徳丸 作蔵(とくまる さくぞう、1861年1月20日(万延元年12月10日) - 1913年(大正2年)12月10日)は、日本の外交官。在重慶領事、在汕頭領事などを務めた。 肥後国鹿本郡六郷村で、熊本藩士・徳丸庄三郎の子として生まれる。1867年(慶応3年)、7歳で鳩野茂庵の門に学ぶ。1874年(明治7年)、熊本県玉名郡肥猪町の福田義塾に入った。1880年(明治13年)、郷里の小学校で教鞭を執るが、1年余りで辞した。 1882年(明治15年)、22歳の時、中国大陸への志を抱き興亜会の会員となり、同会附属の支那語学校で学び、同年に同校が外国語学校に吸収されると、小田切万寿之助、宮島詠士、七里恭三郎らとともに移った。
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