飯島 忠夫(いいじま ただお、1875年2月3日 - 1954年9月27日)は、日本の東洋史学者。 長野県松代町(現長野市)の旧松代藩士の家に生まれる。祖父は藩の故実家・飯島勝休。小学校卒業後、母校で雇として教えるかたわら、外祖父で旧藩上級藩士の長谷川昭道に漢学を師事、1901年上京し旧制錦城中学に編入、翌年卒業。臨時お茶の水第一教員養成所に入り、1904年卒業し学習院中等科教授、1937年(昭和12年)まで務めた。東京帝国大学選科修了。帝大では上田万年に師事した。東宮御学問所御用掛も務めた。1929年(昭和4年)「支那古代史論」で東京帝大文学博士。中国古代史、暦法研究のほか、郷土の人物として佐久間象山も研究した。
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