池田 良介(いけだ りょうすけ、1887年 - 没年不詳)は水戸出身の技術者。その生涯を通じて離島での燐鉱石開発に力を注ぎ、ラサ島をはじめ数多くの採鉱現場を指揮した。従四位、勲五等。 茨城県士族、池田哲太郎の長男として1887年(明治20年)3月、水戸に生まれる。代々水戸藩士の家柄であったが維新後父は農業を営み、良介は1904年(明治37年)に水戸農学校を卒業。1907年には家督を相続し、1909年(明治42年)に盛岡高等農林学校を卒業。徴兵検査を受けたところ、身体は大きかったが第二乙種と判定された。翌1910年、助教授を務めていた盛岡高農で農学博士の恒藤規隆と出会い、ラサ島での燐鉱採掘事業の話などに強い興味を持ち、同年11月設立の日本産業商会に入社を決める。
出典:ウィキペディア「池田良介」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
