鳴瀧 幸恭(なるたき ゆききよ、1849年2月5日(嘉永2年1月13日)- 1925年(大正14年)10月31日)は、日本の政治家。初代神戸市長(在任:1889年5月21日 - 1901年5月20日)。市営の上水道事業実現に取り組み、「水道市長」と呼ばれた。京都府出身。 1849年(嘉永2年)、京都に生まれる。生家は寺侍であった。東京帝国大学卒業後、1873年から兵庫県で小学校教員、県警視課職員、検事補(1881年(明治14年))などを務める。その後兵庫県知事内海忠勝の下で庶務課長として頭角を現した鳴瀧は内海の懐刀と呼ばれるようになり、神戸区長に任命された。この時内海からは市制施行への準備を指示されており、市制施行後の1889年(明治22年)5月にそのまま神戸市初代市長に就任した。
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