伊藤 恭一(いとう きょういち、1888年(明治21年)4月15日 - 1950年(昭和25年)3月16日)は、明治末から昭和前期の教育者、政治家。衆議院議員。 岐阜県恵那郡付知村(付知町を経て現中津川市付知町)で、伊藤文弥の三男として生まれる。付知小学校卒業後、検定試験で准教員の資格を得て郷里の学校で教員を務め、1910年(明治43年)3月、岐阜県師範学校を卒業した。 加納小学校訓導に就任。以後、付知小学校訓導、同校長、岐阜県視学、岐阜市白山小学校長、同市徹明小学校長などを歴任。さらに、白山商工実修学校長、徹明商業青年学校長、岐阜県教員購買組合監事、同県国民学校長会副会長、大日本教育会岐阜県支部参与などを務めた。
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