柳田 誠二郎(やなぎた せいじろう、1893年〈明治26年〉9月2日 - 1993年〈平成5年〉11月18日)は、日本の実業家。日本航空初代社長を務めた。 栃木県足利町(現足利市)に生糸商・柳田武一郎、さとの次男として生まれる。 高等科2年を終えた、数え年で13歳のとき、上京して諸井時三郎の養子となった。諸井時三郎の妻くらは母さとの妹である。 京華中学校、第一高等学校を経て1917年(大正6年)4月に東京帝国大学を卒業するとともに、日本銀行へ入行する。 1942年(昭和17年)5月に日銀理事となり、1945年(昭和20年)10月に日銀副総裁に就任。しかし、国の外資事業の責任者であったことから、1946年(昭和21年)6月に公職追放を受け、日銀を去る。
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