平山 慎英(ひらやま のりひで、1881年1月20日 - 1950年12月10日)は、日本の裁判官。 広渡寺住職、飯能学校教員を務めた平山鳳琳の長男。母は飯能焼の絵付師腰塚小四郎の娘。埼玉県入間郡飯能町(現・飯能市)出身。飯能小学校高等科、麻布中学校、第一高等学校、東京帝国大学法科を経て、裁判官になった。 浦和地方裁判所判事、那覇地方裁判所長、横浜地方裁判所長、鳥取地方裁判所長、松江地方裁判所長などを勤めた。高等官一等正四位勲三等。69歳で死去した。
出典:ウィキペディア「平山慎英」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
