緩詰 修二(ゆるづめ しゅうじ、1920年 – 没年不明)は、日本の大日本帝国陸軍軍人。実業家。日本繊維新聞代表取締役社長を務めた。 福井県遠敷郡口名田村(現・小浜市)に生まれる。明治大学専門部を経て、1941年3月、歩兵第119連隊に入営して兵科甲種幹部候補生に採用され、豊橋予備士官学校を経て見習士官となる。1942年12月に陸軍歩兵少尉に任官した。[要出典] 1943年12月に歩兵第119連隊の第3歩兵砲小隊長に任命される。1944年1月にシンガポールに上陸した後、2月にマレーへ移駐。同月28日、事故の責任を取って自殺した前任者に代わり機動砲小隊長に任じられた。[要出典]5月にビルマに入る。
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