佐々木 拓(ささき たく、1963年10月24日 - )は、… 佐々木 拓(ささき たく、1963年10月24日 - )は、日本の政治家。岩手県陸前高田市長(1期)。元農林水産省官僚。 岩手県陸前高田市出身。陸前高田市立広田小学校、陸前高田市立広田中学校(現・陸前高田市立高田東中学校)、岩手県立高田高等学校を経て、1986年東京水産大学(現東京海洋大学)卒。 同年国家公務員試験(Ⅰ種)合格。農林水産省入省。在ロシア日本大使館一等書記官、農林水産省課長補佐、農林水産大臣政務官秘書官、石川県農林水産部次長、国立研究開発法人水産研究・教育機構経営企画部長、水産庁九州漁業調整事務所長、農林水産省水産庁参事官、水産貿易担当、輸出促進等を担当。 2022年12月、農林水産省を退職。
菅原 茂(すがわら しげる、1958年〈昭和33年〉1月28… 菅原 茂(すがわら しげる、1958年〈昭和33年〉1月28日 - )は、日本の政治家。宮城県気仙沼市長(4期)。 宮城県気仙沼市生まれ。宮城県気仙沼高等学校、東京水産大学水産学部(現・東京海洋大学海洋科学部)卒業。 大学卒業後、株式会社トーメン(現・豊田通商)に入社し、1987年6月から1991年11月までオランダ王国ロッテルダムに駐在。同年12月、トーメンを退社。翌1992年4月から2006年12月まで、株式会社菅長水産に勤務。2007年1月より小野寺五典衆議院議員(自由民主党・宮城県第6区選出)の事務所で勤務し、2009年12月に小野寺の公設第一秘書に就任。 2010年、地元の水産業界や経済界、村井嘉浩宮城県知事らの支援を受け、気仙沼市長選挙に無所属で出馬。
後藤 圭二(ごとう けいじ、1957年〈昭和32年〉6月18… 後藤 圭二(ごとう けいじ、1957年〈昭和32年〉6月18日 - )は、日本の政治家。大阪府吹田市長(3期)。 大阪府吹田市片山町生まれ。吹田市立千里第一小学校、大阪星光学院中学校・高等学校、東京水産大学水産学部卒業。 1980年、吹田市に入庁。 2000年、吹田市職員として初めて、中央省庁(環境庁)に出向。 2014年、道路公園部長を最後に吹田市を退職。長く同市の自治労連の組合員であった。翌2015年4月26日に実施された吹田市長選挙に無所属(自民党および公明党が推薦、日本共産党自主支援)で出馬。現職の井上哲也(大阪維新の会推薦)、元職の阪口善雄(民主党および社民党推薦)、元市議の山口克也らを破り、初当選。
鈴木 善幸(すずき ぜんこう、1911年〈明治44年〉1月1… 鈴木 善幸(すずき ぜんこう、1911年〈明治44年〉1月11日 - 2004年〈平成16年〉7月19日)は、日本の政治家。位階は正二位。勲等は大勲位。 郵政大臣(第15代)、内閣官房長官(第26代)、厚生大臣(第42代)、自由民主党総務会長(第15・17・23代)、農林大臣(第48代)、自由民主党総裁(第10代)、内閣総理大臣(第70代)などを歴任した。 岩手県下閉伊郡山田町で、アワビ、スルメ漁、水産加工業を営む網元の家に生まれた。鈴木家は屋号「黒米屋」と呼ばれる米屋も兼ねていた。父の善五郎は日露戦争に従軍した際の戦傷で漁に出られなくなったこともあり、男手の無かった妻・ヒサの実家の商売を切り盛りしていた。
蜷川 虎三(にながわ とらぞう、1897年2月24日 - 1… 蜷川 虎三(にながわ とらぞう、1897年2月24日 - 1981年2月27日)は、日本の政治家、経済学者、統計学者。初代中小企業庁長官。元京都府知事(1950年 - 1978年)。 東京府東京市深川区深川入船町(現在の東京都江東区木場一丁目)の材木商の家に生まれた。旧制東京府立第三中学(現:東京都立両国高等学校・附属中学校、同学年に正木ひろし(弁護士)がおり、英語教諭だった北昤吉(北一輝の弟)の授業を受ける)、農商務省水産講習所(現:東京海洋大学)卒業後、京都帝国大学経済学部に入学、1923年に卒業。1927年、同助教授となる。当初はマルクス経済学者の河上肇に私淑し、漁業水産経済学を研究していたが、ドイツに留学後、『統計利用に於ける基本問題』で経済学博士号を取得するも教授に昇格するのはずっと遅く1942年(昭和17年)だった。
三浦 覚一(覺一、みうら かくいち、1870年6月26日(明… 三浦 覚一(覺一、みうら かくいち、1870年6月26日(明治3年5月28日)- 1930年(昭和5年)1月31日)は、明治後期から昭和初期の水産技術者、漁業家、政治家。衆議院議員。 豊後国大野郡、のちの大分県大野郡赤嶺村(三重村、三重町を経て現豊後大野市三重町赤嶺)で、三浦喬三の長男として生まれる。1891年(明治24年)法律を学ぶため上京したが、村田保と面会すると日本の水産業振興の重要性を説かれ、水産伝習所(のち東京水産大学、現東京海洋大学)に入学した。1894年(明治27年)水産伝習所を卒業。北海道に渡り水産業の視察、研修を行う。 1896年(明治29年)に帰郷し、大分県庁に入庁して大分県技手、同県水産試験場長、同水産試験業技師、大分県技師、勧業課長などを歴任し、水産業、特に遠洋漁業の振興に尽力した。