日 - … 高崎 正秀(たかさき まさひで、1901年10月16日 - 1982年3月2日)は、富山県生まれの国文学者、万葉学者、歌人。國學院大學名誉教授。國學院大學栃木短期大学名誉学長。文学博士。 折口信夫に師事(著書『折口学への招待』(桜楓社)がある)、折口信夫の五博士のうちの一人である。著作は『高崎正秀著作集』(桜楓社、全8巻、1971年)にまとめられている。
今井 福治郎(いまい ふくじろう、1901年7月2日 - 1… 今井 福治郎(いまい ふくじろう、1901年7月2日 - 1968年1月23日)は、歌人、国文学者。 山梨県甲府市生まれ。号・白水。1927年ころから作歌。1935年に國學院大學文学部国文科を卒業。1961年「万葉集の地名と伝承」で國學院大學文学博士。和洋女子大学教授。
藤野 岩友(ふじの いわとも、1898年11月14日 - 1… 藤野 岩友(ふじの いわとも、1898年11月14日 - 1984年5月28日)は、古典中国文学者。國學院大學名誉教授。文学博士。折口信夫の五博士のうちの一人である。 楚辞の研究で知られ、主著は『巫系文学論』、『中国の文学と礼俗』など。漢文学者として『角川漢和中辞典』など漢和辞典や漢文教科書の編さんを担当した。 息子は幻想画家の藤野一友(別名義で中川彩子)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
折口 信夫(おりくち しのぶ〈のぶを〉、1887年〈明治20… 折口 信夫(おりくち しのぶ〈のぶを〉、1887年〈明治20年〉2月11日 - 1953年〈昭和28年〉9月3日)は、日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。 折口の成し遂げた研究は、「折口学」と総称されている。柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築いた。みずからの顔の青痣(あざ)をもじって、靄遠渓(あい・えんけい=青インク、「靄煙渓」とも)と名乗ったこともある。 1887年2月11日、大阪府西成郡木津村(現:大阪市浪速区敷津西1丁目・鷗町公園)に父秀太郎、母こうの四男として生まれた。信夫の祖父の造酒之介が、飛鳥坐神社の社家の出身ということもあり、終生、折口はそれを自慢していた(養子なので直接血縁はないと言われている)。
武田 祐吉(たけだ ゆうきち、1886年5月5日 - 195… 武田 祐吉(たけだ ゆうきち、1886年5月5日 - 1958年3月29日)は、大正・昭和期の日本の国文学者(上代文学)。万葉集や古事記の研究で業績がある。元國學院大學教授。日本学士院賞受賞。 1886年(明治19年)、東京市日本橋区(現・東京都中央区)で生まれた。幼少期は大阪で育ち、大阪府第五尋常小学校(現 天王寺中学)に入学。同級生に折口信夫・岩橋小弥太・西田直二郎がいた。1908年(明治41年)國學院大學に入学し、三矢重松に師事した。 1913年(大正2年)に國學院大学を卒業。翌年、小田原中学校教諭となった。1916年(大正5年)に退職し、東京帝国大学において、佐佐木信綱の『校本万葉集』編纂に従事する。
和田 信二郎(わだ しんじろう、1873年12月 - 195… 和田 信二郎(わだ しんじろう、1873年12月 - 1950年8月29日)は、日本の国文学者・文部官僚。 若狭国小浜藩士・和田義比の次男。弟は和田光石。父の弟は和田維四郎、その子で従弟に推理作家の大坪砂男がいる。妹の夫は正木直彦。和田謹吾は五男。1891年東京英語学校、国語伝習所卒。1895年國學院卒。芳賀矢一に師事。奈良県立第一中学校(現奈良県立郡山高等学校)に赴任、のち津に移り、古事類苑編纂部に勤める。1903年文部省に入り、中学校高等学校教科書編纂官。1943年退任。
三矢 重松(みつや しげまつ、明治4年11月29日(1872… 三矢 重松(みつや しげまつ、明治4年11月29日(1872年1月9日) - 大正12年(1923年)7月18日)は、日本の国語学者・国文学者。学位は文学博士。國學院大學教授。 折口信夫の師。弟に三矢宮松がいる。いわゆる「三矢文法」を築き、「最後の国学者」と呼ばれる壮烈な学風で知られる。 1872年(明治4年)1月9日、酒田県田川郡鶴岡大字二百人町(現・山形県鶴岡市)で生まれた。父・三矢維顕、母・町子の二男。実家は代々庄内藩に使えた士族の家で、祖父の静は藩校の典学を勤めた人物であった。1877年(明治10年)、鶴岡朝暘学校に入学。朝暘学校卒業後、西田川郡中学校を経て山形県尋常中学校に転入。在学中、中台直矢、角田俊次について漢学を学び、庄内英学会に加わって英語を身につけた。