二階堂 保則(にかいどう やすのり、1865年(慶応元年9月9日)- 1925年8月4日)は、江戸時代幕末の尊攘運動家。明治時代から大正時代の医師、統計学者。諱は良碩。号は如瓶。 越後国蒲原郡古寺村(現在の新潟県新発田市)に生まれる。幼名は菊太郎。中之島村の医師・三浦宗仙の養子となる。幼い頃から医学を学び、漢学者の若月元輔と共に江戸に行き、松崎慊堂や林復斎に教えを受け、田原藩に招聘された。故郷に戻り、子弟を教育していたが、三島郡瓜生村の金子邸で勤皇の同志と交わる。戊辰戦争が起こるや松田秀次郎や高橋竹之助などと草莽隊の方義隊を結成し、新政府軍の道案内を務めた。隊の解散後は家を義弟の宗潮に譲り、本姓の二階堂氏を名乗る。
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