久保園 晃(くぼその あきら、1930年5月6日 - 2016年12月26日)は、日本の宇宙航空エンジニアであり、日本の宇宙開発の草分け的存在である。 1930年(昭和5年)5月に中国遼寧省瀋陽市に生まれる。戦後鹿児島県日置郡伊集院町(現・日置市)に引き上げ、旧制第七高等学校、鹿児島大学文理学部物理学科を卒業後、1953年(昭和28年)運輸省運輸技術研究所航空部に入所。航空機の風洞実験などを学ぶ。1955年(昭和30年)新三菱重工(現・三菱重工業)名古屋航空機製作所に入社。技術部の空力研究課、電子技術課、飛翔体基礎設計課などで、航空機に関する実験、設計などを行い、国産旅客機YS-11の開発にも携わった。
出典:ウィキペディア「久保園晃」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
