赤路 友蔵(友藏、あかじ ともぞう、1904年(明治37年)12月1日 - 1987年(昭和62年)9月16日)は、昭和期の農民運動家、実業家、政治家。衆議院議員(6期)。 鹿児島県鹿児島市で生まれる。1925年(大正14年)大阪市民労働学院を卒業した。 実業界では、鹿児島鉄工常務取締役、高千穂電機工場長、汎東亜工業常務取締役などを務めた。戦後、鹿児島県専門委員、同県農地委員、同県地方労働委員を歴任した。 1947年(昭和22年)8月の第1回参議院議員通常選挙補欠選挙に鹿児島県地方区から日本社会党公認で立候補して落選し、1949年(昭和24年)1月、第24回衆議院議員総選挙に鹿児島県第3区から立候補したが落選した。
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