明礼 輝三郎(明禮、みょうれい てるさぶろう、1895年(明治28年)1月5日 ‐ 1954年(昭和29年)12月16日) は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員。 愛媛県喜多郡満穂村論田(現内子町)で明礼善助の長男として生まれた。1921年、日本大学法律科を卒業した。弁護士となり、1936年に東京弁護士会副会長に就任した。その他、日本弁護士協会理事、日満法曹協会理事、大東亜法曹協会理事などを務めた。 戦後、1947年4月の第23回衆議院議員総選挙に自由党公認で愛媛県第3区から出馬して当選。第24回総選挙では落選したが、1952年10月の第25回総選挙で再選された。1953年4月の第26回総選挙で落選し、衆議院議員に2期在任した。
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