スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
高安 奈緒子(たかやす なおこ、1992年〈平成4年〉11月… 高安 奈緒子(たかやす なおこ、1992年〈平成4年〉11月22日 - )は、日本の気象キャスター、気象予報士、防災士。株式会社ウェザーマップ所属。愛称は「なおちゃん」「なおこーん」。 ウェザーニューズ所属当時は、旧姓の「角田」(かくた)名義で活動していた。 1992年11月22日、奈良県橿原市に生まれる。奈良県立郡山高等学校、大阪教育大学教育学部(学校教育教員養成課程小中教育専攻・国語教育コース)卒業。 大学在学中は橿原市の観光親善大使『さらら姫』として活動。卒業後は大阪市梅田の企業で営業員として勤務。 2016年に行われた第10期ウェザーニュースキャスターオーディションに応募し、最終選考に選出。
福本 義久(ふくもと よしひさ、1990年6月3日 - )は… 福本 義久(ふくもと よしひさ、1990年6月3日 - )は、中京テレビ放送 (CTV) のアナウンサー。 元北海道文化放送(uhb)アナウンサー、および独立リーグでプレーした元プロ野球選手でもある。 奈良県出身。身長188cm。奈良県立郡山高等学校、立教大学社会学部メディア学科卒業後、2014年に北海道文化放送に入社。 2024年3月末をもって北海道文化放送退社を発表。 2024年4月、中京テレビ放送入社を発表。 郡山高等学校時代はクリーンナップを務め、2年時に秋季近畿大会ベスト8。 3年生時に奈良県大会準決勝で奈良大学附属高等学校に敗れる。 関西の私大への推薦入学が決まっていたが、県大会準決勝にて左足首の靱帯を切断。
荻野 貴司(おぎの たかし、1985年10月21日 - )は… 荻野 貴司(おぎの たかし、1985年10月21日 - )は、奈良県高市郡明日香村出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。現在は千葉ロッテマリーンズに所属。
染田 賢作(そめだ けんさく、1982年6月21日 - )は… 染田 賢作(そめだ けんさく、1982年6月21日 - )は、奈良県宇陀市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、高校の教諭。
中本 真人(なかもと まさと、1981年5月11日 - )は… 中本 真人(なかもと まさと、1981年5月11日 - )は、日本の俳人、国文学者、芸能史学者。博士(文学)(慶應義塾大学)。新潟大学人文学部准教授。専門は、宮廷の御神楽を中心とする古代中世芸能史の研究。
中村 泰広(なかむら やすひろ、1978年9月19日 - )… 中村 泰広(なかむら やすひろ、1978年9月19日 - )は、奈良県橿原市出身の元プロ野球選手(投手)。
宮越 徹(みやこし あきら、1978年4月7日 - )は、奈… 宮越 徹(みやこし あきら、1978年4月7日 - )は、奈良県奈良市出身の元プロ野球選手(投手)。
岩本 計介(いわもと けいすけ、1976年1月22日 - )… 岩本 計介(いわもと けいすけ、1976年1月22日 - )は、朝日放送テレビ (ABC)所属のアナウンサー。 奈良県桜井市出身。愛称は「ガンちゃん」。実家は稲作農業を営んでいる。 桜井市立桜井中学校・奈良県立郡山高等学校を経て、京都大学法学部へ進学。大学入試センター試験では、数学で満点を取ったという。中学校ではバレーボール部、高校ではハンドボール部、大学ではアメリカンフットボールの強豪・京都大学ギャングスターズに所属。ポジションはクォーターバックで、背番号は10であった。京都大学法学部時代の同級生に宇治原史規(ロザン)がいる。 大学卒業後の2000年に、アナウンサーとして朝日放送に入社。同期入社は小寺右子。
テリー植田(てりー・うえだ 1971年12月27日)は、日本… テリー植田(てりー・うえだ 1971年12月27日)は、日本のイベントプロデューサー。ライブイベントホール東京カルチャーカルチャー勤務。サブカルから水族館、自治体イベントまで幅広くプロデュースしている。日本全国21都市で開催されている本の交換会「ブクブク交換」の創案者・主宰者でもある。 奈良県桜井市出身。血液型はO型。奈良県立郡山高等学校卒。新聞記者を志して同志社大学新聞学科を目指すが不合格になり、大阪のCM制作を学ぶ専門学校に進む。関西の制作会社でCM制作に携わり、3年後に上京。音楽ライターやDJのかたわら、ロフトプラスワンの店長の紹介で東京カルチャーカルチャーの立ち上げに参画する。 実家は三輪素麺の製麺所であり、ソーメン二郎というペンネームで、日本のそうめん文化の継承発展のための活動も行なっている。
田中 良(たなか りょう、1970年- )はMBSメディアホ… 田中 良(たなか りょう、1970年- )はMBSメディアホールディングスビジネス創造局エキスパート(部長職)。 奈良県奈良市出身。奈良県立郡山高等学校を経て、1995年に大阪大学工学部卒業後、毎日放送(MBS)へ入社。同期には報道局記者の橋本佐与子がいる。 東京支社へ異動し、数々のテレビ番組のディレクターを経験。その後本社へ戻り、『痛快!明石家電視台』の演出を担当した後、再び東京支社に異動し数々の番組チーフプロデューサー、プロデューサーを担当、報道局所属のプロデューサーを経て、現在に至る。
上田 假奈代(うえだ かなよ、本名:山田仮奈代、 1969年… 上田 假奈代(うえだ かなよ、本名:山田仮奈代、 1969年12月1日 - )は、奈良県吉野郡出身の女流詩人、NPO法人「こえとことばとこころの部屋」(ココルーム)代表。大阪市立大学都市研究プラザ研究員。2013年からは大阪府と大阪市の文化芸術振興を協議・評価する第三者機関「アーツカウンシル」の世話人を務めている。 奈良県吉野郡生まれ。父親は銀行員、母親は詩人であり、3歳のころから母親とともに詩作を始めた。奈良県立郡山高等学校在学時にはNHK教育のYOUにレギュラー出演し、写真家橋口譲二の写真集『十七歳の地図』に掲載された。1988年には京都芸術短期大学ビジュアルデザイン科に入学し、在学中には朝日ジャーナルの表紙に掲載されたことがある。
辰巳 清(たつみ きよし、1968年 - )は、日本のシアタ… 辰巳 清(たつみ きよし、1968年 - )は、日本のシアタープロデューサー、アートプロデューサー 。アミューズ所属。 布文化と浮世絵の美術館「アミューズミュージアム」(東京都台東区浅草)館長。 1968年、奈良県生まれ。 奈良県立郡山高等学校、同志社大学商学部卒業後、ブラジル留学を経て、1992年4月、株式会社アミューズ入社。 主に音楽・演劇の公演制作・海外ミュージカルの招聘興行などアートマネジメント・舞台制作全般を担当。爆風スランプのマネージャーも担当。 その後、アミューズを退職するも、2005年の10月に再入社する。 2009年、アミューズミュージアム開館とともに館長就任。館内運営とキュレーションを担当。
藤沢 久美(ふじさわ くみ、1967年3月15日 - )は、… 藤沢 久美(ふじさわ くみ、1967年3月15日 - )は、日本の実業家、経済評論家、キャスター。ソフィアバンク代表、社会起業家フォーラム副代表、人を大切にする経営学会副会長、Linkers株式会社戦略顧問、トヨタ自動車取締役。その他に、一般財団法人投資信託協会理事、一般社団法人日本証券業協会理事、株式会社静岡銀行取締役、豊田通商株式会社取締役、株式会社サイネックス取締役、株式会社クリーク・アンド・リバー取締役、株式会社CAMPFIRE取締役を務める。 トレンダーズ株式会社監査役、シンメトリー・ジャパン株式会社取締役、株式会社東日本大震災事業者再生支援機構取締役、ミュージックセキュリティーズ株式会社監査役、法政大学大学院(ビジネススクールイノベーションマネジメント研究科)客員教授などを歴任した。
山城 むつみ(やましろ-、男性、1960年9月24日-)は日… 山城 むつみ(やましろ-、男性、1960年9月24日-)は日本の文芸評論家。本名山城康治。東海大学文化社会学部文芸創作学科教授。 大阪府生まれ。奈良県立郡山高等学校卒業。大阪外国語大学外国語学部ロシア語学科卒業。大学生時代には法橋和彦から教えを受ける。 「小林批評のクリティカル・ポイント」(『群像』1992年12月号)で第35回群像新人文学賞評論部門受賞。 1995年3月、最初の本『文学のプログラム』を刊行。 『文學界』2004年2月号より不定期連載「ドストエフスキー」を開始。「ドストエフスキー〔2〕」(2004年7月号)、「ドストエフスキー〔3〕」(2005年12月号)、「ドストエフスキー〔4〕」(2007年3月号)、「ドストエフスキー〔4〕承前」(2007年4月号)。
米村 理(よねむら おさむ、1959年4月3日 - )は、奈… 米村 理(よねむら おさむ、1959年4月3日 - )は、奈良県桜井市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。
狭川 真一(さがわ しんいち、1959年 - )は、日本の考… 狭川 真一(さがわ しんいち、1959年 - )は、日本の考古学者。大阪大谷大学文学部歴史文化学科 特任教授。(公財)大阪府文化財センター理事長。 古代の墳墓研究や都市論を研究の中心としているが、最近は中近世の石塔研究を墳墓論に絡めて行っている。また、古代の磨崖仏を三次元計測して当初の姿を復元したり、改変されたりした歴史を探求している。 奈良県奈良市に生まれる。奈良県立郡山高等学校を卒業後[要出典]、奈良大学文学部文化財学科に入学。 同学を卒業後、太宰府市教育委員会技師(文化財専門職)を経て、1999年に元興寺文化財研究所に研究員として配属され、2020年まで勤務。2009年、「中世墓の変遷と火葬の受容」で博士(文学)(奈良大学)の学位を取得。
河野 康弘(こうの やすひろ、1953年11月13日 - )… 河野 康弘(こうの やすひろ、1953年11月13日 - )は、日本のジャズピアニスト。奈良県生駒市出身、奈良県立郡山高等学校卒業、大阪芸術大学芸術学部中退。 大学中退後、矢沢永吉のバックバンド、中村雅俊の伴奏などを務める。 1983年 ジャズピアニストとしてアルバム「ピース」河野康弘トリオ+1でデビュー。 1988年 リチャード・デイビス(B)とツアー。 1991年 湾岸戦争をきっかけに平和と環境保護をテーマに活動をはじめ組曲「四万十川」発表。 湾岸戦争をきっかけに、「ジャズ」というジャンルにとらわれず、スタンダードから童謡まで広く扱うようになる。 1992年 約450万台のピアノが眠っていることを知り「冬眠ピアノお目覚めコンサート」開始。
福田 功(ふくだ いさお、1953年6月28日 - )は、奈… 福田 功(ふくだ いさお、1953年6月28日 - )は、奈良県天理市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ、解説者。現在は東北楽天ゴールデンイーグルスチーム統括本部スカウト&ディベロップメント部副部長を務める。
綾田 俊樹(あやた としき、1950年〈昭和25年〉6月13… 綾田 俊樹(あやた としき、1950年〈昭和25年〉6月13日 - )は、日本の俳優、演出家。奈良県出身。奈良県立郡山高等学校卒業、明治大学文学部卒業。ノックアウト所属。劇団東京乾電池の結成メンバー。 オンシアター自由劇場を経て、柄本明やベンガルらと劇団東京乾電池を結成。 バラエティー番組にはほとんど出演しないが、短期間ながらテレビ朝日の深夜番組『グッドモーニング』で大島智子とレギュラー出演していた。
辻 良樹(つじ よしき、1944年3月25日 - )は、書家… 辻 良樹(つじ よしき、1944年3月25日 - )は、書家、日本の随筆家。 奈良県天理市生まれ。1962年に、奈良県立郡山高等学校普通科卒業。大井証券(株)本社電子計算課入社(和光証券、新光証券、現在は、みずほ証券)。 1970年に、円満退社(脱サラ)。1990年に、共同産業(株)専務取締役 円満退社。システムセイファ(株)設立。 その間、趣味が昂じて「ことば&書」活動を行う。個展、講演、講座などを精力的に行う。2002年に、長兄(上場会社トップ)の急逝を機に、「ことばは命」を出版。2008年に、システムセイファ(株)を後進に移譲。「ことば&書」活動に専念し現在に至る。 「ことば&書のふれあい展」を過去60回以上実施 一心寺南会所ギャラリー(大阪府)朝日新聞本社アサコムホール(大阪府)歯ART美術館(香川県)レストランTOKYO(ウクライナ キーウ)寿ファーマシー(兵庫県)常設コーナー サンケイ新聞/山陽新聞/伊勢新聞 他多数
茨木 和生(いばらき かずお、1939年1月11日 - 20… 茨木 和生(いばらき かずお、1939年1月11日 - 2025年12月23日)は、奈良県出身の俳人。本名は和男。 奈良県生駒郡郡山町(現・大和郡山市)生まれ。奈良県立郡山高等学校、大阪市立大学文学部卒業後、高槻中学校・高等学校教諭(古文担当)を長く勤めた。 高校時代の1956年、創刊したばかりの「運河」に入会し右城暮石に師事。また暮石の紹介で「天狼」に入会し山口誓子にも師事、天狼青年句会で指導を受ける。1986年、「運河」の「運河集」選者。1991年、暮石から継承し「運河」主宰。1997年、『西の季語物語』により第11回俳人協会評論賞、2002年、句集『往馬』により第41回俳人協会賞、2014年、句集『薬喰』により第13回俳句四季大賞を受賞。
森本 達幸(もりもと たつゆき、1934年11月6日 - )… 森本 達幸(もりもと たつゆき、1934年11月6日 - )は、日本の高校野球指導者。47年間(連続)、奈良県立郡山高等学校の野球部監督を務めたことで知られる。現役時代は投手。左利き。
髙田 多喜男(たかだ たきお、1929年〈昭和4年〉11月1… 髙田 多喜男(たかだ たきお、1929年〈昭和4年〉11月13日 - )は、大阪府大阪市北区生まれ、奈良県生駒市出身の日本の実業家。近鉄百貨店副社長として阿倍野本店リニューアルを成功させ、京都近鉄百貨店社長として同社京都店増床にかかわった。 1929年(昭和4年)11月13日、大阪府大阪市北区生まれ。物心つく前に父を亡くした後に奈良県生駒市へ移り住み、母・リウに女手一つで育てられた。 旧制郡山中学に通学し、校舎の1階で乾電池製造をして働き、2階で勉強する生活を送っていた15歳の時に太平洋戦争の終戦を迎える。海軍兵学校に進学すると決めていた髙田は涙が出てきたという。 髙田は京都大学法学部へ入学し、下宿せず生駒の自宅から通学していた。
東中 光雄(ひがしなか みつお、1924年7月23日 - 2… 東中 光雄(ひがしなか みつお、1924年7月23日 - 2014年8月7日)は、日本の元政治家。日本共産党所属の衆議院議員(日本共産党中央委員会委員)。弁護士(大阪弁護士会)。
青山 茂(あおやま しげる、1924年5月9日 - 2013… 青山 茂(あおやま しげる、1924年5月9日 - 2013年11月6日)は、日本の新聞記者、評論家。帝塚山短期大学名誉教授。専門は日本文化史。 大阪府出身。旧制郡山中学校、旧制松山高等学校文科卒、1948年京都帝国大学法学部卒。1950年に毎日新聞社に入社し、奈良支局で11年間美術文化担当記者。大阪本社学芸部副部長、編集局部長を経て退社。1976年帝塚山短期大学教授。1995年定年、名誉教授。古都調査保存協力会長、奈良国立博物館評議員、飛鳥資料館運営協議会長。奈良学を提唱した。 2013年11月6日、肺炎のため死去。89歳没。
高田 好胤(たかだ こういん、1924年(大正13年)3月3… 高田 好胤(たかだ こういん、1924年(大正13年)3月30日 - 1998年(平成10年)6月22日)は、法相宗の僧。薬師寺元管主。法相宗管長。分かりやすい法話により「話の面白いお坊さん」、「究極の語りのエンタテイナー」とも呼ばれ、そこから百万巻写経勧進の道を切り開いて金堂、西塔など薬師寺の伽藍の復興に道筋をつけるなど、薬師寺の再生に生涯をささげた。 大阪市出身。俗名は高田好一。裕福な家庭に生まれたが、11歳のとき証券会社勤務の父を肺結核で失い困窮した。母方の実家は東大寺龍蔵院で、知人だった薬師寺の管主橋本凝胤が弟子として好胤を引き取った。凝胤の教育は厳しかった。幼少期、友人宅に呼ばれて遊びに行ったとき、レコードで浪曲の「清水港は鬼より怖い、大政・小政の声がする」というくだりを耳にして、薬師寺にはもっと怖い鬼(橋本凝胤)がいると思ったという。
今井 凌雪(いまい りょうせつ、本名:今井 潤一(いまい じ… 今井 凌雪(いまい りょうせつ、本名:今井 潤一(いまい じゅんいち)、1922年〈大正11年〉12月19日 - 2011年〈平成23年〉7月26日)は、日本の書家。筑波大学名誉教授。書法研究雪心会会長。「読売書法会」常任総務。社団法人「日展」参事。社団法人「日本書芸院」名誉顧問。「國際書道連盟」顧問。 奈良県奈良市生まれ。郡山中学(現奈良県立郡山高等学校)、天理語学専門学校(現天理大学外国語学部)卒業後、駸々堂入社。1949年立命館大学法文学部経済学科卒業。中谷釜雙、辻本史邑に師事。 東京教育大学、筑波大学、大東文化大学で教授、大東文化大学書道文化センター所長を歴任、1988年、大東文化大学書道研究所初代所長(1991年まで)に就任した。
堀内 俊夫(ほりうち としお、1918年2月16日 - 20… 堀内 俊夫(ほりうち としお、1918年2月16日 - 2009年10月26日)は、日本の政治家。環境庁長官(第19代)、参議院議員(3期)、奈良県天理市長(第3代)。 奈良県天理市生まれ。1938年、奈良師範学校(現奈良教育大学)専攻科卒業。 1966年、奈良県天理市長に初当選。天理市長在任中は近畿市長会会長も務める。1975年秋の褒章で県議会議員や市長として公共の福祉に奉仕し地方自治の発展に貢献したとして藍綬褒章受章。1976年、参議院奈良県選挙区補欠選挙に自由民主党公認で立候補し、当選。以後参議院議員を3期務める。1982年、参議院文教委員長に就任。1987年、竹下内閣で環境庁長官に任命される。
吉本伊信(よしもと いしん、1916年(大正5年)5月25日… 吉本伊信(よしもと いしん、1916年(大正5年)5月25日 - 1988年(昭和63年)8月1日)は、内観法(内観療法)の創始者。奈良県大和郡山市生まれ。奈良県立郡山園芸学校(現奈良県立郡山高等学校)卒。実業家出身で、浄土真宗木辺派の僧侶、刑務所の教誨師、篤志面接委員としても活躍した。 内観法は精神医学や心身医学に応用され、森田療法と並んで代表的な日本製の精神療法(心理療法)として知られる。なお、白隠の内観法と区別して吉本内観法と呼ばれることもある。 吉本の創始した内観法(単に内観とも)とは次のようなものをさす。 集中内観と日常内観の2つの段階に分けられる。 集中内観は研修所や病院などの静かな部屋に一週間こもり、外界とのやり取りを制限し、自分とかかわりの深い他者(特に母親が重視される)に対して自分がどうであったかを、次の三つの観点から調べるものである。
大西 鐵之祐(おおにし てつのすけ、1916年4月7日 - … 大西 鐵之祐(おおにし てつのすけ、1916年4月7日 - 1995年9月19日)は、元早稲田大学教授。大西鉄之祐とも。元ラグビー日本代表監督・早稲田大学ラグビー部監督。奈良・郡山中学、早稲田大学卒業。奈良県奈良市出身。 早大選手時代のポジションはフランカー。卒業後は東芝に就職するも兵役に就き終戦を迎える。戦後、早大職員から教授へ。後に早大ラグビー部監督に就任する。兄の栄造も早大の選手・監督だった。 1950年度シーズンより早大監督に就任。以後5シーズン監督を務め、1950年、1952年、1953年の各年度において東西学生ラグビーフットボール対抗王座決定戦に勝利し、『全国制覇』をもたらした。また、この第1期監督時代に優勝時に「荒ぶる」を歌唱する伝統が始まった。
大西鐡之祐(おおにしてつのすけ、1916年4月7日 - 19… 大西鐡之祐(おおにしてつのすけ、1916年4月7日 - 1995年9月19日)は元早稲田大学教授。元ラグビー日本代表監督・早稲田大学ラグビー部監督。奈良・郡山中学、早稲田大学卒業。奈良県奈良市出身。
中井 利之祐(なかい りのすけ、1911年〈明治44年〉7月… 中井 利之祐(なかい りのすけ、1911年〈明治44年〉7月17日 - 没年不明)は、日本の実業家。旧姓・中川。 奈良県・中川亀太郎の三男。1929年、郡山中学校を卒業。中井製膠所経営、康徳化学工業勤務を経て1948年に浪華化学工業を設立、社長に就任する。 浪華化学工業、朝日化学産業各社長、野洲化学工業取締役、大阪膠質ゼラチン工業協同組合、飛島会各理事長、日本にかわゼラチン工業組合副理事長、大阪同和事業協議会副会長などをつとめる。 また民生委員である。 趣味は読書。宗教は真宗。住所は大阪市東淀川区飛島町(現・東中島)。
賀川 滋子(かがわ しげこ、1911年〈明治44年〉5月28… 賀川 滋子(かがわ しげこ、1911年〈明治44年〉5月28日 - )は、日本の産婦人科医、内科医、スーパーセンテナリアン。奈良県大和郡山市在住の長寿の女性。 江戸時代から続く医者の家の生まれ。93歳で死去した産婦人科医の叔父は80歳を過ぎても診察を行っていた。 郡山高等女子学校(現・奈良県立郡山高校)卒業を経て、1934年(昭和9年)3月 、大阪女子高等医学専門学校(現:関西医科大学)卒業。1934年(昭和9年)4月からは大阪市立南市民病院(現:大阪公立大学医学部附属病院)産婦人科で勤務、1936年(昭和11年)4月からは同病院内科で勤務した。1937年(昭和12年)7月に開業を果たした。 太平洋戦争中は大阪市内の病院にも勤務し、86歳まで現役の医師として勤めた。
井上 信貴男(いのうえ しぎお、1908年(明治41年〉3月… 井上 信貴男(いのうえ しぎお、1908年(明治41年〉3月24日 - 1971年〈昭和46年〉7月25日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、奈良県生駒郡安堵名誉村長、井上繊維工業社長。 奈良県生駒郡安堵村(現安堵町)で生まれる。1927年(昭和2年)奈良県立郡山中学校(現奈良県立郡山高等学校)を卒業。土木請負業を経営し、その他、皮革加工、繊維メリヤス製造、布帛加工、ゴム工業などの分野でも経営を行った。井上工業所顧問、奈良日日新聞社取締役、同会長などを務めた。 1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙で奈良県全県区から出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。この間、民主自由党会計総務を務めた。
川本 忠雄(かわもと ただお、1907年〈明治40年〉8月2… 川本 忠雄(かわもと ただお、1907年〈明治40年〉8月22日 - 没年不明)は、日本の実業家。フジ運動具店社長。華道衡山流三世家元。 奈良県大和郡山市出身。1927年、郡山中学校を卒業する。1932年、立教大学経済学部を卒業する。1937年、応召。1943年、除隊後日本国際航空工業に入社する。1946年、退職する。 1947年、ノダ運動具店に勤務する。1948年、有限に改組、取締役に就任する。1962年、フジ運動具店を設立、社長に就任する。行政相談委員、大和郡山市監査委員を兼任する。郡山信用金庫監事をつとめる。 江戸時代栄えた遊廓の跡、洞泉寺町に木造三階の川本忠雄宅がある。「旧川本家住宅」は2014年10月7日に国の登録有形文化財に登録され、2018年1月10日に「町家物語館」として生まれ変わり、一般公開が開始される。
木村 毅一(きむら きいち、Kiichi Kimura、19… 木村 毅一(きむら きいち、Kiichi Kimura、1904年4月7日 - 1992年7月8日)は、日本の実験原子核物理学者。理学博士(京都帝国大学・論文博士・1940年)。京都大学教授、京都大学原子炉実験所(現・京都大学複合原子力科学研究所)長を経て、京都大学名誉教授。大阪府立放射線中央研究所長、福井工業高等専門学校長も務めた。勲二等旭日重光章受章。 台北帝国大学(現・国立台湾大学)の荒勝文策教授の下でアジアで最初の加速器(コッククロフト・ウォルトン型)の建設を行った(1934年完成)。敗戦直後の1945年11月に進駐軍によって廃棄された京都大学サイクロトロンをのちに再建し(1954年)、大阪府立放射線中央研究所(1959年発足)、京都大学原子炉実験所(1963年発足、現・京都大学複合原子力科学研究所)の建設を行うなど、日本の原子核・放射線研究の場を創ることに貢献した。
杉田 一次(すぎた かずし、1904年〈明治37年〉3月31… 杉田 一次(すぎた かずし、1904年〈明治37年〉3月31日 - 1993年〈平成5年〉4月12日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。陸士37期・陸大44期。最終階級は帝国陸軍では陸軍大佐、陸自では陸上幕僚長たる陸将。第4代陸上幕僚長を務めた。 米国陸軍隊付の経験に加えて在アメリカ大使館駐在武官補佐官の経験から、対米開戦に終始反対し、海軍をも巻き込んで開戦阻止に動いたが上層部を説得することができなかった。第25軍情報参謀としてマレー作戦に従軍、シンガポールの戦い後の降伏交渉において後半から山下奉文将軍の通訳を務める。イギリス軍に対する降伏勧告文を起案した。 ガタルカナル作戦では大本営派遣参謀として現地に入り、第2師団の作戦に関与。
佐藤 井岐雄(さとう いきお、1902年〈明治35年〉11月… 佐藤 井岐雄(さとう いきお、1902年〈明治35年〉11月22日 - 1945年〈昭和20年〉8月11日)は日本の生物学者。サンショウウオを中心とする両生類研究の世界的権威であった。 岐阜県郡上郡奥明方村(現・郡上市)に生まれる。命名の由来は、父の出身地・岐阜県の「岐」と母の出身地福井県の「井」にちなむ。 奈良県の中学を卒業したのち広島高師に入学し長野県の自然誌を研究[要出典]、高師卒業後は長野県で中学校教諭として勤務した。その後旧制広島文理科大学(現在の広島大学)に入学、阿部余四男教授に師事した(のち佐藤は自分が確認した新種のサンショウウオに命名する際、恩師の名にちなみ「アベサンショウウオ」とした)。
石井 庄司(いしい しょうじ、1900年7月15日 - 20… 石井 庄司(いしい しょうじ、1900年7月15日 - 2000年10月5日)は、日本の国文学者、国語教育者、俳人。俳号は「桐陰」。 1900年、奈良県生駒郡で生まれた。1914年、奈良県立郡山中学校を卒業。1918年より郡山中学の英語教師であった原田浜人の指導で俳句を詠み始めた。1920年、東京高等師範学校に入学。東京高等師範学校入学と同時に大塚講話会に入り、児童文化の発展に貢献した。その活躍は「大塚講話会中興の祖」と評された。1924年に卒業して東京高等師範学校助教諭となったが、翌1925年、京都帝国大学文学部国文科に入学。1928年に卒業し、同大学大学院に進んだ。 1929年、東京女子高等師範学校教諭兼教授に就いた。
今西 洋(いまにし ひろし、1897年5月25日 - 195… 今西 洋(いまにし ひろし、1897年5月25日 - 1957年1月9日)は日本の陶芸家。国画会会員。本名:今西末太郎 1897年、奈良県丹波市町(現在の天理市)の茶貿易商今西安太郎の次男として生まれる。 1915年、奈良県立旧制郡山中学(現在の郡山高校)を卒業。在学中より親交のあった大和・安堵村の富本憲吉のもとで教えを受け作陶をはじめる。 その後、長崎県波佐見中尾山に仕事場を構え、九州伊万里ほか全国地名の窯場を遍歴し古陶磁器文様の研究を行い、更に、朝鮮・満州・中国各地の窯場を視察し、独自の作風を打ち立てる。特に古窯からの「くらはんか」系の破片研究に努め、柳宗悦に”今の所今西君ほど實物を澤山見てゐる人は他にないと思ふ。
橋本 凝胤(はしもと ぎょういん、1897年4月28日 - … 橋本 凝胤(はしもと ぎょういん、1897年4月28日 - 1978年3月25日)は、法相宗の僧侶で仏教学者。奈良・薬師寺元管主、法相宗管長。「20世紀最後の怪僧」「昭和の怪僧」の異名を持つ。 奈良県生駒郡平群村(現在の平群町)に生まれる。本名は東丈太郎。法隆寺の佐伯定胤に唯識を学び、その意向で後継者のいなかった薬師寺に入る。生涯肉食妻帯せず、厳格な仏教僧として活躍する。有名な尼僧が訪ねてきても絶対に寺に入れさせず、その手土産にも口をつけなかった。 あるとき弟子の高田好胤がよその家に呼ばれて、レコードで浪曲の「清水港は鬼より怖い、大政・小政の声がする」というくだりを耳にして、薬師寺にはもっと怖い鬼(橋本凝胤)がいると思ったという。
桜田 常久(さくらだ つねひさ、1897年〈明治30年〉1月… 桜田 常久(さくらだ つねひさ、1897年〈明治30年〉1月20日 - 1980年〈昭和55年〉3月25日)は、日本の小説家。並木 宋之介の筆名も持つ。 大阪市生まれ。旧制郡山中学校から第四高等学校を経て、1923年東京帝国大学文学部独文科卒。在学中から同人雑誌に関わり、小説や戯曲を発表、戯作に関心を抱いた。大学では川端康成と同窓であった。郡山中学時代の漢文の先生であった中島田人は作家中島敦の父。 卒業後は大学で教え、ドイツ戯曲を翻訳した。1932年から半農生活を志し東京市町田町に居住。1936年独文科の仲間である豊田三郎、高木卓、高橋義孝、および福田恆存、野口冨士男らと『作家精神』を創刊。1941年、同誌掲載の「平賀源内」で芥川賞(1940年度下半期)を受賞。
桜田 常久(さくらだ つねひさ、1897年1月20日 - 1… 桜田 常久(さくらだ つねひさ、1897年1月20日 - 1980年3月25日)は、日本の小説家。並木宋之介の筆名も持つ。
中川 与之助(なかがわ よのすけ、1894年7月30日 - … 中川 与之助(なかがわ よのすけ、1894年7月30日 - 1968年8月1日)は、日本の経済学者、元京都帝国大学教授。文学博士。ナチス研究により戦後公職追放された。川田順の「老いらくの恋」騒動の当事者の一人。 富山県上新川郡熊野村江本(現:富山市江本)の農家、中川滋次郎・チイ夫妻の次男に生まれる。苦学して特待生で東京高等師範学校に入学、卒業後、奈良県郡山中学校(現・奈良県立郡山高等学校)で教師をしたあと、1924年に京都帝国大学経済学部卒業、大学院に進み、30歳の時に下宿先の娘鈴鹿俊子(17歳)と結婚、一男二女を儲ける。 1928年に大学院を中退して京大講師となり、1930年助教授、1931年から1933年まで文部省の辞令によりドイツ留学、1943年教授。
今村 荒男(いまむら あらお、1887年(明治20年)10月… 今村 荒男(いまむら あらお、1887年(明治20年)10月13日 - 1967年(昭和42年)6月13日)は、日本の内科医学者。学位は、医学博士。大阪大学名誉教授。大阪大学総長。日本学士院会員。文化功労者。 奈良県生駒郡安堵町出身。衆議院議員今村勤三の四男。今村幸男、今村奇男の弟。1912年、東京帝国大学医科大学卒業。東京帝国大学伝染病研究所に入る。1922年、医学博士の学位を取得。1925年、大阪府立医科大学教授に就任。1931年、大阪帝大教授。微生物病研究所長、奈良県立医学専門学校(奈良県立医科大学の前身)初代校長、大阪大学学長を歴任する。1951年、日本学士院会員。1960年、文化功労者。
富本 憲吉(とみもと けんきち、1886年(明治19年)6月… 富本 憲吉(とみもと けんきち、1886年(明治19年)6月5日 - 1963年(昭和38年)6月8日)は、日本の陶芸家。人間国宝、文化勲章受章者。尾竹紅吉は妻。映画監督・テレビ演出者の富本壮吉は長男。 大阪府平群郡安堵村(現・奈良県生駒郡安堵町)の大地主の家に生まれ、幼少より絵を学ぶ。東京美術学校図案科に入学して建築、室内装飾を専攻。在学中にウィリアム・モリスの工芸思想に影響され1908年(明治41年)、卒業前にロンドンへ私費留学(留学中に卒業)。ヴィクトリア&アルバート美術館に日参し、アーツ・アンド・クラフツの作品にふれる。ロンドンで建築家・新家孝正と出会い、写真助手としてインドを巡る。実家から帰国命令が届いたため1910年(明治43年)帰国。
森岡 二朗(もりおか じろう、1886年〈明治19年〉5月1… 森岡 二朗(もりおか じろう、1886年〈明治19年〉5月1日 - 1950年〈昭和25年〉12月20日)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事、台湾総督府総務長官。 森岡万平の二男として奈良県山辺郡丹波(現:天理市)で生まれる。郡山中学、四高を経て、1911年(明治44年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験に合格し内務省に入省。兵庫県警部に任官し警察部保安課に配属された。 1912年(大正元年)10月、兵庫県出石郡長に就任。以後、兵庫県理事官、同県警視、青森県警察部長、神奈川県警察部長、警視庁刑事部長、警視庁官房主事、京都府書記官・内務部長などを歴任。1923年(大正12年)の関東大震災当時は神奈川県警察部長で、大阪府知事、兵庫県知事、千葉県知事、茨城県知事、横須賀鎮守府、横須賀軍港停泊中の艦船および大阪朝日新聞社と大阪毎日新聞社に至急官報で救援を要請した。
駒井 藤平(こまい とうへい、1885年(明治18年)3月2… 駒井 藤平(こまい とうへい、1885年(明治18年)3月21日 - 1967年(昭和42年)1月17日)は、明治末から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(1期)、参議院議員(1期)、奈良県生駒郡南生駒村長。 奈良県平群郡小瀬村(生駒郡南生駒村大字小瀬、生駒町を経て現生駒市)で、酒造業・駒井藤太郎の長男として生まれる。1907年(明治40年)大阪府立農学校(のち大阪獣医畜産専門学校)を卒業した。 帰郷して農事試験場技手兼生駒郡立郡山農学校(現奈良県立郡山高等学校)教諭に就任。その後、家業の酒造業に従事した。南生駒村会議員となり、1925年(大正4年)奈良県会議員に当選。1926年(大正5年)南生駒村長に就任し4期在任した。
川本 増雄(かわもと ますお、1885年〈明治18年〉2月2… 川本 増雄(かわもと ますお、1885年〈明治18年〉2月21日 - 没年不明)は、日本の実業家、政治家。郡山信用金庫専務理事。華道衡山流家元。号は見真斉一舟(けんしんさいいっしゅう)。 奈良県生駒郡郡山町大字洞泉寺町(現・大和郡山市洞泉寺町)に生まれる。川本増蔵の長男。郡山中学校を卒業する。貸座敷業を営む。遊廓改善等に奮闘努力する。 郡山町会議員に7回当選する。郡山信用金庫専務理事、奈良地裁調停委員、司法保護委員、郡山町農業会長をつとめる。 青年時代、非常な運動家で、特に野球の選手として活躍した。趣味は書画、骨董、読書。住所は奈良県生駒郡郡山町大字洞泉寺(現・大和郡山市洞泉寺町)。
黒崎 定三(くろさき ていぞう、1885年(明治18年)2月… 黒崎 定三(くろさき ていぞう、1885年(明治18年)2月16日 - 1948年(昭和23年)7月19日)は、日本の法制官僚、政治家。貴族院議員、法制局長官。 京都府出身。黑崎武右衛門の二男として生まれた。郡山中学、第三高等学校を経て、1911年、東京帝国大学法科大学を卒業。同年12月、文官高等試験に合格。逓信省に入り通信局書記に就任。その後、法制局参事官、内閣恩給局審査官、法制局書記官などを歴任。その他、日独戦役講和準備委員、法制審議会幹事、交通審議会幹事などを務めた。1933年3月、齋藤内閣の法制局長官となり1934年7月まで在任。退任後すぐ同月3日に貴族院勅選議員に任命され、研究会に属し1946年(昭和21年)5月17日まで在任した。