沢村 繁太郎(さわむら しげたろう、旧字体: 澤村 繁太郎、1865年 - 1905年4月22日)は、日本の外交官、通訳官、教育者、実業家、ジャーナリスト。 台湾総督府調査諜報員、大日本帝国陸軍通訳官、照暗女学校(現・平安女学院)第4代校長。台湾総督府では厦門や上海から迅速かつ質の高い情報を届けるなど、外交官や諜報員として活躍し、勝海舟とも交流したほか、教育者として厦門東亜書院を設立した。その他、上海時報の記者や、実業家として横浜正金銀行北京支店副支配人を務めた。英語のほか、中国語の大家として知られた多言語話者である。 1865年、近江国彦根藩士、澤村益二郎の長男として生まれる。 1879年(明治12年)頃、東京・築地の立教学校(立教大学の前身校の一つ)で学ぶ。
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