小松 緑(こまつ みどり、慶応元年9月7日(1865年10月26日)- 昭和17年(1942年)1月16日)は明治・大正期の外交官で退官後は著述家として活躍した。号は霞南。 陸奥国会津地方(福島県)出身。鹿目政恒の長男で、会津藩士・小松光明の養子として絶家を再興する。慶應義塾を卒業後、米国に留学し、政治学をまなんだ。留学期間は8年に及びエール大学で法学士、プリンストン大学でマスターオブアーツを取得。帰国後は明治学院教授を短期間務めたのち外務省にはいり、駐米日本公使館の書記官や朝鮮総督府の外務部長などを歴任した。日露戦争では遼東守備軍司令部付であった。1916年(大正5年)総督府中枢院書記官長を最後に退官、その後は著述家として活動した。
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