スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
駒木根 葵汰(こまぎね きいた、2000年1月30日 - )… 駒木根 葵汰(こまぎね きいた、2000年1月30日 - )は、日本の俳優、モデル、タレント。茨城県出身。ホリプロ所属。 旧芸名はきいた。以前はホリプロデジタルエンターテインメントに所属していた。 高校時代にInstagramで「イケメン高校生」と話題になり、ホリプロよりSNSでスカウトされ所属。当初はSNSでの活動が主であった。 2018年4月号のPopteen第4回次世代イケメン総選挙にノミネートされる。結果は5位だったが、その後メンズモデルとして出演することになる。 2020年、レギュラー出演するABCラジオ『リアルをぶつけろ!ハッシュタグZ』にて、それまで所属していたホリプロデジタルエンターテインメントからホリプロに移籍し、それを機に、芸名「きいた」から本名の「駒木根葵汰」に改名することを発表した。
鈴木 祐(すずき ゆう、1995年6月7日 - )は、地方競… 鈴木 祐(すずき ゆう、1995年6月7日 - )は、地方競馬の岩手県競馬組合・盛岡競馬場櫻田康二厩舎所属の騎手である。 競馬とは関係がない家系であり、騎手を目指した理由は父親が勧めててきたため。中学卒業後は騎手になる夢と並行して馬術のインターハイ優勝という夢もあったので馬術部のある茨城県立水戸農業高校へ進学する。 高校卒業後地方競馬教養センター騎手課程第94期生として入学し、2016年に卒業。岩手競馬の櫻田康二厩舎所属となる。 2016年4月16日、水沢競馬第1競走でミエノコマンダーで初騎乗を果たし、初騎乗初勝利を飾る。 2017年、NAR優秀新人騎手賞を受賞。 2018年6月4日、盛岡競馬第8競走でスクリーンハッピーに騎乗し勝利。
高安 勇太朗(たかやす ゆうたろう、1983年4月27日 -… 高安 勇太朗(たかやす ゆうたろう、1983年4月27日 - )は、日本のラグビーユニオン指導者。ジャパンラグビーリーグワンヤクルトレビンズ戸田の監督及びGMを務めている。 2002年、水戸農業高校卒業後、日本体育大学に入る。 2006年、日本体育大学卒業後、ヤクルトレビンズ(現・ヤクルトレビンズ戸田)に加入。 2013年、現役引退後にヤクルトレビンズのコーチに就任。2016年、監督に昇格。
小林 聡(こばやし さとし、1977年8月21日 - )は、… 小林 聡(こばやし さとし、1977年8月21日 - )は、茨城県水戸市出身の元プロ野球選手(投手)。 中学1年の時に野球を始める。水戸農業高では2年次の夏の茨城大会ベスト8が最高成績。 1995年ドラフト会議で読売ジャイアンツに6位で入団。 2年目の1997年にシーズン最終戦ながら一軍初登板するが、その後は一軍で登板することなく1999年に戦力外通告を受ける。横浜ベイスターズの入団テストを受けたが不合格に終わり現役を引退した。
雅山 哲士(みやびやま てつし、1977年(昭和52年)7月… 雅山 哲士(みやびやま てつし、1977年(昭和52年)7月28日 - )は、茨城県水戸市出身で藤島部屋(入門時は武蔵川部屋)に所属した元大相撲力士。本名は竹内 雅人(たけうち まさと)。最高位は西大関。現在は年寄・二子山。 3人きょうだいの長男(第2子。姉と妹がいる) として茨城県水戸市で生まれる。実家は茨城県内にバス路線網を持つ旧茨城交通グループのオーナー一族である。小学生時代には空手やソフトボール、バスケットボールに取り組んでいたが、小学校6年時に担任の先生から「大会で勝ったら、焼肉をいっぱい食べさせてあげるから」と言われ水戸市の少年相撲大会に出場したところ優勝したことで相撲に興味を持ち始める。
武双山 正士(むそうやま まさし、1972年2月14日 - … 武双山 正士(むそうやま まさし、1972年2月14日 - )は、茨城県水戸市出身(出生地は勝田市、現在のひたちなか市)で武蔵川部屋に所属した元大相撲力士。本名は尾曽 武人(おそ たけひと)。最高位は東大関。身長184 cm、体重177kg。現在は年寄・藤島、得意手は突き、押し、突き落とし、巻き落とし、左四つ。趣味は釣り。独身。 父の尾曽正人(以下、父と表記)は茨城県相撲連盟理事長というアマチュア相撲の大御所でありアマチュア選手として国体に11回出場した経験も持っている。息子である尾曽武人(以下、角界入りまで尾曽と表記)が後に冠した四股名「武双山正士」の下の名前の由来は父の名前にある。尾曽は元々相撲ではなく魚釣りやソフトボールを好んでいた。
打越 忠夫(うちこし ただお、1965年10月30日 - )… 打越 忠夫(うちこし ただお、1965年10月30日 - )は、日本の陸上競技選手。専門はマラソン。水戸農業高等学校、順天堂大学卒業。 順大在学時代、1986年の第62回箱根駅伝では2区を走る予定だったが、直前の怪我で急遽出場出来なくなるなど3年生までは箱根駅伝には縁がなかったが、4年生で迎えた1988年の第64回箱根駅伝で3区区間賞を取り、この年の完全優勝に貢献した。 1988年大学卒業後雪印乳業に入社した。1992年北海道マラソンは日本人トップの成績となる2位、1993年のシュトゥットガルト世界選手権は5位入賞し日本人トップであった。1993年東京国際マラソン6位入賞などの戦績を残した。フルマラソンのベストタイムは1994年ロッテルダムマラソンの2時間12分52秒。
飛円 美智浩(とびまる みちひろ、1961年2月18日 - … 飛円 美智浩(とびまる みちひろ、1961年2月18日 - 没年不明[要出典])は、茨城県常陸太田市出身で宮城野部屋に所属した元力士。本名は澤幡 美智浩。身長176.5cm、体重90kg。最高位は西幕下2枚目。 茨城県立水戸農業高等学校相撲部に所属。1979年3月初土俵を踏む。1991年9月引退。軽量ながら幕下上位に定着していたが、ついに十両昇進はならなかった。 引退後の2015年8月、日本相撲協会主催の「第1回相撲指導適格認定証認定講習会受講者」に参加、講習と実技実習の後、筆記試験を受け、合格し、認定証を受けた。 通算76場所262勝240敗23休 自己最高位で迎えた1987年5月場所9日目に、十両の土俵に上がり市ノ渡三四四と対戦している。
中村 均(なかむら ひとし、1950年12月6日 - )は、… 中村 均(なかむら ひとし、1950年12月6日 - )は、茨城県鉾田町出身の日本の柔道家。95kg級の選手。現役当時は身長190cm。体重94kg 柔道は鉾田北中学2年の時に始めた。実家が農家だったために水戸農業高校へ進んだ。入学当時は体重が70kgほどしかなかったがその後増えて、3年の時にはインターハイの重量級に出場を果たした。 国士舘大学に入学すると、3年の時には国際学生柔道選手権大会の軽重量級と団体戦で優勝を飾った。優勝大会では準決勝で明治大学と対戦して、先取点を取るもその後チームは逆転負けして3位だった。4年の時には優勝大会の決勝まで進んで再び明治大学と対戦するも、吉永浩二と引き分けに終わると、相手エースの上村春樹が一本勝ちしたことでチームは2位にとどまったが優秀選手に選ばれた。
大高 松男(おおたか まつお、1943年1月28日 - )は… 大高 松男(おおたか まつお、1943年1月28日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、自由民主党茨城県支部連合会事務局長を務めた。 茨城県東茨城郡城里町出身。水戸農業協同組合非常勤理事を経て1975年に自由民主党に入職。後に自民党茨城県連事務局長に就任。2005年9月11日投開票の第44回衆議院議員総選挙で比例北関東ブロックの名簿第36位で立候補し、次点となる。 2009年5月、小泉劇場の恩恵で比例34位で当選した中森福代がさいたま市長選挙出馬を表明し、議員辞職したことに伴い中央選挙管理会の決定を経て5月19日に繰り上げ当選した。 同年8月30日の第45回衆議院議員総選挙には落選、議員在職日数はわずか2ヶ月余りだった。
近藤 三明(こんどう みつあき、1937年6月21日 - )… 近藤 三明(こんどう みつあき、1937年6月21日 - )は、茨城県出身の元プロ野球選手。 水戸農業高校、日本鋼管を経て1959年に近鉄バファローへ入団。1962年に引退。
河野 安男(こうの やすお、1936年11月25日 - )は… 河野 安男(こうの やすお、1936年11月25日 - )は、茨城県出身の元プロ野球選手。 水戸農業高校から東京鉄道局を経て1959年に近鉄バファローへ入団。1960年退団。
川島 義明(かわしま よしあき、1934年5月10日 - )… 川島 義明(かわしま よしあき、1934年5月10日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門は長距離走・マラソン。1956年メルボルンオリンピック代表選手で、同大会のマラソンで5位に入賞した。 茨城県東茨城郡川根村(現・茨城町)に生まれる。 茨城県立水戸農業高等学校時代に、体育教員をしていた篠崎清(1953年ボストンマラソン出場)から陸上競技(マラソン)に勧誘される。川島は1年生時から青森東京駅伝に茨城県チームメンバーとして出場し、2年生時と3年生時にも出場した。 しかし高校卒業時に進学はせずに家業の農家を2年間手伝った。1955年2月に第3回読売全国マラソン青梅大会に出場して2時間31分29秒で3位となった。
立花 留治(たちばな とめじ、1916年 <大正5年> 2月… 立花 留治(たちばな とめじ、1916年 <大正5年> 2月27日 - 1995年 <平成7年> 6月25日)は、日本の政治家。茨城県日立市長(4期) 。位階は従五位。 茨城県出身。1934年、茨城県立水戸農学校(現・茨城県立水戸農業高等学校)卒。卒業後は茨城県農事試験場に入る。その後、同県農産物検査所を経て、1940年、日立市役所に入る。市役所では秘書、経済、庶務の各課長、産業、総務、水道の各部長などを務めた。1970年に市の水道事業管理者となり、1975年に退職するまで務める。同年、日立市長選挙に立候補して当選、4期連続務める。1991年に引退、同年勲三等瑞宝章を受章する。1995年死去。死没日付をもって叙従五位。
橋本 正武(はしもと まさたけ、1903年〈明治36年〉1月… 橋本 正武(はしもと まさたけ、1903年〈明治36年〉1月13日 - 1983年〈昭和58年〉7月11日)は、日本の武道家(剣道、居合道)、林野技術官僚。 茨城県多賀郡十王町(現日立市)で生まれる。曾祖父、祖父は1864年(元治元年)、天狗党の乱に参加。父熊之介は私塾輔仁学舎で水戸学を学び、水戸東武館で剣道を修めた。その弟の統陽は東京美術学校で彫刻を学びながら有信館で剣道、居合を修行していた。 1920年(大正9年)、県立水戸農学校を優秀な成績で卒業し、進学するために叔父の統陽を頼って上京。統陽の口利きで有信館の二階の部屋を与えられ、予備校に通いながら中山博道に剣道、居合を学ぶ。 1921年(大正10年)、東京帝国大学農学部林学実科に入学。
藤田 清(ふじた きよし、1892年(明治25年)12月?日… 藤田 清(ふじた きよし、1892年(明治25年)12月?日 - 1965年(昭和40年)7月28日)は、茨城県真壁郡新治村(協和村、協和町を経て、現在の筑西市)出身の軍人、新治村での地域の指導者及び考古学者である。考古学者としては在野の研究者であったが新治郡衙跡、新治廃寺の研究・発掘調査で重要な役割を果たした。 藤田の家は真壁郡新治村の古郡に在り、村で5指に数えられる大地主であった。藤田は茨城県立水戸農学校(現在の茨城県立水戸農業高等学校の前身)卒業後、1912年(大正元年)に宇都宮騎兵第18聯隊に一年志願兵として入営し、1914年(大正3年)12月には陸軍騎兵少尉に任官している。しかし、任官後まもなく除隊した。
大内 竹之助(おおうち たけのすけ、1888年12月12日 … 大内 竹之助(おおうち たけのすけ、1888年12月12日 - 1965年11月17日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 茨城県多賀郡、のちの高鈴村(助川町を経て現日立市)出身。1907年茨城県立水戸農学校(現・茨城県立水戸農業高等学校)卒。高鈴村議、助川町議、茨城県会議員、同農会議員、助川町長となる。 1937年の第20回衆議院議員総選挙において茨城2区(当時)から立憲政友会公認で立候補して当選。衆議院議員を1期務めた。1942年の第21回衆議院議員総選挙には立候補せずに引退。終戦後、公職追放となった。 このほか常陸セメント(株)常務取締役、同社長、茨城いすゞ自動車(株)取締役、茨城相互銀行(現・筑波銀行)取締役会長を務めた。
池田 良介(いけだ りょうすけ、1887年 - 没年不詳)は… 池田 良介(いけだ りょうすけ、1887年 - 没年不詳)は水戸出身の技術者。その生涯を通じて離島での燐鉱石開発に力を注ぎ、ラサ島をはじめ数多くの採鉱現場を指揮した。従四位、勲五等。 茨城県士族、池田哲太郎の長男として1887年(明治20年)3月、水戸に生まれる。代々水戸藩士の家柄であったが維新後父は農業を営み、良介は1904年(明治37年)に水戸農学校を卒業。1907年には家督を相続し、1909年(明治42年)に盛岡高等農林学校を卒業。徴兵検査を受けたところ、身体は大きかったが第二乙種と判定された。翌1910年、助教授を務めていた盛岡高農で農学博士の恒藤規隆と出会い、ラサ島での燐鉱採掘事業の話などに強い興味を持ち、同年11月設立の日本産業商会に入社を決める。