坂口 敏之(さかぐち としゆき、1909年3月29日 - 1… 坂口 敏之(さかぐち としゆき、1909年3月29日 - 1999年)は、日本の医師、軍医。 熊本県玉名郡梅林村(現・玉名市)に生まれる。熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校・附属中学校、1927年卒業)を経て、熊本医科大学を卒業した。 1937年7月には上海に派遣され患者輸送部隊の医師として、負傷した兵士を野戦病院から後方へ送る仕事に従事した。太平洋戦争開戦後は軍医として徴兵され、マレー作戦に従軍し、1942年秋まで占領地を移った。 戦後は福岡県大牟田市の三井三池鉱業所病院に勤め、定年退職後に開業医となった。1952年に熊本大学より医学博士号を取得している。1975年には『肥後の子供歳時記』を刊行した。
宮原 道也(みやはら みちや、1907年2月26日 - 没年… 宮原 道也(みやはら みちや、1907年2月26日 - 没年不詳)は、日本の医師、医学者。専門は産婦人科。 熊本県玉名市出身。旧制熊本県立玉名中学校を経て熊本医科大学を卒業した。1933年に熊本医科大学産婦人科教室に入局し、講師や医学専門部の教授を歴任した。この間、1945年10月には論文「副腎の組織呼吸に関する研究」で熊本医科大学から医学博士号を取得した。 戦後の1950年から国立熊本病院の副院長兼産婦人科部長となった。1957年、熊本市内で産婦人科医院を開業した。
岡村 一郎(おかむら いちろう)は日本の医学者、寄生虫学者。… 岡村 一郎(おかむら いちろう)は日本の医学者、寄生虫学者。 熊本県立玉名中学校(1928年卒業)、第五高等学校を経て、熊本医科大学を卒業した。 1942年に熊本医科大学より医学博士号を取得した。 熊本医科大学助教授、熊本医科大学附属医専教授を歴任した。長崎に原子爆弾が投下された際には国の命令で派遣されている。戦後は熊本大学医学部教授となり、寄生虫学を専門とする。 日本学術会議議員なども務めた。熊本大学医学部教授を退官後は名誉教授となり、1980年から熊本女子大学(現。熊本県立大学)の学長を1986年まで務めた。学長在任中の1985年に大学を会場として日本英学史学会全国大会が開催された折「大会会長」となり、その縁で夏目漱石の熊本時代を題材にした文章を学会誌『英学史研究』に寄稿した。
金堀 伸夫(かなぼり のぶお)は、日本の医師、ソングライター… 金堀 伸夫(かなぼり のぶお)は、日本の医師、ソングライター。 宮崎県高鍋に生まれる。熊本県立玉名中学校(1926年卒業)、第五高等学校を経て、熊本医科大学を卒業した。 医師業の傍ら多くの学曲を作詞した。金堀は第五高等学校在学中から作詞を始めていた。五高の寮歌「荒れろ黄煙」をはじめ、熊本に駐屯する第6師団の歌まで幅広く作詞した。また作曲もおこなっており、五高の寮歌「椿花咲く」や複数の学校の校歌、小林市(広域合併以前の旧小林市)の「市民歌」を手がけている。 戦後は、故郷の高鍋で病院を開業する傍ら、コーラス団を結成して病院の2階で練習をおこなった。