松浦 斌(まつうら さかる、嘉永4年8月22日(1851年9月17日) - 明治23年(1890年)1月17日)は、隠岐知夫郡西ノ島 (現隠岐郡西ノ島町) 出身の神職で焼火神社の神主。しばしば「隠岐航路開拓の先駆者」とされた。 斌は嘉永4年8月22日(1851年9月17日)、隠岐国知夫郡西ノ島の焼火神社の家に生まれた。16歳の時にで焼火権現の別当を継ぎ、1868年(明治元年)の神仏分離令によって還俗して神職となった。 また斌は山上に塾を開いて教育にも携わっており、1872年(明治5年)に学制が発布されると私宅の提供を申し出たり、美田村の各小学校に金10円の寄付を申し出るなどしている。1872年(明治5年)までは波止支校で教壇にも立っていた。
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