大貫 賢(おおぬき けん、1906年3月10日 - 1975年2月7日)は、東京都出身のプロ野球選手、審判員、俳優。のち婿入りし桐林と改姓したが、球界では大貫姓を使い続けた。 荏原中学校を中退し、1923年に芝浦協会へ入団。当時は山本栄一郎がいたため控え投手だったが一度チームが解散し、その後宝塚運動協会として再結成した際には山本が肩の故障で退団したこともあってエースとなり投打の中心選手として活躍した。 宝塚運動協会解散後は宝塚ファミリーランドの経理係を務めていたが、まもなく退職し、満州に渡る。満州時代の詳しい経歴は不明だが、全奉天や大連実業、奉天日満実業などでプレーしていたことが確認されており、「各地のチームの助っ人をしていたのでは」と佐藤光房は推測している。
出典:ウィキペディア「大貫賢」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
