大島 文彦(おおしま ふみひこ、1886年〈明治19年〉11月10日 - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の政治家。宮崎県延岡市長。 大分県大分郡竹中村(現・大分市竹中)出身。1909年(明治42年)10月、裁判所書記試験及第。1911年(明治44年)3月、大分県属となる。 1920年(大正9年)7月に宮崎県属に転じ、1923年(大正12年)3月に同県宮崎郡長、1924年(大正13年)8月に同県児湯郡長を経て、1926年(大正15年)7月、地方事務官に任官する。同年10月より大分市助役を3期務め、1937年(昭和12年)4月、延岡市助役に転じ、同年9月に同市市長に就任した。
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