スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
三津家 貴也(みつか たかや、1995年8月2日 - )は、… 三津家 貴也(みつか たかや、1995年8月2日 - )は、日本の陸上競技選手・指導者、インフルエンサー、ランニングアドバイザー。熊本県玉名市出身。 熊本県立玉名高等学校で陸上競技(中距離走)を始める。インターハイ800mで6位。 筑波大学(体育専門学群)、大学院(人間総合科学研究科 体育学専攻)でランニングについて研究、学生個人選手権:1500m 6位、学術論文を3本投稿(国内誌1本、国際誌2本)、国際学会発表。 RUNNNING SCIENCE LAB でランニングコーチをしながら、陸上競技選手としても活躍。日本選手権800mに出場、PB:800m 1’50”11、1500m 3’46”33。
有働 佳史(うどう よしふみ、1984年10月28日 - )… 有働 佳史(うどう よしふみ、1984年10月28日 - )は、日本のコマーシャルの企画・演出、ドラマ・映画・舞台の脚本・演出・監督、作詞家、小説家。 熊本県立玉名高等学校を経て、2007年早稲田大学社会科学部卒業。大学在学中にフジテレビ主催「ヤングシナリオ大賞」に初めて書いた脚本を応募し、最終選考に残った事をきっかけに脚本を本格的に書き始める。 映像にも興味を持ち、大学卒業後はCM制作会社「仲畑広告映像所」(現・ドラゴン東京)に入社、制作業務に携わり、その後2012年フリーに転身。現在は、CMの企画・演出、映画・ドラマの脚本・監督を生業としている。
平山 邦彦(ひらやま くにひこ、1975年 - )は日本の中… 平山 邦彦(ひらやま くにひこ、1975年 - )は日本の中国語学者。 熊本県出身。199熊本県立玉名高等学校を経て1998年3月東京外国語大学外国語学部中国語学科卒業。2000年3月東京外国語大学大学院地域文化研究科博士前期課程を修了した。 2000年から2002年にかけて、中国政府奨学金留学生として北京大学へ留学した。 その後、拓殖大学で教鞭をとり、講師、助教授を経て現在は外国語学部の教授である。 また、NHKラジオ「まいにち中国語」の講師も務めた。 主な著書に「口を鍛える中国語作文」などがある。
上原 訓蔵(うえはら くんぞう、1972年没)は日本の教育者… 上原 訓蔵(うえはら くんぞう、1972年没)は日本の教育者、外国語学者。 熊本県に生まれる。熊本県立玉名中学校(1909年卒業)を経て、東京外国語学校(現・東京外国語大学)を卒業した。[要出典] マレー語の第一人者として母校である東京外国語学校の助教授、教授の他、太平洋戦争で大日本帝国陸軍がマレー半島に進出するにあたって陸軍教授となり、陸軍兵士にマレー語の指導をおこなった[要出典]。この時期にはマレー語の教本・事典を複数刊行しており、『標準上原マレー語』(全4巻、晴南社、1942年)は初版各巻1万部という売れ行きを示した。戦争中にはジャワ島で、旧慣習制調査委員やインドネシア語整備委員も務めた。
長谷川 光一(はせがわ こういち、1972年 - )は日本の… 長谷川 光一(はせがわ こういち、1972年 - )は日本の理学者。 熊本県玉名市生まれ。熊本県立玉名高等学校をへて、1995年に広島大学理学部生物学科動物学専攻を卒業。2000年に関西学院大学大学院理学研究科博士後期課程を修了。理学博士。 その後、京都大学再生医学研究所研究員、南カリフォルニア大学細胞・神経科学研究科助教授などを経て、2011年から京都大学iCeMS NCBS-inStemサテライトラボグループ講師、インドNCBS・inStem助教授、2014年からオーストラリアのメルボルン大学医歯学部上級研究員。2022年(令和4年)、クオリプス(Cuorips)入社。
山川 龍雄(やまかわ たつお、1965年10月8日 - )は… 山川 龍雄(やまかわ たつお、1965年10月8日 - )は、日本のジャーナリスト。テレビ東京解説委員。 熊本県立玉名高等学校卒業後、京都大学経済学部に進学。同大学卒業後の1989年に花王に入社。1991年日経BPに転職し、物流雑誌編集スタッフを経て1995年日経ビジネス記者に異動。主に商社を中心として編纂を担当したのち、2004年から2008年の間ニューヨーク支局長。日経ビジネス副編集長、日本経済新聞証券部次長を経て、2011年4月から日経ビジネス編集長、2014年4月から編集委員。2023年10月からテレビ東京解説委員。
中西 紀雄(なかにし のりお、1965年 - )は、日本のテ… 中西 紀雄(なかにし のりお、1965年 - )は、日本のテレビカメラマン、撮影監督である。日本放送協会所属。 1965年熊本県生まれ。1984年、熊本県立玉名高等学校卒。1987年、日本工学院専門学校卒。同年、日本放送協会入局。その後、同局のNHK潜水撮影チームに所属。水中撮影と安全潜水スキルを習得した。NHK鹿児島放送局、NHK沖縄放送局、NHK松山放送局、NHK熊本放送局、NHK放送センターなどに勤務。自然番組を中心とした多くのドキュメンタリーを撮影。 同局では水中撮影のカメラマンとして、潜水班のリーダー的役割を務めるなど重要なポジションをまかされている。また自然番組での撮影技術の継承活動や人材育成及び指導にもあたっている。
松川 昭博(まつかわ あきひろ、1962年4月 - )は、日… 松川 昭博(まつかわ あきひろ、1962年4月 - )は、日本の病理学者、医師、医学博士。岡山大学・教授などを務める。専攻は医学(特に実験病理学、免疫学など)。 熊本県出身。熊本県立玉名高等学校卒業。 1987年に、熊本大学医学部医学科を卒業し、同大学で 研修医(整形外科)となる。1993年に同大学院医学研究科を修了した、同医学部助手に任じられる。同年、熊本大学より医学博士号を取得した。 1998年にはアメリカ合衆国のミシガン大学医学部に、主任研究員として留学した。帰国後、2003年に熊本大学医学部講師となり、2004年に大学院医学薬学部助教授に昇任した。 2005年に岡山大学大学院医歯薬学総合研究科教授に就任する。
髙木 太郎(たかき たろう、1961年 - )は、日本の弁護… 髙木 太郎(たかき たろう、1961年 - )は、日本の弁護士。 主な弁護団事件にアスベスト訴訟弁護団や国労弁護団がある。 熊本県立玉名高等学校を経て東京大学法学部を卒業した。その後、1991年に弁護士登録(43期)し、埼玉弁護士会に所属している。2000年から、埼玉弁護士会の研修委員長、2004年から副会長などを歴任した。また、2006年から4年間、さいたま簡易裁判所調停官を務めた。 2010年には関東弁護士会連合会主催のシンポジウム「労働と貧困」の委員長を務めた。 2013年から2年間、日本労働団の幹事長を務め、2021年度には埼玉弁護士会の会長を務めた。
小野 長門(おの ながと、1960年10月26日 - )は、… 小野 長門(おの ながと、1960年10月26日 - )は、日本の金属工学者(工学博士)。崇城大学教授。熊本県玉名市出身。 熊本県立玉名高等学校を経て、防衛大学校に入学。1982年(昭和57年)、防衛大学校理工学部機械工学科を卒業する。 1991年(平成3年)6月、東京工業大学大学院理工学研究科金属工学専攻博士課程を修了、工学博士を授与される。1991年から防衛庁技術研究本部の研究員を務めた。 1992年(平成4年)10月から熊本工業大学(2000年に崇城大学に改称)工学部機械工学科で助手を勤める。その後、講師、助教授などを歴任し、2005年(平成17年)4月より崇城大学工学部機械工学科教授。 2011年(平成23年)に崇城大学の工学部長に就任、2018年(平成30年)からは研究担当の副学長も兼任した。
澤田 洋典(さわだ ひろのり、1956年 - )は、日本の外… 澤田 洋典(さわだ ひろのり、1956年 - )は、日本の外交官。アンゴラ国駐箚特命全権大使を経て、北マケドニア国駐箚特命全権大使。 熊本県出身。熊本県立玉名高等学校(第27回卒業)を経て、1980年東京外国語大学外国語学部ポルトガル・ブラジル語学科卒業、外務省入省。在ブラジル日本国大使館参事官を経て、2010年シカゴ領事。2015年外務省人事課調査官。2016年から駐アンゴラ特命全権大使を務めた。2020年駐北マケドニア特命全権大使。2023年1月依願免職。
関島 秀樹(せきじま ひでき、1954年11月3日 - )は… 関島 秀樹(せきじま ひでき、1954年11月3日 - )は、日本のシンガーソングライター。1979年「あじさい寺」でテイチクよりレコードデビュー。東芝日曜劇場で俳優デビュー。故ばってん荒川、島津亜矢が歌う「帰らんちゃよか」(2015年『第66回NHK紅白歌合戦』歌唱曲)を作詞作曲。熊本県荒尾市出身。あらお観光大使。滋賀県大津市在住。2017.10.1 福島県双葉郡「広野町夢大使」に任命される。 1979年「あじさい寺」でテイチクよりレコードデビュー。東芝日曜劇場で俳優デビュー。DJ、レポーターなどの経験を重ね、現在は、"もっとやさしくたって生きてゆけるだろう"を信条に、自然や故郷の偉大さ、家族や心のふれあいの大切さなどメッセージを歌に込め、全国で活動を続けるシンガーソングライター。
内村 圭一(うちむら けいいち、1951年 - )は日本の情… 内村 圭一(うちむら けいいち、1951年 - )は日本の情報工学者、専門は図書館情報学や人文社会情報学、社会システム工学など。元熊本大学教授。 熊本県出身。熊本県立玉名高等学校を経て熊本大学工学部を卒業した。その後、東北大学大学院で学び、工学博士号を授与されている。 熊本大学工学部の教員となり、講師や助教授などを歴任後、熊本大学工学部の教授となった。 最終ポストは熊本大学大学院先端科学研究部知能情報工学専攻部門の教授だった。 2017年3月に定年を迎え、熊本大学を退官した。 また、2014年には電子情報通信学会から論文賞を受けている。
瀬口 和義(せぐち かずよし、1946年7月4日 - )は、… 瀬口 和義(せぐち かずよし、1946年7月4日 - )は、日本の理学者(専門は染色化学、有機光科学)。熊本県出身。 熊本県立玉名高等学校を経て、1974年3月、京都大学大学院理学研究科化学専攻博士課程満期退学。 理学博士(京都大学)。専門は有機化学。 1975年4月から武庫川女子大学講師、1992年4月、武庫川女子大学教授。生活環境学部生活環境学科長、生活環境学部長を経て2015年4月、武庫川女子大学副学長。 2018 年 4 月から学長を務めている。
高嵜 哲哉(たかさき てつや、1945年(昭和20年)8月2… 高嵜 哲哉(たかさき てつや、1945年(昭和20年)8月24日 - )は、日本の政治家。熊本県玉名市長(新制、2期)、玉名市長(旧制、2期)、玉名市議会議員(4期)、熊本県市長会長などを歴任した。 現在の熊本県玉名市出身。1964年(昭和39年)3月、熊本県立玉名高等学校卒業。1970年(昭和45年)4月、玉名市青年団協議会会長に就任。1978年(昭和53年)、エンパイアソーイング社長に就任。1985年(昭和60年)1月、玉名青年会議所理事長に就任。 1986年(昭和61年)8月、玉名市議会議員選挙に初当選。以後市議を計4期務める。 1999年(平成11年)10月から旧制の玉名市長を2期務めた。
岡田 尚(おかだ ひさし、1945年1月24日 - )は、日… 岡田 尚(おかだ ひさし、1945年1月24日 - )は、日本の弁護士。 1945年、両親の疎開先である忠清南道天安郡成歓面にて、ともに教員だった両親のもとに生まれる。その後10か月で釜山から博多に引き揚げ、両親の故郷である熊本県玉名郡滑石村で育つ。熊本県立玉名高等学校在学中に法曹界を意識するようになり、1965年に早稲田大学法学部に進学し1969年に卒業。1971年には司法試験に合格した。 1974年に神奈川県横浜市で弁護士登録。1981年3月に理化電機工業が組合と争った事件では、自由法曹団横浜支部から弁護団に加わり、組合員5名の職場復帰に貢献した。また、横浜弁護士会の副会長、日刑連刑事弁護センター事務局長や神奈川労働弁護団会長、「9条神奈川の会」事務局長なども歴任した。
林田 彪(はやしだ たけし、1944年4月4日 - )は、日… 林田 彪(はやしだ たけし、1944年4月4日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(5期)。 熊本県玉名郡長洲町生まれ。長洲町立長洲中学校、熊本県立玉名高等学校を経て、東京農工大学農学部林学科卒業。1967年に建設省入省。1995年10月16日、建設大学校副校長を最後に依願退官[要出典]。 1996年の第41回衆議院議員総選挙に熊本2区から立候補したが、新進党の現職野田毅に敗北し落選。1999年6月、東家嘉幸が体調不良が原因で任期途中で辞職し、本来の比例九州ブロック次点であった渡瀬憲明が1998年11月に死去しており、次々点の宮島大典は一旦当選人として告示を受けたが、既に1998年2月の衆議院長崎4区補欠選挙で当選しており、規定期間内に同職を辞職せず当選権利が喪失となったことから、さらなる次順位の林田が当選人の告示を受け、同年7月6日付で繰上当選となった。
米澤 和彦(よねざわ かずひこ、1943年12月3日 - )… 米澤 和彦(よねざわ かずひこ、1943年12月3日 - )は日本の文学博士。熊本県立大学名誉教授。 熊本県に生まれる。熊本県立玉名高等学校を経て九州大学大学院修了。 1976年4月に九州大学助手となる。その後、熊本商科大学講師を経て、1981年から熊本女子大学の助教授となる。1989年には教授に昇任した。 1991年には九州大学から文学博士号を授与されている。 1994年に熊本県立大学教授。また、総合管理学部長も兼務。2006年4月に熊本県立大学の学長となり、2010年まで務めた。 その他の公職として、熊本県教育委員会委員長なども歴任した。 熊本県立大学を退官後、名誉教授となった。
渡辺 一徳(わたなべ かずのり、1943年7月5日 - 20… 渡辺 一徳(わたなべ かずのり、1943年7月5日 - 2022年1月24日)は、日本の地質学者。 専門は自然災害科学で、主に阿蘇山の研究を手がけた。 熊本県和水町出身。熊本県立玉名高等学校を経て熊本大学教育学部卒業。農業高校の理科教諭をへて1972年に母校の熊本大学教育学部の講師、助教授、教授を歴任した。定年退官の際には名誉教授となっている。 その後は、阿蘇火山博物館の学術顧問を死去まで務めていた。
堀川 征孝(ほりかわ まさたか、1941年 - )は、日本の… 堀川 征孝(ほりかわ まさたか、1941年 - )は、日本の実業家。日本製粉代表取締役社長や、同社取締役副会長、製粉協会会長などを務めた。 熊本県出身。父は警察官。玉名市立伊倉小学校、玉名市立玉南中学校、熊本県立玉名高等学校を経て、九州大学経済学部に進学。大学では野球部に所属し九州六大学野球連盟で活躍した。1964年大学を卒業し日本製粉に入社。神戸工場配属。 日本製粉企画部副部長、小山工場長、人事部長を経て、1998年取締役人事部長に昇格。2001年常務取締役企画部長兼調査部長兼業務統括室長。2002年から代表取締役社長兼COOを務め、グローバル化を進めた。2005年製粉協会会長。2006年日本製粉取締役副会長。
島津 勇典(しまづ ゆうてん、1938年(昭和13年)6月2… 島津 勇典(しまづ ゆうてん、1938年(昭和13年)6月26日 - )は、日本の政治家。元玉名市長(1期)、元熊本県議会議員(6期)、元熊本県議会議長。 熊本県出身。熊本県立玉名高等学校を経て、1967年(昭和42年)3月、中央大学法学部法律学科卒業。高田浩運参議院議員秘書を経て、1983年(昭和58年)4月、熊本県議会議員選挙に初当選。1999年(平成11年)11月、第71代同県議会議長に就任。2000年(平成12年)12月、12代自由民主党熊本県連幹事長に就任。 2005年(平成17年)10月3日、旧玉名市・岱明町・横島町・天水町の1市3町は対等合併し、新市制による玉名市が誕生する。これに伴って11月13日に行われた市長選挙に自由民主党の推薦を受けて出馬。
城戸 卓(きど たく、1937年3月3日 - )は日本の俳優… 城戸 卓(きど たく、1937年3月3日 - )は日本の俳優。 熊本県玉名市出身。熊本県立玉名高校から1955年に長崎造船大学造船科に進み1958年中退。1960年10月、松竹大船撮影所に入社し1961年水溜りでデビュー。65年3月、松竹の女優・光映子(本名・美代子)と結婚、1男がある。168センチ、67キロ。燃ゆる若者たち(62)など松竹制作の映画に多数に脇役で出演、その後はテレビドラマにも多く出演した。後年はピンク映画への出演もある。2000年代半ば以降の映画やテレビドラマへの出演は確認できない。 電気溶接、弱電管理者、日商2級簿記の資格を所持。イーアンドエーに所属。
築地 美孝(つきじ よしたか、1936年9月16日 - )は… 築地 美孝(つきじ よしたか、1936年9月16日 - )は、熊本県玉名郡長洲町出身のマラソンランナー、スポーツ指導者。 熊本県立玉名高等学校を経て、1959年、東京教育大学体育学部卒。 大学卒業後、東京急行電鉄陸上部監督を経て,東急鯱パスKK勤務の傍ら数々のマラソンランナーの育成に努める。 経歴が日本マラソンの父である金栗四三と同一である。
坂上 惇(さかがみ あつし、1934年10月22日 - 20… 坂上 惇(さかがみ あつし、1934年10月22日 - 2019年6月29日)は、熊本県玉名郡玉名町出身のプロ野球選手(投手)。 玉名高校から1952年に西鉄ライオンズへ入団。 1954年シーズンにはローテーションに入り、7勝を挙げた。 1955年シーズン途中に大映スターズへ移籍。1957年に引退。 引退後、「坂上式バッティングマシン」を発案。知人で発明家だった河辺忠夫に相談して開発したもので、当時、自動式の打撃練習マシンは国内外にはなく、試作機を試した中西太や、長嶋茂雄も驚いたという。 そして旧交があった中澤会長のお墨付きをもらい、西鉄ライオンズや巨人軍など8球団が次々に導入。販売を手がける坂上は一躍、時の人となった。
丸山 雍成(まるやま やすなり、1933年2月27日 - )… 丸山 雍成(まるやま やすなり、1933年2月27日 - )は、日本の歴史学者。専門は日本近世史、交通史。九州大学名誉教授。 現在の熊本県玉名市に生まれる。熊本県立玉名高等学校を経て1957年に東北大学文学部国史学科を卒業した。1965年に東北大学大学院文学研究科博士課程を修了した。 駒澤大学で講師・助教授を務めた後、1973年に[要出典]九州大学助教授に移り、九州大学で教授に昇格して、九州文化史研究施設長も務めた。この間、1977年に「近世宿駅の基礎的研究」により、東北大学より文学博士号を取得した。1994年に「日本近世交通史の研究」で日本学士院賞を受賞する。1996年に[要出典]九州大学を定年退官して、名誉教授となる。
福田 豊(ふくだ ゆたか、1932年10月19日 - )は、… 福田 豊(ふくだ ゆたか、1932年10月19日 - )は、日本の経済学者。社会主義協会の機関誌『社会主義』の編集長を務めた。法政大学名誉教授。 熊本県玉名市に生まれる。熊本県立玉名高等学校を経て、1955年に九州大学経済学部を卒業後に同大学大学院に進み、1960年に博士課程を修了した。九州大学経済学部助手、法政大学第二教養部助教授、教授を経て、社会学部教授となる。 学生時代より向坂逸郎に師事し、1960年代前半に構造改革論批判などで頭角をあらわす。福田の論文にはカール・マルクスやウラジーミル・レーニンの著作からの豊富な引用が行われているが、それは社会主義協会の理論が向坂の指導でマルクス・レーニン主義へ転化していくのにたいしマルクス・レーニン主義の歴史的・理論的限界を明らかにし、この理論の援用にたいして慎重であるべきことを求めたものであった。
森山 恒雄(もりやま つねお、1932年2月21日 - 20… 森山 恒雄(もりやま つねお、1932年2月21日 - 2009年12月28日)は、日本の歴史学者。 専門は日本近世史で、主に豊臣秀吉の蔵入地や加藤清正の研究を手がけた。 熊本県玉名郡に生まれる。熊本県立玉名高等学校を経て、1949年熊本大学教育学部に入学、同校卒業後、1954年熊本県の私立鎮西高等学校に勤務。1956年同校を退職し、九州大学大学院文学研究科修士課程史学専攻に入学。修了後の1958年九州大学大学院文学研究科博士課程史学専攻に入学、1961年同課程を単位取得満期退学。 1963年九州大学文学部助手(国史学研究室)、1964年東海大学講師、1967年同校助教授となる。1971年母校の熊本大学に移り助教授、1977年教授に就任。
佃 亮二(つくだ りょうじ、1931年5月7日 - 2018… 佃 亮二(つくだ りょうじ、1931年5月7日 - 2018年11月15日)は、熊本県出身の日本銀行理事、福岡銀行頭取などを務めた銀行家、実業家。 旧満洲生まれ。父は南満洲鉄道の駅長。敗戦でソ連兵の強奪に遭い、日本に引き揚げる際は栄養失調に陥るほどの苦難を経験した。引揚者として父の実家の熊本県玉名市に移り住み、熊本県立玉名高等学校から東京大学法学部に進む。1955年日本銀行入行、新潟、名古屋の支店長、営業局長、理事を務めた。新潟支店長時代の部下が拉致被害者横田めぐみの父横田滋。営業局長時代は三重野康の腹心として、高目放置を主導した。 1989年福岡銀行副頭取に転じ、1991年頭取就任。1996年有価証券を売却し黒字化することもできたが、不良債権を一括処理し福銀市場初の赤字を計上した。
池田 憲義(いけだ のりよし、1931年3月15日 - )は… 池田 憲義(いけだ のりよし、1931年3月15日 - )は、日本の裁判官。 熊本県立玉名高等学校を経て九州大学法学部を卒業した。 広島地方裁判所(1960年着任)を皮切りに、佐賀地方裁判所唐津支部(1963年)・長崎地方裁判所(1966年)・熊本地方裁判所人吉支部(1969年)などで判事補を務めた。1972年に福岡地方裁判所の判事となる。1979年に福岡高等裁判所判事に移り、1984年からは熊本地方裁判所で第二部総括判事を務めた。 1989年に福岡地方裁判所小倉支部長に就任、1991年からは鹿児島地方裁判所長を務めた。1993年に福岡高等裁判所刑事部第二総括判事となった。 1996年3月15日に定年退官した。
甲木 伸一(かっき しんいち、1931年 - )は、日本の… 甲木 伸一(かっき しんいち、1931年 - )は、日本の物理学者。 熊本県立玉名高等学校を経て九州大学理学部を卒業後、九州大学大学院修士課程を修了した。 大学院修了後は、九州大学教養部の助手や助教授、教授を歴任した。1971年に論文「Hg[1-x]Cd[x]Te系合金のバンド構造と、その圧力依存性」で、九州大学より工学博士号を取得した。 九州大学を退官後は名誉教授となり、カナダのアルバータ大学の客員教授も務めた。
平河 喜美男(ひらかわ きみお、1929年5月22日 -)は… 平河 喜美男(ひらかわ きみお、1929年5月22日 -)は、日本の官僚、元安田信託銀行顧問。 熊本県生まれ。熊本県立玉名中学校卒業。第五高等学校卒業、東京大学理学部卒業。 昭和31年、旧通商産業省(現:経済産業省)入省。主に技術畑を歩んだ。 昭和59年、立地公害局長就任。 昭和60年、退官。その後、安田信託銀行の顧問を経て昭和電工株式会社専務取締役、日本規格協会理事長。
花吉 洋一(はなよし よういち、1929年 - 2021年7… 花吉 洋一(はなよし よういち、1929年 - 2021年7月17日)は日本の教育者。 熊本県に生まれる。小学2年生の時に両親を失う。 熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校・附属中学校、1947年卒業)を経て、東京高等師範学校(現・筑波大学)を卒業した。 卒業後は熊本県の理科の教員となり、母校である熊本県立玉名高等学校に勤務した。1970年から熊本県教育委員会指導主事、主幹を務めたあと再び教職に戻り、熊本県立南関高等学校(1978年着任)・熊本県立玉名高等学校・熊本県立熊本高等学校で校長を歴任した。熊本県教育委員会に戻って教育次長を務める。最後の教職となったのは1988年に新設された熊本県立東稜高等学校の初代校長で、学校のコンセプト作りからかかわり、校歌の作詞・作曲も手がけている。
植田 いつ子(うえだ いつこ、1928年10月20日 - 2… 植田 いつ子(うえだ いつこ、1928年10月20日 - 2014年6月3日)は、日本のファッションデザイナー。熊本県玉名市出身。 玉名市河崎の商家で、6人兄弟の5番目に生まれる。父親が自転車店を営むため玉名駅前に転居。 玉名町弥富小学校、高瀬高等女学校を経て、当時唯一学徒動員がなかった熊本県女子師範学校に進学、卒業後に上京。 桑沢デザイン研究所で桑沢洋子に師事。同時に文化学院デザイン科に通うかたわら絵画研究所で学ぶ。桑沢にデザイナーになることを勧められ、1952年に銀座の高級店「銀座ビジョン」「銀座レインボー」に勤務、チーフデザイナーのジョージ岡に学ぶ。 久我アキラのアシスタントを経て1956年独立「植田いつ子アトリエ」を開設。
吉永 昭(よしなが あきら、1927年 - )は、日本の歴史… 吉永 昭(よしなが あきら、1927年 - )は、日本の歴史学者、広島大学名誉教授、福山大学名誉学長。 熊本県に生まれる。熊本県立玉名中学校、広島高等師範学校を経て、 広島文理科大学(現・広島大学)史学科を卒業した。 文部省資料館勤務、開成高等学校教諭を経て、東京女子体育大学で助教授となる。その後相模女子大学助教授に移り、愛知教育大学助教授、教授を経て、広島大学教授に就任した。 この間、1971年に「近世専売制度の研究」で広島大学より文学博士号を取得した。 1991年に定年退官して、広島大学名誉教授となる。退官後は福山大学学長を務め、退任後に名誉学長となる。
加藤 圭朗(かとう けいろう、1926年 - )は昭和期の日… 加藤 圭朗(かとう けいろう、1926年 - )は昭和期の日本の官僚。 熊本県に生まれる。熊本県立玉名中学校(1943年卒業)、東亜同文書院大学予科を経て、九州帝国大学法文学部を卒業した。 1949年に人事院に入庁する。近畿事務局長、給与局次長、公務員研修所長、管理局長を経て、1983年に人事院事務総長となる。1986年に退官した。退官後は日本体育・学校健康センター理事を務めた。
田辺 哲夫(たなべ てつお、1924年12月1日 - 200… 田辺 哲夫(たなべ てつお、1924年12月1日 - 2000年10月9日)は、日本の考古学者、教育者。 熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校・附属中学校、1942年卒業)を経て、広島高等師範学校を卒業した。 教員となり、京都師範学校、母校である熊本県立玉名高等学校で勤務の後、熊本県立小国高等学校で教頭・指導主事・主幹を、玉名高等学校、熊本県立第一高等学校、熊本高等学校で校長を務めた。熊本県庁で初代の文化課長を務めたこともある。 教員業の傍ら考古学者としての活動をおこない、九州各地の古墳などを調査した。県文化課長時代は遺跡の保護に力を尽くした。 1996年には、長年にわたる考古学への功績を評価されて熊本日日新聞社の熊日賞を受賞した。
徳永 春夫(とくなが はるお、1921年 - )は、日本の教… 徳永 春夫(とくなが はるお、1921年 - )は、日本の教育者。 熊本県玉名郡石貫村(現・玉名市)に、石貫村村長も務めた徳永右馬七の三男として生まれる。徳永右馬七は旧制第五高等学校で嘱託教員を務めたことがあり、当時同僚だった夏目漱石とも親交を結んでいた。 熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校・附属中学校、1938年卒業)、旧制第五高等学校を経て、東京帝国大学文学部を卒業した。卒業後は、海軍兵学校の文部教官となった。 終戦後、母校の玉名高等学校教諭に就いたのち、熊本県立牛深高等学校では教頭・指導主事・主幹、熊本県立大津高等学校・熊本県立八代高等学校(1971年 - 1974年)・熊本県立熊本西高等学校・熊本国府高等学校(1980年 - 1989年)では校長を務めた。
宮辺 英夫(みやべ ひでお、1919年1月 - 1978年1… 宮辺 英夫(みやべ ひでお、1919年1月 - 1978年10月)は、日本の陸軍軍人、パイロット。 最終階級は陸軍少佐。加藤隼戦闘隊の最後の戦隊長として知られる。 熊本県に生まれる。1936年(昭和11年)に旧制玉名中(熊本県立玉名高等学校・附属中学校)、1939年(昭和14年)に陸軍士官学校を52期で卒業。 陸軍士官学校卒業後、明野陸軍飛行学校へ進み、卒業後は飛行第5戦隊へ配属。その後、明野陸軍飛行学校教官となる。1943年(昭和18年)2月に飛行第六十四戦隊(いわゆる加藤隼戦闘隊)第2中隊長関二郎大尉が戦死したことに伴い、第2中隊長になる。 1945年(昭和20年)4月26日には飛行第六十四戦隊戦隊長となり、クラコール飛行場にて終戦を迎えた。
海達公子(かいたつ きみこ、1916年8月23日 - 193… 海達公子(かいたつ きみこ、1916年8月23日 - 1933年3月26日)は、日本の詩人である。 1916年(大正5年)、長野県下伊那郡飯田町(現、飯田市)に生まれ、父親の仕事の関係で熊本県玉名郡荒尾町(現、荒尾市)で育つ。1923年(大正12年)、荒尾北尋常小学校に入学。1924年(大正13年)、海達が小学2年生のとき、文芸雑誌「赤い鳥」に詩を投稿。詩人北原白秋に称賛される。それ以後、詩人として全国に知られるようになる。1929年(昭和4年)、同校を卒業。1933年(昭和8年)、高瀬高等女学校(現、玉名高等学校)卒業式の日に腹膜炎で倒れ、同月26日に17歳で死去。
毛利 昌三(もうり しょうぞう、1915年7月24日 - 1… 毛利 昌三(もうり しょうぞう、1915年7月24日 - 1999年6月22日)は、日本の教育学者。 熊本県に生まれる。熊本県立玉名中学校、第五高等学校を経て、東京帝国大学文学部を卒業した。 東大卒業後の1940年から東京大学航空研究所航空心理部員となる。 戦後の1947年から熊本師範学校教諭となり、学制改革後の1949年からは熊本大学助教授に移る。1965年に岡山大学教育学部教授に就任した。1980年に退官し、名誉教授となる。その後、ノートルダム清心女子大学教授を1985年まで務めた。この間、1975年にNHK厚生文化事業団より研究奨励賞を受賞している。 その他の役職として日本精神薄弱研究協会評議員や岡山心理学会会長なども歴任した。
高田 浩運(たかた こううん、1914年2月4日 - 197… 高田 浩運(たかた こううん、1914年2月4日 - 1977年7月17日)は、日本の政治家、厚生官僚。位階は従三位。勲等は勲二等。参議院議員(2期)。 1914年(大正3年)熊本県玉名市生まれ。熊本県立玉名中学校、第五高等学校を経て、1936年(昭和11年)、東京帝国大学卒業後、内務省に入省する。1937年(昭和12年)に香川県警警務課長。 1941年(昭和16年)に厚生省に配転され、1945年(昭和20年)より同省庶務課長、1955年(昭和30年)より医務局次長、1956年(昭和31年)より児童局長、1960年(昭和35年) より官房長、1962年(昭和37年)4月より保険局長を経て、同年7月社会保険庁長官に就任。
池田 勝(いけだ まさる、1911年3月2日 - 没年不明)… 池田 勝(いけだ まさる、1911年3月2日 - 没年不明)は日本の教育者。 熊本県荒尾市に生まれる。熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校・附属中学校、1928年卒業)を経て、京城帝国大学法文学部を卒業した。 卒業後は朝鮮・全州師範学校教諭となる。戦後は母校である玉名高等学校の教諭を務めた後、熊本県教育委員会指導委員となる。その後教職に復帰し、熊本県立荒尾高等学校(1956年着任)・熊本県立宇土高等学校(1960年着任)・熊本県立第一高等学校・熊本県立鹿本高等学校で校長を歴任した。荒尾高等学校長就任は、生徒のストーム事件の事後処理がその理由だった。熊本県教育委員会では指導室長も務めている。
中山 一郎(なかやま いちろう、1911年 - 1993年)… 中山 一郎(なかやま いちろう、1911年 - 1993年)は、日本の翻訳家、研究者。熊本県出身。 熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校)、第五高等学校を経て、東京帝国大学法学部を卒業。 東大卒業後、南満州鉄道に入社し、調査部などに勤務した。戦後、ソビエト抑留から帰還し、東京大学に勤務、東京大学社会科学研究所図書資料室長などを歴任した。 その傍ら、ロシア語の本の翻訳を行った。
北原 経太(きたはら けいだ、1910年10月31日 - 没… 北原 経太(きたはら けいだ、1910年10月31日 - 没年月日不詳)は、日本の医学者。専門は公衆衛生学。 熊本県に生まれる。熊本県立玉名中学校(1927年卒業)、旧制静岡高等学校を経て、九州帝国大学医学部を卒業した。九大卒業後、当時の旧制鹿児島県立医科大学の教授(公衆衛生学)となる。 1946年に九州帝国大学から医学博士号を取得した。その後、鹿児島大学医学部の教授となる。1974年に開催された日本人類遺伝学会の大会会長を務めた。多くの衛生学に関する論文を残し、1983年には日本人類遺伝学会の名誉会員となる。鹿児島大学を退官後は名誉教授となった。
大江 卓二(おおえ たくじ、1910年 - 2002年5月2… 大江 卓二(おおえ たくじ、1910年 - 2002年5月27日)は日本の技術者、官僚。 熊本県に生まれる。熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校・附属中学校)、旧制第五高等学校を経て、東京帝国大学工学部を卒業した。 逓信省船舶試験所(現・海上技術安全研究所)に入所し、1949年に第4部長となる。以後、運輸省技術研究所船舶機関部長、所長を歴任した。 2002年5月27日、前立腺癌のため死去。
村田 勉(むらた つとむ、1909年6月3日 - 2000年… 村田 勉(むらた つとむ、1909年6月3日 - 2000年1月30日)は、日本の軍人(技術士官)、技術者、実業家。軍における最終階級は大日本帝国海軍技術少佐。 火薬の専門家として知られ、海軍では艦砲の火薬や固体燃料ロケットの研究をおこない、戦後は日本油脂に勤務し、糸川英夫のペンシルロケットに推進剤を提供した。のちに日本油脂の社長・会長を務める。 熊本県に生まれる。旧制玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校・附属中学校)から第一高等学校を経て東京帝国大学に進む。旧制中学校時代に読んだ三上於菟吉の小説『春は蘇れり(地獄の彼方の天国)』に影響を受け、火薬に興味を持つ。東京帝国大学工学部卒業後、海軍技術士官となる。
坂口 敏之(さかぐち としゆき、1909年3月29日 - 1… 坂口 敏之(さかぐち としゆき、1909年3月29日 - 1999年)は、日本の医師、軍医。 熊本県玉名郡梅林村(現・玉名市)に生まれる。熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校・附属中学校、1927年卒業)を経て、熊本医科大学を卒業した。 1937年7月には上海に派遣され患者輸送部隊の医師として、負傷した兵士を野戦病院から後方へ送る仕事に従事した。太平洋戦争開戦後は軍医として徴兵され、マレー作戦に従軍し、1942年秋まで占領地を移った。 戦後は福岡県大牟田市の三井三池鉱業所病院に勤め、定年退職後に開業医となった。1952年に熊本大学より医学博士号を取得している。1975年には『肥後の子供歳時記』を刊行した。
坂村真民(さかむら しんみん、1909年1月6日 - 200… 坂村真民(さかむら しんみん、1909年1月6日 - 2006年12月11日)は、日本の仏教詩人。本名昂(たかし)。一遍の生き方に共感し、「癒やしの詩人」と言われる。 熊本県玉名郡府本村(現 荒尾市)生まれ。熊本県立玉名中学校を経て、1931年に神宮皇學館を卒業。1934年朝鮮に教員として渡り、1945年に引き揚げ。1946年、愛媛県三瓶町の私立第二山下高等女学校教諭に着任。1950年、個人雑誌「ペルソナ」を創刊して、従来創作していた短歌から離れる。1953年、尼僧・杉村春苔に出会い、大きな影響を受ける。1962年、森信三の教示を受けて、自らの詩をつづった月刊詩誌「詩国」を創刊。1,200部を無料で配布した。
荒木 時次(あらき ときじ、1909年 - 没年不詳)は日本… 荒木 時次(あらき ときじ、1909年 - 没年不詳)は日本の経済学者、翻訳家。 熊本県に生まれる。熊本県立玉名中学校(1926年卒業)、福岡高等学校を経て、東京帝国大学経済学部を卒業した。その後、東京帝国大学経済学部大学院で研究した。 大学院終了後、得意のドイツ語を生かして、ナチス・ドイツの文献の翻訳などを行った。 主な作品にドイツ小国民美談・銃後の巻や陸軍の巻などがある。戦後、それらの作品は連合軍によって発禁処分となった。 戦後は自ら研究所を主催し、反共産主義の立場で活動した。
高野 巽(たかの たつみ、1907年7月29日 - 没年不明… 高野 巽(たかの たつみ、1907年7月29日 - 没年不明)は昭和期の日本の文学者。ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの研究で知られる。 熊本県に生まれる。熊本県立玉名中学校(1925年卒業)、第五高等学校を経て、東京帝国大学文学部を卒業した。 東大卒業後、熊本高等工業学校講師、教授、第五高等学校教授を経て熊本大学教授となる。1961年から熊本大学法文学部長に就任した。定年退官まで母校である第五高等学校の後身の熊本大学の教壇に立ち続けた。 また、学生運動が盛んな頃は学生部長も務めた。退官後は名誉教授となり、熊本工業大学の教授も務めた。